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2016年8月

2016年8月30日 (火)

今日の躓き石 謎の「メンタル」―ハリルホジッチ流

                                  2016/08/30
 今回の題材は、毎日新聞大阪12版のスポーツ面、男子サッカー特集である。

 ハリルホジッチ監督は、最終予選に先立ち、提言書を作成したという。日本語訳であろうが、例によって「メンタル」「フィジカル」も書かれているようで、翻訳として筋の通ったものなのか疑問である。何しろ。監督は、英語を母国語としてないから、mental,physicalという、英語形容詞の一人歩きにも平気なのだろうが、日本語のカタカナ語の意味の不確かさを承知の上で、強行しているのかどうか、本人に聞かないとわからないところである。

 「メンタル」では、(対戦相手より世評が低くても)「勇気」「自信」を持つことだと教えているようだが、スポーツ界一般では、「メンタル」は、「心の」弱点の改善策のように聞こえることが多い。サッカー界独自、ハリルホジッチ監督独自の言葉で貫くのだろうか。引用されている談話によれば、日本の選手の長所を伸ばすものだそうだが、ということは、既に「勇気」「自信」がたっぷりあるので、更に伸ばせと言うことなのか。一つの談話として、言葉の意味がぐらついているようで、不可解である。

 一読者としては、結局、技術論、戦術論などと言い立てても、頼りは精神論なのかと思うのである。或いは、負けたときに、精神面に敗因を持っていけば、監督の責任ではないと言うことなのか。芳しくない感想であるが、正直そう思えるのである。

 今回の記事は、紙面の1/4ほどを占めていて、特に締め切り時間に追われたものではないし、字数もたっぷりあるので、監督のハリルホジッチの「メンタル」を聞けると思ったのだが、「勇気」「自信」のお題目だけで、日頃の練習でそうしたものをいかに強くするかと言うことが説かれていないのは、相変わらず、懸濁状態である。
 誰だって、代表選手として戦う以上、どんな相手にも勇気と自信を持って、ぶつかっていきたいと思っているはずである。それでも、時に気後れするのだから、そうならない何かが必要と言うべきではないのだろうか。「提言書」を読んでも、へえそうですかで終わるのではないか。

 そうそう、相棒の「フィジカル」などは、なんの説明もなしである。
 今更、後十センチ背を伸ばせと言われてもどうしようもないし、もっと筋力強化せよというのか、たっぷり食べて体重を増やせ、ということなのか、(審判に見えないように)相手を引きずり倒す格闘技の訓練をせよというのか、今更指図する意味がわからない。

 このあたり、メディアの担当記者が監督に対して掘り下げないし、自分の理解を一般読者にわかりやすく、素直に伝えないから、この記事を読む前によくわからなかった「フィジカル」、「メンタル」が、読み終わってもわからないままである。意味のわからないカタカナ語に対する読者の苦情に、もっと真摯に対処すべきではないのかと思う。

以上

2016年8月29日 (月)

今日の躓き石 石臼 ジューサー 真っ赤なウソ

                                     2016/08/29
 今日の題材は、特定の報道機関、特別の番組、記事のことではない。

 近頃、「石臼の低速動作を活かした」と称する新しいタイプのジューサーが登場している。
 当ブログ記事筆者は、別にへそ曲がりではないので、そうした画期的な動作自体には文句は何もないのだが、堂々と「石臼」を謳い上げているのは、真っ赤なウソなので、止めた方が良いと言うだけである。

 何のことはない、言っている本人が、石臼を見たこともなければ、どんなものかも調べもせずに、石臼を謳い文句にしている横着というか愚劣な仕事ぶりに、文句を言いたいのもあるし、これでは、石臼に対する誤解が広がると心配しているのである。

 ネット検索ですぐ調べが付くように、石臼は、石臼である
 少なくとも、大昔から、日本で使われていた石臼は、丸くて重い円筒形の下臼の台の上に、 同じく重い円筒形の上臼を回転するように載せたものである。
 一口に言うと、上臼の中心に空けた穴から、豆類や穀類を落とし入れ、上臼を手でぐるりと回すと、上下の臼の間で、固くて乾いた豆類や穀類がすりつぶされ、上下の臼に刻み込まれた溝の作用で、臼の外周から乾いた細かい粉になって出てくるというものである。
 こつこつと上臼を回す手仕事の粉挽きで、固くて乾いた材料から乾いた粉が取れるのである。

 次の粉挽きでは、最初の内、少し前回の粉が出るが、挽いている内に今回の粉が出て来るから、別に掃除も何も要らないのである。もちろん、石臼の粉挽きでカスが出るわけもない。皮付きなら皮まで粉になるのである。

