毎日新聞 歴史の鍵穴 貴重な見識に敬意
私の見立て★★★★☆ 2016/04/20
毎日新聞夕刊「文化」面(2016/04/2)の月一連載「歴史の鍵穴」(佐々木泰造 専門編集委員筆)の記事に、敬意を払いたいのである。今回は、ほめ記事であるので、原文へのリンクを付けた。
歴史の鍵穴
被災土蔵の古記録 地震で受けた恩、子孫に残す=専門編集委員・佐々木泰造
*学識への敬意
前回は、「世人が佐々木氏に望むのは、比類無き豊富な見識を駆使して、あまた持ち込まれる多種多様な新説を咀嚼賞味して、そのなかから、取り扱うに足りるものを厳選し、ご自身の言葉で読者に説き聞かせてくれることではないかと思う。」とまで、言葉を連ねたが、一番言いたかったのは、氏が、自家薬籠中のものとされている、豊富な専門学識を披瀝頂きたかったのである。
記事内容については、上記サイトを参照頂きたい。
*時代語感と言うこと
今回の記事で重箱の隅をほじくるなら、唯一不満だったのは、「先人からの未来へのメッセージ」と言う、通俗的な現代言葉、中でも、カタカナ言葉の採用である。
本来、氏が言いたいのは、先人にとっての「未来」なのだろうが、現代の新聞紙上で地の文として書かれているのを見れば、「未来」とは、今の時点から見た未来と読めてしまう。
「子孫」とか」「後世」と言えば、誤解を避けられると思う
また、「メッセージ」というカタカナ言葉は、例によって、いろいろな意味にとれる困った言葉なのだが、当然ながら、書いた当人である先人には理解できない言葉なので、歴史記録の説明としては、不似合いだと思うのである。
実際、先人は「メッセージ」を伝えるなどと大層な動機から書き残したのではなくて、見た通り、当時の災害の記録とともに、恩人への感謝の想いを込めて、まだ見ぬ後世の子孫に書き残したのではないかと思うのである。もちろん、先人の思いは、推測するしかないのだが、個人的には、そう思うのである。
本当に「メッセージ」として、子や孫の世代に確実に伝えたいのであれば、土蔵にしまい込むのではなしに、家訓、遺訓として、壁に掲示するなり、文書化して継承したと思うのである。
折角、時代資料を丹念に紹介頂いているのに、以上のような文句を言うのは失礼と思うだが、ここに違和感を感じたので、貴重な記事に対する感謝の気持ちと共にお伝えする次第である。