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2016年6月21日 (火)

私の本棚 55 季刊邪馬台國129号 高島忠平「東アジアと倭の政治」 4/4

 季刊 邪馬台国 129号  2016年5月
 「東アジアと倭の政治」  高島忠平

 私の見立て★★★☆☆ 面目回復                    2016/06/21 再確認2020/12/25
承前

*卑弥呼の神髄
 最後に、最も感心した点を取り上げると、卑弥呼が、単なる神がかりでなく、豊富な情報を把握して、的確な信託を起草したとみる点である。まさしく、我が意を得たりである。そうでなくては、祖霊の意思の意を借りるとはいえ、万人の納得するご託宣は得られないはずである。

*文明の体現者
 講演に便乗して、講師の識見に私見を付け足すと、倭人伝によれば、倭人は、亀卜を行っていたようであるから、卑弥呼は、目前のひび割れを見て、これを、人の理解できる言葉に翻訳していたということのようだ。つまり、生じた割れ目の形状から、そこに書かれている文字を読み解くのであり、何らかの「辞書」を持っていたということである。

 高度の知性と眼力の裏付けがあり、そこに、豊かな情報を加えて、神託を語ったのであろう。

 おそらく、卑弥呼は、少女にして神職に身を捧げ、天才的な識字者であり、漢文書籍を読み解いていたのであろう。そのために、竹簡に加えて、当時としては貴重な紙を所有し、墨をすり、筆を湿して、自身の言葉を書き綴っていたであろう。

 当時は、仏教界から女性が締め出されていた時代であり、してみると卑弥呼の持っていた神性は、多くの女神を擁していたギリシャ/ローマ世界にも匹敵する先進の体制であったのではないか。

 そうでなければ、例えば、易経のような体系的な託宣の知識を身に着けることはできないのである。

 そうした能力は、当時として、超絶的なものであり、したがって、各国指導者の信用を得たのであろう。

以上 

 

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