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2016年4月 1日 (金)

新・私の本棚 番外 サイト記事批判 塚田 敬章「古代史レポート」~史料としての「日本書紀」

 古代史レポート 翰苑の解読と分析     塚田敬章
 2016/04/01  細部調整/補充 2019/01/09 04/28 06/25
    私の見立て ★★★★☆ 必読

*追記補充の弁 2019/06/25
 最近、当記事の閲覧件数が増えているので、丁寧に読んでもらえることを期待して、末尾に本音を追加した。面倒を厭わずに最後まで見る人なら、簡単に誤解しないと思うからである。

*失礼のお断り
 当ブログは、基本的に商業出版物ないしはそれに相当するサイト記事が対象
であり、個人の運営するサイトの記事は、収入源とされていない以上、書評に属するサイト記事批判は控えたいところであるが、今回も、ちょっと勇み足をさせていただきたい。

 また、記事タイトルは以上のものであるが、以下の論議は翰苑とは無関係である。当ブログ筆者の翰苑論考は、他の記事を見ていただきたい。

*合理的な論考
 さて、当該サイトの運営者である 塚田敬章氏は、具体的な物証に基づく、合理的な、つまり、過去の行きがかりや尊大な感情論でなく、物の道理に基づく思考を信条としている論客と感じ入った。おそらく、理工系の学問を修め、理工系の職務で実務経験を積まれた方と思う。誤解であれば、早合点をご容赦いただきたい。

 塚田氏の展開する魏志倭人伝に関する(難癖とも思える世上の批判に関する)議論の大筋は、当ブログ筆者と相通じる論理によって、相通じる意見を示されているものと思う。拍手喝采である。

 当ブログ読者諸賢は、未読であれば、是非とも、ご一読いただいて、当方の意見が妥当なものかどうか確認いただきたい。何しろ、当ブログのひっそりした風情に比べて、名声を馳せている先輩サイトなのである。

 ただし、当然ながら、塚田氏の意見全部に賛成しているわけではない。以下のご意見に関しては、率直な批判をご容赦いただきたい。
 魏志倭人伝に絞り込んでいる当方の守備範囲外とも思われる点で、いくつか、筋の通らない定説を採用しているのは、賛否を保留したい。

*異議提示
 まずは、中国南朝に遣使した「讃」などの諸王を書紀に記載されている天皇に比定している点である。また、神功皇后の事跡について、書紀の神功紀を史料として採用している点である。

*史料尊重
 氏の立場が、日本書紀を信頼すべきと言うものであれば、日本書紀の記事そのものを文字通りに解釈する立場から出発し、その立場にとことん「固執」するべきと思うのである。

*無関係宣言
 ご存じの通り、推古天皇は、「大唐」に使節を派遣し、その結果、「唐の客」裴世清が来訪したという記事が残されている。そこには、「今回が初遣使であり、これまで、辺境に蟄居していて、中国に天子がいることを知らなかった」ことが、堂々と述べられている。
 つまり、国家元首として、「(後)漢、魏、晋との交流も、南朝(偽)諸国との交流も、全て、自分たちのやったことではない、無関係だ」と明言しているのである。 
 つまり、最近の事歴である「倭の五王」の南朝への遣使は、自分たちの大和政権には関係無いと明言しているのである。 
 これが日本書紀の編纂方針である以上、そのように受け止めるべきではないだろうか。

 それを無視して、
歴史解釈に唯一頼るべき史料を、断片的な中国側史料に合うように切り刻んでは、すらしたり傾けたりして貼り合わせるような謎解きごっこは、日本書紀を尊重する立場には合わないと思うのである。

 いや、あくまで、個人的な意見でしかないのは、ご了解いただきたい。

*武勲の伝承
 また、神功皇后の朝鮮半島での事歴については、真に受ければめざましい事跡であるが、半島側史書には、そのような制覇をされたとは書かれていないのではないだろうか。(国内史料に不案内なための勘違いであれば、申し訳ないのですが)
 「その点だけ日本書紀を史料として信ずる」というのであれば、当方としては、賛成できないとだけ申し上げるものである。

 もちろん、当方が「賛成できない」とか「感心しない」とここで言うのは、関連国内史料がほとんど読めていない個人の勝手な意見であるから、お耳触りであったら、聞き流していただきたいものである。

 追記:先入観・予断の戒め
 塚田氏は、故古田武彦氏の名高い著書を、うろ覚えで「邪馬台国はなかった」と誤解、誤引用して、「魏志に邪馬台国はなくても後漢書にある」のだがら、題名から既に間違っていると速断しているが、古田氏の著書は、正確には『「邪馬台国」はなかった』である。

 出版社は、いつの時代もセンセーショナルなタイトルを好むものであり、「邪馬台国はなかった」なる明解なタイトルを押し立ててきたが、古田氏は、それでは後漢書を無視し不正確なタイトルとなることから、引用符を急遽追加した経緯があったようである。