 つまり、歴史的な石臼は、宣伝されているように果実類をすりつぶすものではない。大体、石臼で汁気のものを粉挽きすると、途中に汁やらかすやらが溜まって、石臼で果汁など取り出せるものではない。
 そんなとんでもないことをしたら、後の掃除が大変である。とても重い上臼を持ち上げて、井戸端に運んで、ごしごし洗い、乾かしてから、元の場所に戻すしかない。
 近所が、かわりばんこで借りて使っている粉挽きができなくなって、お仕置き必至である。

 そんな馬鹿馬鹿しい「石臼」などありはしない。大体、石臼は、粉挽き臼であって、果汁絞り器ではない。石臼の真似をしたら、ジューサーなどできない。

 多分、世界のどこかに、石造りの餅つき臼で、餅つきのように杵で果実を押しつぶす「石臼」があるのだろう。絶対ないと言うつもりはない。
 ただし、それは日本の石臼ではない。

 関係者一同、よく調べて、正しい売り文句にして欲しいものである。

 それは、報道するメディアの責任でもある。ウソが来たら、そのままウソを伝えるのが、報道というものではない。

 繰り返すが、低速で果実や野菜を絞りきる動作に文句を付けているのではない。むしろ、従来の高速でたたきつぶすジューサーにない低速の動作は、ビタミン類が失われないので、画期的なものだと思っている。

 それだけに、真っ赤なウソで「石臼」もどきとあおり立てて、後世に恥かきコマーシャルを残さないで欲しいものである。

以上

2016年8月28日 (日)

今日の躓き石 ショパンコンクールの復讐(リベンジ)?

                               2016/08/28
 今日の題材は、まことに残念ながら、クラシック音楽の分野である。
 NHKBS-1で「もう一つのショパンコンクール」と題して、ピアニスト達を支えるピアノメーカー、特に、調律師の挑戦が描かれていた。
 まあ、クラシック音楽といえども、ショービジネスの要素は高いから、例えば、高音のきらめくような響きが、多少攻撃的に聞こえても、聞く人により強く訴えるから、審査員に受け容れられ、そして、出場者、特に、優勝に近い事を意識している優れた演奏者に受け容れられる、と言うことは、自然な成り行きなのだろう。

 特に、五年に一度のショパンコンクールで優勝することが、ピアニストの全キャリアを大きく左右するのだから、スポーツの世界でも殆どありえない過酷な競争であり、勝者とそしてその演奏したピアノのメーカーに絶大な喜びを与え、二位以下の者達は、とてつもない悔しさを感じるだろう。その悔しさを噛みしめて、次は勝者になろうというのは、当然である。

 しかし、だからといって、番組最後の決めぜりふに、五年後の仇討ちを意味する「リベンジ」が登場したのは、どういうことだろう。ここに、番組全部を奈落に突き落とす、巨大な落とし穴を仕掛けているとは思わなかった。
 それは、自然に湧いてくるものだろうが、言ってはいけない、いや、感じてはいけない野蛮な感情である。天下の公共放送、受信料を取り立てて番組制作しているNHKが、けしかけるべきものではない。

 NHKの番組制作担当者は、誰一人、この台詞は、場違いで、この上なく愚劣だと思わなかったのだろうか。
 競争あるところには、必ず敗者があるのだが、敗者が、負けを根に持って、復讐を誓うというのは、天下のNHKにしては、不細工な、不適当な言葉遣いである。してみると、NHKには、用語の規準はないのだろうか。

 五年後、各ピアノメーカーは再登場するだろうから、血の雨が降る復讐劇に期待したら良いのだろうか。

 何とも、情けないお言葉であった。

以上

2016年8月25日 (木)

毎日新聞 歴史の鍵穴 謎の五世紀河内王宮 

大阪城跡の下層
 古代王宮が埋もれた可能性      =専門編集委員・佐々木泰造

          私の見立て☆☆☆☆☆        2016/08/25

 今回は、毎日新聞2016/8/24日夕刊の文化面記事、月一連載の「歴史の鍵穴」に対する批判である。

 今回は、穏当な書き方で有るが、良く見ると大変大胆な主張が発表されているので検証したいができない、あえていうなら、出所不明への不満である。雑ぱくで恐縮だが、市井の諸賢の叡知を広く顕彰する記事として、どこがまずかったか気づいて頂ければ、幸いである。

*五世紀河内宮仮説
 今回の記事は、大阪市教委の学芸員の意見を伝えて頂いているようだが、是は、学芸員の地方公務員としての公務の成果を、毎日新聞社独占と言うことで、この紙面で成果を提供頂いているのだろうか。

 ご当人の詳しい論旨が不明なのだが、燦然としているのは、五世紀、つまり、前期難波宮の二世紀前にこの附近に王宮(と政府組織)があったとする主張であり、まことに大胆である。いつここに都を来させて、いつ、ここから都を移し出したのか、資料を拝見したいものである。

