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2016年7月21日 (木)

毎日新聞 歴史の鍵穴 三丸の悲劇 鍵穴の悲劇

縄文時代の人口減少 食の多様性喪失が原因か
 =専門編集委員・佐々木泰造

          私の見立て☆☆☆☆☆                     2016/07/21

 今回は、毎日新聞2016/7/20日夕刊の文化面記事、月一連載の「歴史の鍵穴」に対する批判である。
 漠然と不満を書き出しては、単なる嫌がらせと誤解されかねないので、具体的に指摘させていただいている。

*タイトル
 「縄文時代の人口減少」と銘打っているが、当記事は、現在の青森市郊外にある著名な縄文遺跡である三内丸山遺跡(以下、「三丸」の愛称で呼ぶ)の調査以外の何物でも無く、タイトル文で、それが全国的な意義のある調査のように決めつけているのが、全国紙たる毎日新聞文化面のタイトル付けの基本を外して、読者に誤解を誘おうとしているかと思わせる。

*図
 今回は、わざわざ、図表を『専門編集委員』が加工して紹介していると宣言されているから、稚拙さを免れそうなものだが、その図の不出来に唖然とするのである。

 図の下段に「住居の数」と銘打って、半分近い場所取りの棒グラフらしきものが描かれていて、右端に単位(軒)として最大100として数字が入っているが、棒が軒数かと思うが、何としたことか、X軸が引かれていないから、高さの出発点がわからないし、X軸目盛がないから、棒の位置が何に対応しているかわからない。
 例えば、エクセルのような集計表プログラムで、データ表を元にグラフを描かせれば、自動的に縦横軸の線が引かれ、目盛の数値が所定の位置に書かれるのだが、書かれていないと言うことは、読者に読まれるのを嫌って、わざわざそれを消したのだろうか。

 それぞれの棒の位置は、最上段にある「年代」が暗示しているというのだろうが、そこまで視線をあげても、軸目盛として書かれていないから、一向にそれぞれの棒が何年のものか把握できない。単なる『絵』に堕しているのである。

 科学論文の図が、科学的なデータの標準的な書式で書かれていないとしたら、読者は、論文の裏付けとなるデータを視覚的に感じ取ることができないのであり、何のための図示かと問われるわけである。誰でも読めるように数表で載せろというところである。

 そういうことで、この図は科学的に意味のある数値データを根拠にしていると見せて、実は、三丸の調査データの主観的な絵解き(視覚化と言うより幻視化)でしかない。

 せめて、現在の青森県、あるいは、東北地方での縄文時代の人口変化を提示して、三丸調査の結果と対比するのが常道と思うのだが、その辺りの配慮がまるまる脱落していて、お話は、三丸住民の食生活の話になっていくのである。

*第一段落 導入部
 記事冒頭の段落は、「縄文時代」「日本列島」の人口推移について、散々冗長なデータと推論を重複して引用紹介して30行近くを消費している(稼いでいる)が、これこそ、グラフで推移の傾向を図示すれば、当方の不評を買わずに済んだのである。

 それにしても、専門編集委員殿には『有効数字』の概念がないから、概数表示の手管を知らず、古代の推定値を縦書き算用数字という字数稼ぎの手口で10や1の桁まで書き出して、読者を唖然とさせるのである。

 それはそれとして、記事に紹介された「推計」によれば、縄文中期の人口は、26万人程度であるが、三丸の住民は、当記事によると、最大で、数百人程度の住民がいたと推定されている。データとして分析するのが可能な程度の数であろうが、全体の0.1パーセント程度の少数者であり、三丸の位置が本州島内で大きく北方に偏していることからも、ここで得られた推定を全国に波及させられるものかどうか、疑問がある。

 また、先ほどに触れたように、百戸程度の集合住宅の調査データが、人口30万程度の当市全体に適用できるのかと疑問を感じるところである。

 言い方を変えると、縄文時代、全国に千箇所の三丸級縄文集落があったのであれば、三丸の調査で、他の999箇所に対して妥当な類推ができる可能性があるが、そのような科学的な位置付けには触れられていない。

*第二段落 中心部
 原発表文に由来すると思われる、カタカナ言葉が登場するが、日本語では、ジェネラリストとは、特に得意科目のない凡庸な秀才のことであり、スペシャリストとは、得意科目ではそこそこに優れているが、専門以外では平均以下になる変わり者のことである。英語のカタカナ化ではないし、仰々しく、万能家、専門家と呼ぶべきものではない。

 このような、稚拙に近い不用意な表現をとったため、言葉自体について追加説明が必要になり、無駄に20行余りの字数を浪費して(字数を稼いで)、しかも原発表者の意図が伝わらない。

 ここで「稚拙に近い」と言うのは、一人前の大人の言葉遣いでないという意味であって、研究内容を言うものではない。

 ついでに言うが、引き続いて「弾力性」と場違いな比喩が飛び出すが、普通、適応力と呼ぶ特性とどう違うのだろうか。少なくとも、人は、バネやゴムになることはできない。これも、字数稼ぎの手管かと思う。