 とかく、独善とか、自己陶酔的とか、杜撰とか、至高の形容詞を言い立てられている古田氏であるが、ここでは、言っていいことといけないことは弁えていて、何とも地味で堅実な、魏志に邪馬台国はなかった、と限定したタイトル付けである。
 もっとも、口頭では同じ発音なので、伝聞情報は同じになるとも言える。

 ぜひ「食わず嫌い」を抑えて、虚心に同書を読んでいただきたいものである。科学的な批判は、そこから始まるものだと思うのである。

以上

 再追記:もったいない話 2019/06/25
 以下は、大変面倒な話なので、読んで理解いたたげれば、まことに幸いと思うだけである。
 文献解釈の第一歩ということ
 塚田氏の書かれた記事は、広く諸文献の引用を利用して、まことに、信頼できるように思えますが、実際は、諸所で、以下のような誤解丸出しの文が飛び出すのは、どうしたことか、もったいない話だと思うものです。
「神功皇后は魏志倭人伝中の卑弥呼を思わせる女傑でした。にわかに夫を失い、子を孕むという大変な状況の中で、神託を受け、国の舵をとり、そして、成功したのです。」

 しかし、すぐわかるように、これは倭人伝を離れた、誤解そのものです。
 卑弥呼は、生涯独身で、夫につかえたことなどないのです。夫の遺子もいません。卑弥呼は、鬼神に事えたものの、政治にほとんど口を出さず、まして、他国を侵略するいくさを率いたことなどなかったのです。

 これほど明確に異なっている両人物のどこが似ているのかなぜ連想させるのか、理解に苦しみます。まして、書紀の強引なこじつけにも拘わらず、実時代には、相当の隔たりがありそうです。

 対象文章の文字を一つ一つ追いかけて、それだけで、文意を理解することが、文献史学の基本中の基本であり、この件のように、特に、暗号化されているわけでもないのに、倭人伝の文意を読み損なっているのは、何とも、もったいないことです。

*雑音情報による汚染
 このように、不確実な文献史料を議論に取り込もうとすると、その資料自体の誤解に、取り込む時の誤解が重なり、引用する都度、本来の史料解釈に、誤った要素を取り込むことになります。
 つまり、文献解釈は、外部の要素を取り込むことを最小限にとどめるのが最善なのです。

 そのような堅実な解釈を終えたところで、一度、文献解釈が定まったら、そこで「倭人伝」を確定し、他の資料の文献解釈に映るものでしょう。この行き方は、世間の誤解を素さ禹ものですが、一度に複雑なことをまぜこぜにして進めるのが間違いのもとなのです。いや、正しく言うと、どこで何が起こって、誤解が発生したのか、その原因を突き止め、排除するのが、大変、「大変難しい」のです。(わかりやすく言い直すと、人間業では「不可能」(virtually impossible)なのです)

 古来、古代文献に限らず、文書に含まれている情報は、大量の「雑音」に埋もれているのであり、慎重な上にも慎重な文献検討が必要なのです。そのためには、どこの誰が、いつ、どこで、何を見て、どこまで検討したのかわからない、どこまでが情報で、どこが雑音かわからない不確かな外部文書を持ち込むのは、少なくとも、時期尚早なのです。古代史分野、特に、倭人伝の文献検討では、この第一歩がなおざりになっているので、あえて、子供に言うような当たり前の理屈を言い立てているのです。

*慧眼と惑動
 塚田氏は、郡を出たところの僅かな水行記事で、魏志全体はどうであれ、倭人伝では、水行は海岸沿いの移動と読み取る慧眼を示していて、続いて、狗邪韓国からの移動を「始めて海を渡る」と、これも、希な慧眼を示しているのですが、一方、何に惑わされてか、原文を離れて視点を動かし、 最初の水行が引き続き半島西岸の沖合遥かを南下する現実離れした「歴韓国」と決め付けていて、大変、大変もったいないとがっかりするのです。

*玉石混淆

 と言うことで、塚田氏の書かれた文章は、玉石混淆、但し、素人目には、石粒だらけなのが、もったいないのです。
 素人目で、「石粒」にダイヤモンド原石が混じっているのを見落としているかもわかりませんが、さきにもかいたように、いちどに多くのことに取り組まないのが、誤解を避ける最善の政策なのです。(玉石混淆は、もともとは、貴石、宝石に玉が混じっている豪勢な事態の表現かも知れませんが、定説では、玉が、大量の石ころに混じっているという解釈なので、それに従います。)

*再総評
 当方としては、全体評価を落とすわけに行かないので、表現を和らげたから、読んでも、意図がわからないと不評なのでしょうが、安直に白黒付けられないのが実戦なのです。

この項完

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