 80年度の調査で検出された柱穴の上の地層から、古代土器片が検出されたという微妙な意見であり、五世紀後半とおもわれる須恵器の破片が出土しているとしているが、どの程度の数量出土したのか不明だから論評できない。

 「柱穴」がいつ掘られたか確証があるのだろうか。また、「柱穴」が示す通り何らかの建物があったと仮定して、それが「王宮」の一部であったと断定的に主張するのは、あまりに大胆ではないか。以下の記事でも、五世紀にこの附近に王宮があったという記録については触れられていない。 

 できれば、そのような画期的発表の基資料を見たいものだが、出所不明では、如何ともし難い。

*七世紀のお話
 七世紀のお話として、図解されている難波宮遺蹟の中枢部の一部が、北北東という半端な方向に500㍍程度離れてあったというのも、不思議な話である。

 記事の末尾を見ると、学芸員は、ここに王宮と言うより内裏があったのではないかと想定しているようだが、復元模型で示されているような難波宮が堂々とあるのに、天皇の寝泊まりは別の場所というのは、なんとも信じがたい。

*公開データ利用のモラル
 今回の説明図は、「写真は国土地理院のウェブサイトより」とされているが、URLもなければ、整理番号もない。白黒でサイズが小さい上に、撮影時期不明、縮尺不明、方角不明。(国土地理院が不親切なのではない)

 説明がないので、どこが本丸やらどこが二の丸やらわからないし、追加記入した、白線や破線枠も、よく見えない。

 記事筆者は、現地事情を承知しているし、見ているのはカラーで大画面だから、良い説明図と思われたのだろうが、夕刊紙面を見ている読者にはちんぷんかんぷんである。
 「近辺」の「法円坂遺跡」が描かれていないのも不満である。

 ということで、今回の記事も、一般人たる読者に画期的な新説を発表する方法として、ほめられたものではないと感じるのである。
 この地区の発掘ができないのは、特別史跡の保護のためと言うより、予算不足が最大の原因だろうから、世論の支持を願って、このようにリークして、予算獲得を狙っているのだろうが、ちょっと、このプレゼンテーションでは無理であろう。

 ちなみに、記事前半で、「織田信長と対立して1580年に焼失した(中略)本願寺」と無造作に書き飛ばしていて、これでは、比叡山を焼き討ちした信長が、同様に石山本願寺を焼き払ったと取られそうだが、そのような因果関係はないと思う。
 中立な書き方として、以下のようにした方が良いと思う。
 「一六世紀後半、織田信長と対立した(中略)本願寺(1580年和議開城後焼失)

 全体に、学術的な発表の記事としては、大変不出来であるが、記者氏は、大先輩の足跡を見て書いているのだろうか。学ぶ相手を間違えているように見えるのである。 

以上

2016年8月18日 (木)

今日の躓き石 好ましくない表現の報道方法

                             2016/08/18
 今回の題材は、プロの報道陣の発言や記事ではなく、選手の発言なので、厳しくとがめるつもりはない。
 卓球男子団体で、銀メダルを取った試合後のインタビューで、唯一勝ち星を挙げた選手の談話である。普通の心理状態でないのに、平静に語っていたことに感心するのだが、頭の中にも不都合な言葉が入っているのが出て来るのはどうしようもないだろうし、個人の責任を問うつもりはない。また、生放送なので、メデイアの側の不手際でもない。

 言うとしたら、特定の相手に15連敗したと言うことは、選手が成長する過程で、相対的に圧倒的な強者として、絶えず前に立ちふさがっていた巨大な壁が、自身の成長につれて次第に低く、小さく見え、今回、遂に乗り越えたと言うことだから、そうした悔しい思いの数々について、相手に「恨み」を持ついわれはないのである。
 だから、「借りを返す」と感じることすら不遜であり、まして、口汚く「リベンジ」など言うものではないと、誰かが教えてあげるべきなのである。

 それを言うなら、これまで楽々退けてきた相手に、オリンピック団体の場で、チーム唯一の黒星を喫して、メンツをつぶされた相手は、どう思えば良いのだろうか。15回貸しがあるから、これで、14回貸しになったというのだろうか、それとも、これで、チャラになったと思うのだろうか。1回借りになったと思うのだろうか。

 さて、メディアはどう談話報道するのだろうか。新聞の場合、ことさらにリベンジを見出し扱いして、この言い方を世に広げるのだろうか。子供達が、喜んで真似ることだろう。
 対決型の競技では、毎試合かならず敗者が出るから、敗者が恨みを抱いて、復讐戦を挑むのであれば、無限の憎しみあいが未来永劫続くことになる。
 何か、間違っていないだろうか

 好ましくない言い方は勇気を持って報道から除外し、報道せず、自然消滅を待ちたいものである。また、何かの折に、「リベンジ」が忌まわしい言葉だと、そっと教えてあげてほしいものである。

