今日の躓き石 NHKが日本語を変えるとき 続
2016/04/12
この「3000安打」の話題は、当ブログの採り上げる「躓き石」の中でも、一段と、些細な言葉遣いに見えることと思う。
別に、「報復」や「謝罪」に連なる重大な言葉でもなければ、報道の使命に反する無神経なカタカナ言葉の乱用というものでも無い。
しかし、およそスポーツの中で、一番関心が高いと思われるプロ野球に関する言葉遣いが、公共放送の方針によってかよらないでか、少なくとも、アナウンサー達の間ではっきりとルール変更を進めて、言葉の置き換えを計っているというのは、どう考えればいいのか、迷うのである。
今朝も、BS-1のMLB中継で、アナウンサーは「3000安打」を連呼している。こと、プロの中のプロの言葉遣いだから、不注意な言い間違いで無いはずである。
安打の数の数え方は、その時の「文脈」で変わるのが日本語の習わしである。ここで気になるのは、「通過点」の呼び方である。そして、直接連なる言葉として、「3000安打」まで、「後**本」というのか、「後**安打」というのか、このあたりで、戸惑いもなく、混用されているのも、必ず、内心で言葉遣いを下拵えしてから口に出す「プロのアナウンサー」であれば、避けようと思えば避けられるので、食い違いが目立つ言い回しが出て来るのが、プロらしいというか、らしくないというのか、一瞬思うのである。
NHKが、あまり事を荒立てずに、日本語の言葉遣いを正しくしようとしている例は、悪名高い「ナイター」に見られる。たいていの人は気づいているだろうが、まずプロ野球界が使い始めて広く普及し、他の分野にも蔓延しているこの「安易」なカタカナ語だが、NHKは、関係者談話やプレスレリースなどの「報道」以外では、泰然として使用しないのである。50年かかろうが、100年かかろうが、自然に廃れるのを待つという感じである。
しかし、今回の「3000安打」は、なぜ「3000本安打」に取って代わることになるのか、意図不明で納得できないのである。
時に申し上げているように、言葉遣いの潮目が変わると、その前後の世代で、滑らかな意思疎通ができないのである。
いや、前回記事の原因になった、BS1番組で言えば、若い世代のNHKアナウンサーの言葉に、少し古い世代のコメンテーターが反応してやんわりと言い直したのに対して、アナウンサーが元に戻して「我」を通したのであるが、互いに、相手の言葉遣いを間違いだと確信しているので、こと、「3000安打」に関しては、世代間の対立構図がうっすらと感じられたのである。
これが、祖父世代と孫世代の間ともなれば、互いに、言葉の通じない、世代間に亀裂の走る事態になるのである。あくまで、些細なことであるが、そうしたことが続けば、いや現実に続くから、世代間の意思疎通が難しくなるのが世の習いであるが、NHKは、そこまでして、この言葉遣いを変える必要があるのだろうか。
いや、別に、天下の公共放送に楯突いてどうこうというものではない。大勢いる視聴者の中には、そのような微細な小石に躓いて、それに気がついて、それを気にしているのもいることをお知らせしたいだけである。
以上
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