私の本棚 55 季刊邪馬台國129号 高島忠平「東アジアと倭の政治」 3/4
季刊 邪馬台国 129号 2016年5月
「東アジアと倭の政治」 高島忠平
私の見立て★☆☆☆☆ 無理、無体 2016/06/21 再確認2020/12/25
承前
*迷惑な献上
生口、奴隷説に従い、160人の「奴隷」を献上された後漢朝の役人も、扱いに困ったと思うのである。言葉が通じない、文字が読めない、計数ができない、食習慣の異なる奴隷は、宮廷につきものの「官奴」、つまり、使い走り、雑用要員にも使えず、宮廷内に苦役があるわけでもなく、ひたすら食料を消費するお荷物になるだけである。そして、民間に払い下げたくても引き取り手がないのである。
いっそのことと、献上された160人をそのまま返上するのに、有り余る官奴から志願者を募った160人を足して、賛意を込めた320人の倍返しでもしたのだろうか。記録がないから、どんな返礼をしたのかわからないのだが。壮大な陣容になっても、帰り道は、漢朝のご威光でどうにでもなったことだろう。
*光武帝の奴隷解放
いや、そんなことは、後漢朝のよく知るところであり、古来の奴隷制度自体、社会不安の原因になるから、解放して自由民にするように、つまり、通常の雇用関係にするように布令したほどである。
社会に貧富の差はあるから貧しいものは少ない給金で厳しい労使関係に置かれるだろうが、あくまで自由民の身分にとどめるべきだということである。
*古代奴隷考
というか、古代中国において、奴隷とは、売買の対象となっても、後世のような非人道的な強制労働ではなく、雇用関係の一種だったということでもある。
いや、このような身分は、古代ローマ、少なくとも、共和政時代後期にもみられたようである。ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の伝記では、青年時代、同年代の男子奴隷を伴っていたとあるが、奴隷といっても、自由民の身分を失っていただけで、将来、自由民に復帰できる希望をもって、シーザーの助手兼秘書兼ボディガードとして「雇われていた」のである。
奴隷の制限として、雇い主を選ぶことはできないが、シーザーの奴隷という身分は、貧困階級の者にとっては一種の恩典でもあったであろうと思われる。
もちろん、当時といえども、戦闘時の捕虜は、勝者の権利として敵国で強制労働に落とされたが、基本的に、外交交渉が成立すれば、対価で解放されうるものであった。
いずれも、はるか後世、欧州諸国が、アフリカ大陸で行った理不尽な奴隷狩りとは、まったく異なる奴隷制度であったと思われる。少なくとも、現実離れした一律の非難は控えるべきではないかと思う。
ということで、どの角度から見ても、奴隷が財貨物として通用していたとは、到底信じがたいのである。
*悪意の貼り付けに反対
倭国が、大量の奴隷百六十人を貢献したという記事解釈が、古代に倭国、特に対海国(対馬)と一支国(壱岐)が、食料不足解消のために、人身売買交易を行っていたという「悪意」とも感じ取れる仮説の論拠にされていた。現在の住人に責任はないというものの、根拠の不確かな仮説のままに先祖の汚名を背負っていかざるを得ないのは、不条理というものである。
ちょっと考えればわかるが、奴隷として売り物になりそうな若者を継続して輸出して食料をてに知れていると、確かにも口が減って食料が増えるから、食うに困らないだろうが、いずれ、農も、漁も、猟も、実行するものがいなくなるから、国は食料が得られず、売るべきものもいなくなって、滅びるのである。典型的な自滅策である。
以上の大意に基づいて反駁する記事を公開した後、すでに古田武彦氏が、奴隷160人搬送は執行不可能として疑問を呈しているのに気づいて、意を強くしたものである。
いや、この時期、倭国が、遠路洛陽に囚人百六十人を引き連れて一路貢献できたというなら、当時の倭国の威勢は、朝鮮半島、日本列島を通じて、抜群の大国であり、その物資・兵員輸送能力で、国内統一どころか、朝鮮半島全土の制覇も容易であったと思うのである。
とすると、後年の女王国の貢献までに、国力が大きく衰退したと思わせるものである。
そうした疑問に躓かず、あっさり通り過ぎた点に、地に足のついていないという不満を感じるのである。
未完
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