 当記事も、直接人名を示さないのは、攻撃して撲滅する対象ではないからである。気づいて改めて欲しいのである。

 当ブログ記事筆者は、社会の片隅にひっそり生きる一私人に過ぎない。経津に、社会改革したいのではなく、不適当な言葉とそのような言葉を言わせる思いを、何とか、いずれ遠くない時代に絶滅させたいと思うだけである。

以上

2016年8月17日 (水)

私の本棚 番外 「邪馬台国論争」一局面 暗号「山上憶良」  番外^2

                          2016/08/18
 個人管理のサイトでの論説に対して批判を加えるのは本意ではないが、ネット世界に於ける「邪馬台国論争」に付いて、当ブログ筆者の感慨を具体的に示すものとして、あえて、率直な批判を加えるものである。

***引用開始****
第一部 邪馬台国ファンを惑わす誤り
 2.古田武彦氏の説の誤り
  2-2 古田氏によるミスリード 

角川文庫に収められた、古田武彦氏の著書『「邪馬台国」はなかった』のカバーには、「古代史論争の盲点をつく快著」と題する、作家小松左京氏の推薦文が載っています。

古田武彦氏の『「邪馬台国」はなかった』を最初に強くすすめてくれたのは、
文化人類学者の梅棹忠夫先生だった。
―― 一読して、これまでの論議の盲点をついた問題提起の鮮やかさ、
推理の手つづきの確かさ、厳密さ、それをふまえて思い切って大胆な仮説を
はばたかせるすばらしい筆力にひきこまれ、読みすすむにつれて、何度も唸った。
何よりも、私が感動したのは、古田氏の、学問というものに対する「志操」の高さである。
初読後の快く充実した知的酩酊と、何とも言えぬ「後味のさわやかさ」は、
今も鮮やかにおぼえている。

こういうのを、絶賛というのでしょうが、小松氏は、まんまとごまかされたのです。
***引用終わり***

 いや、説得しても聞き入れてもらえない状態で、言い足すのも何なのだが、やはり、人の道として見過ごしに出来ないので、付け足すものである。

 所詮、個人の意見は多種多様、言論の自由、表現の自由もあるので、当方の意見を聞き入れよと言うつもりはないが、率直な批判をさせて頂くのである。

 言うまでもないが、当方にこの件に対する反論をコメントで寄せられても、対応、公開は、保証しないことを申し上げておく。

 当ブログ筆者が、何か言わずに言われなかったのは、古田氏著書に小松左京氏の推薦文が入っていたことについて、小松左京氏の見識を誹謗するサイト記事になっていたからである。誹謗中傷は、学術的議論に於いて、排除されるべきであると考えるのである。

 それでなくても、自分の理解を超えた意見について、十分理解することなしに、嘘つきとか詐欺師とか、度を超えて誹謗・罵倒するのは、好ましくないのは自明と思うが、「小松氏」が「古田氏」の著書に大して個人的な感想を述べているのに、第三者が「小松氏は、まんまとごまかされた」などというのは、誰が考えても行きすぎと思う。

 小松氏は、サイト管理人と古田氏の「私闘」に直接関係のない局外者である。推薦したとは言え、腰巻きをネタに個人攻撃されてはたまるまい。また、故人となって久しいので、当人には反論も出来ないのである。

 当方の知る限り、小松左京氏は、博識で万事に豊かな見識を持っていて、他人の所説に対して上っ面の感触だけでのめり込む人ではなかった。知人であっても、社交辞令に美辞麗句を連ねる人ではなく、著書に不満の点があれば、相手の逆鱗に触れるのを怖れず率直に批判する人であったと思う。不審であれば、小松左京氏の著作を熟読してほしいものである。

 古田武彦氏の「邪馬一国の道標 」(ミネルヴァ書房 2016年1月復刊版)の巻末に両氏の対談が収録されているので、それぞれの見識を確認されたらどうだろう。小松左京氏と古田武彦氏は、それこそ長年の同士であり、互いに相手の内面を知り抜いている間柄だったのである。聞きかじりでどうこう言っていたのではないのである。

 当ブログ筆者は、知識、見識、向上心の全ての面で、二人の域には大分というか到底というか及ばない。二人とも故人となっても、後進のものに到底追いつけない先駆者と思うのだが、もちろん、その意見を押しつける意図で言っているのではない。一度、自分の意見が妥当なものかどうか、よく考えて欲しいと言うだけである。

 ついでのついでだが、小松氏共々、だまされたことになっている「文化人類学者の梅棹忠夫先生」は、未知、ないしはそれに近い、往々にして未開の人間社会に入り込んで、大量の現場情報を採取し、それに基づいて、当該社会の「文化」を読取り、絵解きする学問分野の大家であり、生のデータから「事実」を読み取るかたであった。古代史学の先入観を押しつける姿勢と対極の人であった。