 おそらく原発表者の語感に問題があるのだろうが、そこを適確な、簡潔で誤解の無い言葉遣いに編集して掲載するのが、専門編集委員の責務ではないのだろうか。

 そして、三丸初期の狩猟に重きをおいた食生活、つまり、肉食系の食餌が、後に、木の実を含む菜食の食餌に移行したことが説かれているのだが、それが、三丸全体の嗜好の変化なのかどうか疑問がある。

 ひょっとすると、周辺で狩猟対象の動物が獲り尽くされて、『走狗は煮られ、弓は仕舞われる』事態になったのか、何もわかっていないのである。

 ひょっとすると、狩猟系の食事を好んだ者達が、菜食系に多数を占められた三丸の社会構造の変化に耐えきれずに、移住したのかも知れないのである。いや、単に、別の猟場に移動しただけかも知れない。

 人の食の嗜好は、短期間では変わらないから、肉食系は肉食を続け、菜食系は菜食を続け、それぞれの食文化が継承されたとみたらいいのではないか。消化器の構造は、遺伝で伝わるものであり、遺伝される形質は、食生活が変わっても、いくつかの世代を経なければ変わらないから、やはり、三丸全体の嗜好の変化は、起きなかったのではないか。

 にもかかわらず、三丸の住居数は増加したと言うから、菜食系の食料は、結構安定して採取・貯蔵できたのではないか。ご指摘の「偏食」が悪いと縄文人に説けば、得られる食料の種に応じて食事して、得られる食料の量に併せて日々の生活を営むのが自然の恵みに合わせた生活であり、どこが悪いのかと反論されそうである。

 三丸で食料が安定して得られることが伝われば、移り住む家族が流入するだろうし、三丸では、食料が限られてくれば、三丸に見切りを付けて去る家族が流出するだろう。

 三丸は、共同生活の場でもあったろうから、ある臨界数以下に住民が減少すれば、地域分業の持ち場が埋められなくなって、地域集団の機能が成り立たな くなって、単に、複数の家族が住む場になったろうと思われる。

 もちろん、地域集団が崩壊した後、個々の家族が維持できた生活レベルは、縄文時代当時の生活レベルと比較して、家族の生存が不可能なほど劣悪ではなかったと思うのだが、地域文化に近い心の豊かさは、消えてしまったのではないかと思うのである。

 知る限り、三丸の暮らしに関しては、発掘以来、多くの誠実な研究者によって、意義深い調査と考察が重ねられているはずなのだが、そうした業績を無視して、表面的かつ安直な手順で三丸の偏食による衰亡が語られているのは、乏しい訪問経験しか無い三丸ファンとして遺憾である。

*第三段落 結論部
 物語に「起承転結」が説かれているのは、読者が退屈な序説や重たい本論に耐えているのは、最後の鮮やかな解決で拍手するのを期待したものだが、ここでは「起承」に耐えた読者を待っていたのは、転落であった。落ちが決まったのでなく、すべって落ちたのである。

 『一極集中』と、そこまで一切登場しなかった、当分野では非学術な用語で、できの悪い現代の政治経済用語を、時代錯誤の縄文世界に投げかけて、記事は崩壊する。
  言い方を少し変えると、『一極集中』は、記事読者との合意が明確に成立していない、インチキと受け取られかねない非学術言葉であるから、決め言葉気取りで そう書いた瞬間に、読者の記事筆者への信頼は霧消し、読者が何とか維持しようとしていたコミュニケーションは断たれ、あおりを食った原発表者は、主旨紹介 された発表論文もろともジャンクシュート行きである。しばし瞑目。

 やはり、専門編集委員は、独りよがりの小賢しい言葉遊びを避けるためには、何人かの(辛口の、つまり、信頼できる、誠意のある)仮想読者に下読みしてもらって、(不快な批判を浴びた上で、時には、自稿を書き換える屈辱を潜に克服した上で)ちゃんと理解され、かつ、記事として受けることを確認した上で、貴重な紙面を占有すべきであろう。

 普通の寄稿者は、数知れない屈辱を克服して、掲載に至っているのである。心ある寄稿者は、王道をゆくべきではない。

 確かに、高名な学識経験者が無名な研究者の所説を広く紹介する意義は高いが、連載されているような、不正確で、つたない紹介では、まじめな研究者の世評を落とすだけになってしまいかねないのである。

以上

追記 言うまでもないが、当方は、単なる一読者であり、権威も権限もないから、以上の見解を了解いただきたいと思っても、別に、強制的に従わせようというものではない。

 京都で『ほっちっち』というように、当方は、あなたの親でも、上司でもないので、なんら気にしなくても、何の問題も無い。だから、安心して、断言調で書き連ねているのである。

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