 我々一般人はともかく、梅棹、小松の両氏ほどの知的な巨人達ををだますのは、とてもとてもできないことだと思うが、そう思わないと言われたら何も言い足すことはない。付ける薬がないのである。

 思うに、この部分を削除してもサイト記事の威容を損なうものではないので、削除した方が良いのではないか。

以上

*誤字訂正など     2018/01/09

今日の躓き石  「地獄のような日々」

                                2016/08/17

 今回も、題材は毎日新聞夕刊スポーツ面である。リオ五輪報道記事のシンクロペアが銅メダルを取った、大変おめでたい報道であるが、先日のヘッドコーチインタビュー記事と合わせると、大変不穏当な記事になっているのである。

 「地獄のような日々、報われた」

というのは、選手談話の引用なのだが、なぜ、ここで見出しにして大書しているのかわからない。 

 「地獄」という強烈な非難の言葉はあっても、当人がメダルを取ってうれしかったという言葉はあっても、感謝の言葉は書かれていない。「感謝の気持ちも示した」と言うが、口に出せなかったのだろうか。 

 「地獄」の責め苦にあうのは「罰」であり、「罰」を受けるのは、現世で罪を犯したからである。どんな罪を犯したというのか、どう罪を悔いて救済されたのか、深い言葉を無造作にまき散らしたものである。

 いつも言うのだが、選手は、言葉遣いを誤ることがある。自身で地獄の責め苦を知っているはずがないから、誰か、悪意のあるものが教えた言葉に違いない。誰も、勘違いをただしてくれなかったのが、不運というものである。
 そうした心得違いを優しく導くのが、報道の責任でもある。誤解を招く比喩をそのまま世に出して、選手に恥をかかせるのは、地獄の鬼の所行であるが、それは鍛錬の意図があってこそのことである。今回など、一種の悪例となっているように思う。

 元に戻ると、地獄の責め苦は、コーチが課しているのである。これではコーチは、地獄の鬼扱いである。
 それまでのコーチは、地獄の責め苦を与えない、仏様のような存在だったのだろう。地獄の鬼を海外追放してくれたという意味で、仏様だったのだろう。そう聞けば、それまでのコーチは、うれしいのだろうか。

 もちろん、当のコーチは、地獄の鬼のように鍛錬が過酷で悪かったなどと謝罪はしていない。「まだ文句はある」と厳しい。まさしく、鬼コーチである。

 以上、毎日新聞の記者であれば、コーチに対する安直な弾劾記事でなく、鍛錬と成果の関係について、具体的に書き残すべきではなかったかと思うのである。
 それとも、仏様のように耳当たりの良いブログ記事を書くべきなのだろうか。

以上

今日の躓き石 毎日新聞の恥 「リベンジ」の蔓延

                                 2016/08/17
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊13版のスポーツ面、バドミントン女子ダブルスの報道部分である。つまり、今回も、世界に冠たる毎日新聞の社命をかけたリオ五輪報道である。

 選手の談話で、「リベンジできたことがうれしい」と引用されているから、選手自身の言葉なのだろうが、だからといって、わざわざ書き立てるのは、悪趣味であり、選手いじめに近いのである。選手だって人間であるから、まずいことを口走ることもある。それをそのまま、と言うか、殊更に取り出して、選手の人間像を歪んで伝えるのは、報道の正しいあり方とは思えない。これでは、記者の軽率な書きぶりが、毎日新聞の恥になって、後世に伝わっている。

  1. 選手は、自分の言葉が、悪い言葉だと気づかず、新聞に載ったから、ほめられたと思うから、使い続け、友達にも広める。
  2. 読者は、毎日新聞が載せたのだから、これは良い言葉だと思ってしまう。自分でも使い、友達にも広める。
  3. 読者は、スポーツ選手は、スポーツ精神ではなく、負けけた相手に仕返しをする残虐なことに生き甲斐を感じていると思ってしまう。子供にも、スポーツは、やり返すものだと教えてしまう。
  4. 紙面に載った記事は残るので、選手の思い違いが後世に残る。選手は、言葉遣いに無神経な人だと記憶されてしまう。強ければ、何を言っても良いのだと思ってしまう。
  5. 記者は、自分が気の効いた報道をしていると思ってしまうから、ついには、大見出しにしてしまう。

 意地悪く言うと、『世に盗人の種は尽きまじ』。いくら、正しい言い方を勧めていても、悪用はしたたかに生きき続けるのである。

 大抵の試合は、何かの意味で、仕返し戦である。自分が初顔でも、同僚や先輩の借りを返すのかも知れない。紙面は、「リベンジ」の山になり、スポーツはスポーツでなくなってしまう。
 幸いそうなっていないと言うことは、大抵の記者は、こんなつまらないことを書き立てて、自分の名前を汚したくないのである。他にも、書きたいことは山ほどあるのである。後ろ向きの汚い言葉など、触るのもいやだと思っているのである。記者精神は、地に落ちていないと思いたい。

 記者は、言葉を大事にして、紙面を汚すことを怖れて欲しいのである。

 因みに、選手の言う『リベンジ』は、、現代カタカナ語では、その一,『仕返し、復讐、血祭り、天誅』と言う、血なまぐさい行いであり、世界に広がる不穏な破壊活動と同じ精神に根ざした言葉である。

 近年増えてきた『リベンジ』は、現代カタカナ語では、大輔流のその二,『再挑戦』と言う、平和な軽い意味であるが、カタカナ言葉が一人歩きして、その一の用法が蔓延っていると誤解され、誤解された流行が広がっている。その意味では、その二が、ほとんど収まっていたその一を復活させ拡大した悪の根源である。

 そんな風にカタカナ語に二つの意味があることも知らずに、無頓着に悪用例を紙面に書き付ける記者の「破壊活動」が目立つのである。

 くれぐれも誤解しないでいただきたいのは、当ブログ筆者が、反省を促しているのは、新聞のゴールキーパー「校閲部」である。
 
当の記者は、自分が「毎日新聞の弱点」だとは、さらさら思っていないし、ここに書いたことを言われても、別に気にしない可能性が高いのである。言われて気づく程度の感性があれば、とうに自分で気づいているだろうと思うのである。まさしくもダイハードである。

 誤字や誤記を訂正するのは、校閲、校正のイロハである。そんなことを自慢せずに、新聞の神髄を守ることに努力してほしいものである。メディアの力は、悪用を根絶させる攻撃的なものでなく、悪用例を世に出さないことなのだが、5年、10年かかっても、良識ある行動で自然消滅をさせていただきたいものである。

 念のため言うなら、当ブログ筆者は、政府高官でもなければ、新聞社の大株主でもない。自分の信ずることを書いているだけである。当事者は、別に、何を強制されているわけでもない。自分で考えて自分の分別で行動していただけば良いのである。

以上

2016年8月15日 (月)

今日の躓き石 「リベンジ一歩」 毎日新聞の堕落の兆しか

                                2016/08/15
 いや、長生きはしたくないものである。終戦記念日の毎日新聞夕刊の見出しに、復讐の叫びを見て、

血で血を洗う復讐

は、終わらせなければならないとみるのである。

 天下の公器が、言葉を選ばずに、このような、いたずらに敵愾心を煽るような忌まわしい見出しを載せるとは、いかがな物か。

 この言い分に文句があるなら、なぜ、無用な

誤解を招く野蛮なカタカナ語を、

よりによってこの日に大見出しにしたのか


紙面上で説明いただきたいものである。

 今回は、相手チームに失礼なとか、子供に悪い、汚い言葉遣いを伝えるなという程度の物ではない。国民全てに対する侮辱である。

 訂正社告ものではないかと思うのである。

以上 

 

 

 

私の意見 東呉孫権 景初三年公孫氏支援の謎

                      2016/08/15
 倭国の景初遣使について調べていると、関連している景初二年の曹魏太尉司馬懿による遼東征討について、呉主傳に奇妙な関連記事がある。

 呉主傳は、陳寿が、東呉史官が公式文書を集成した「呉書」を忠実に収録した史書であるから、皇帝孫権の事績であり、正確なものとして扱いたいところなのだが、筋の通らないものである。

 以下、二回にわけて、手短に筑摩書房刊 三国志の日本語訳を謹んで引用させていただく。(下線段落である)

 赤烏二年(二三九)の春三月、使者の羊衙と鄭胄、将軍の孫怡とを派遺して遼東におもむかせ、魏の守備の将の張持・高虛らを撃って、その配下の男女を捕虜とした。

 ここで東呉の赤烏二年は曹魏の景初三年という扱いであるが、魏書によれば、前年景初二年の九月に遼東の公孫氏は滅んでいる。その際、公孫氏の関係者が悉く亡ぼされていて、遼東には曹魏の占領軍しかいない。

 とういうことで、公孫氏が滅んだ後の景初三年の春に、東呉が使者や援軍を派遣するはずがないのである。

 三国志本文ではないが、裴松之の注で、「文史伝」を引用してさほど重要人物とも思えない使者鄭胄の事歴を紹介しているのは、この派兵記事の紀年に首を傾げた裴松之の異議を示唆しているのではないかと思われる。

 『文士伝』にいう。鄭胄は、字を敬先といい、沛国の人である。(中略) のちに宜信校尉に任ぜられ、公孫淵の救援にむかったが、結局、魏に破られ、帰還したあと執金吾の任にうつった。

 と言うことで、東呉が使者や援軍を派遣したのは、景初二年(二三八)の春と言うことになる。斯く斯くたる戦果は、いわば、皇帝の偉業を頌えるための文飾であり、まともに司馬懿配下の大軍と戦っていれば、命からがら逃亡したであろう。何とか、数人の名もない兵士を連れ去ったと言うことのようだ。当時、司馬懿が女兵を帯同していたかどうかも不明である。
 因みに、その時点、楽浪・帯方の両郡も、既に魏の早期制覇で公孫氏の勢力圏を離れていたのである。

 なぜ、この事件に関して、東呉と曹魏の暦が一年ずれたのか、わからない。わからないことは、わからない

以上

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今日の躓き石 「歴史」の恥塗り替えに反対~再論かな

                                  2016/08/15
 近来のメディア報道で、『歴史』を作ったり、書き換えたり塗り替えたりする「歴史改竄」の大安売りについて、いつも気にしているのだが、NHKまで加勢しているからそうなのかと寂しくなるのである。

 くどいようだが、歴史は、その始まりから今日まで、連綿として続いている大きなものであり、今日、誰かが何かをしたからと言って、新たに作ったり、書き換えたり塗り替えたりして「「歴史改竄」など出来ない、とてつもなく大きな物なのである。

 大事な言葉を、軽率に大安売りするつまらない発言もまた、不朽の歴史に書き込まれていることを自覚していただきたいものである。

 スポーツ界の業績にしても、誰かが、記録を破ったからと言って、それ以前の記録は、歴史に残っていて、人々の記憶にとどまっているのである。
 NHKともあろうものが、もっと、丁寧に語ってほしいものである。先輩達の貴重な業績を、単なる遺物(レジェンド)として葬り去るのでなく、生きた物語として子供達に伝えていくのが、使命ではないのだろうか。

以上

2016年8月13日 (土)

今日の躓き石 「メガネ型AR HMD」の恥を知らない売り

                              2016/08/13
 今回は、何とも「外れた」売り文句である。

 “歩きスマホ”しなくて済む? Pokémon GO対応のメガネ型AR HMDが国内発売

 「歩きスマホ」が非難されるのは、「スマホ」を使っているからではなく、つまり、「スマホ」が悪なのではなく、使用している者達が公道を前方を見ずに歩いていて、いずれは衝突事故が必至だからである。

 HMD(ヘッドマウントディプレイ)を着用していて、一応前方が見えていても、注意がディスプレイ表示の方にそれていれば、見ても見えないことになるのは、当然である。

 そうしたことを考えもせずに、いや、考えても気のしないで、不注意な消費者に売りつけるのは、率直に言って、「良心」のない金(かね)の亡者である。脳内の知性回路の線が外れているのではないか。

 もちろん、もっとたちが悪いのは、そうした行動が広がるのを知っていて、平然と発売した開発者である。自分たちのせいで何人犠牲が出たか、壁にかき立てて喜ぶ趣味でもあるのだろうか。

以上

今日の躓き石 リオ五輪 せめない戦評を望む

                      2016/08/13
 今回は、言葉遣いの誤りで躓いたのではない。毎日新聞夕刊のリオ五輪報道で、「アトランタ以来の予選落ち」と大書した記事で、先頭を泳いだ選手が「日本の弱点」、二〇年来の不出来の敗因として責められていたからである。
 追い打ちするように、その後に、記事の半分近い字数を費やし、色々書き連ねて、名指しで個人の力不足をかき立てている。

 いくら、国の代表として大勢の応援を背にしていて責任を感じていても、チーム不振の責任を個人に叩きつけけられて、新聞紙面とは言え、対話で言うなら大声で罵倒されているような「責め」を受けてはたまるまい。

 くれぐれも、勝てなかった選手を責めない戦評をお願いしたいのである。

 よく考えて欲しいのだが、まず、代表チームの人選は、関係する指導者陣が目下最善として決めたものであり、当の選手が、自身について全国紙の紙面で苛烈に責められる理由はない。
 今回のオリンピックは、突然決まったのでなく、五年も十年も前から、この日に向かって、おおぜいが努力していたのである。その結果が思わしくなかった責めは、もし誰かが責めとして受け止めなければならないとしたら、関係者全員の負うべきものではないのだろうか。つまり、どうしても、敗因追究したかったのなら、日本の水泳のメドレーリレー候補選手全体が弱かったのである。そう事実を見つめても、誰かを責めるものでないことはわかるはずである。

 今回の五輪で、チームが予選で敗退したのは、「チームの力」が足りなかったのであり、誰か一人が責められるべき物ではない。チーム自身は、そう考えているはずである。そうでなければ、チームではない。

 そう考えると、当事者でない記者が、目前にレースの結果を見ていたとはいえ、報道のためとはいえ、なぜ、敗因を一人に求めて手痛く責めつける記事を書いたのか、ここに居る一読者は理解できない。

 遠く日本から応援している人たちの大勢が、このような報道を求めているのだろうか。

 誌面を眺めては、ため息をつくのである。

 署名した記者は、新聞報道の世界では、天下無敵の武器を手にしていて、選手を責めても責め返されることはないし、出場しないから敗退することはない。


 だからこそ、自分で自分の言葉の力を律するものではないだろうか。

以上

2016年8月12日 (金)

個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ 11/11(完)

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前

 以下、更なる余談である。あちこち探し回っていると、ぞろぞろと余談が流れよってくるのである。言うまでもなく、随想であって、何かを主張する意図で書き留め値ものではない。

*倭国温暖 常春の楽園
 倭人伝で、倭国の亜熱帯かと思わせる温暖さが強調されている点については、「東夷伝」の史料としての構成を見るべきである。遙か、扶余、高句麗、韓と続いているが、概して、寒冷地なのである。三韓の南部は、倭国に近いが、東夷伝の読者になじみ深いのは、西域、匈奴、烏丸の居住地の乾燥、そして、高句麗、楽浪、帯方の冬の厳しさと思われる。

 半島から南へ三度の渡海で到着した倭国は、それまでの韓諸国と異なり、一年を通じて温暖であり、夏の暑さは、むしろ、華南の湿潤な亜熱帯風土を思わせると言いたかったのであろう。

 このような温暖で湿潤な風土であれば、水田耕作で、そこまでの諸東夷に比べて、豊富な収穫を得られる風土を示唆しているのである。その結果は、倭国内の各国の戸数にも示されている。戸数の多さから知れる人口の多さは、農業収穫の多さの反映で有り、倭国は豊穣の地と頌えているのである。

 こうした水田稲作の効用は、それまでの中原人の常識では、不毛の辺境とされた蜀や呉の打って変わった豊穣さに通ずるものがあったのではないか。三国志で描かれる中原の諸勢力の抗争で、食糧不足が、戦闘継続を不可能にするほど、飢餓が蔓延していたのを思い起こすのである。

以上

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個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ 10/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前

*大家の危機
 本書執筆時、まだ、執筆者は数えで六十歳前と思うのだが、既に、学界で最高峰の名声と権威を有した大家であり、深い尊敬を集めていて、玉稿のアラ探し、ダメ出しなど、畏れ多くて誰も引き受けなかったのだろう。

 しかし、上であげた指摘は、つまらない雑感の表明であり、執筆者の定見の不可欠な基礎をなすものでもなんでもないので、その旨、誰かがさりげなく指摘して、記事から削除すれば良かったのである。もったいない話である。
 そのせいで、遙か後世になって、素人にアラ探しされるのは、ご本人には不本意と思うが、世の習いというものだろう。

 こうしてみると、どんな学問分野でも、大家とは安泰な境地ではなく、陥穽の淵に臨んでいるように思うのであるが、当ブログ筆者のように、一介の私人、まるでやせていない「やせ蛙」には、無縁の危機でもある。せいぜい、ほっといてくれと叱られるのであろう。

*総括
 この章記事を全部読み通しても、なぜ、角川書店が、出版社として全力を挙げて編纂した「日本文学の歴史」と銘打った大著の「ムラからクニへ」の章で、このように、趣旨を外れた魏志倭人伝批判が展開されたのか、よくわからない。

以上

 

未完

個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  9/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

   私の見立て ★★★☆☆        2016/08/12
             以外★★★☆☆

承前
 以下、少し余談めいた感慨を述べたい。

概数論~大家の勘違い
 執筆者の経歴を拝見すると、若くして工学部系の学問を修められているので、その頃に、理工系の思考を身につけておられたものと思うのだが、考古学の分野に志されて文学部(考古学は、文学部に属する)に転じられたので、理工系の感覚が鈍ったのではないかと、憶測している次第である。
 と言うのは、と言うのは、記事中で、中国の史家が、百、千単位の概数で語ることに対して、大雑把であるとの非難を示されていることである。
 具体的に言えば、戸数、そして、道里の表記を指しているものと思うのだが、これらの数字は、概数で論ずるしか無いもので有り、言うならば、有効数字二桁程度のデータであれば、概数で語るのが正しいのである。

*概数の正当さ
 今日の科学的社会でも、建築業者が住宅設計するときは㍉単位であっても、近所を案内するときは、㍍単位で距離を語るであろうし、例えば、大阪から博多に新幹線で移動するときは、百㌔㍍、十㌔㍍の概数で語るはずである。

 元に戻ると、帯方郡から狗耶韓国までの七千里は、東夷伝全体の流れから見て、百里、千里単位の概数であるし、各国の戸数は、見る限り、千戸単位程度の概数となっていると思うのである。いや、韓伝を見ると、百戸単位かも知れないが、それは、元々のデータの精度も関係していのである。因みに、帯方郡管内の戸数は、一戸単位で集計できたことが知られている。
 それこそ、今日でも、経理関係の計算、銭勘定は、一円単位の正確さを要求される。例え、一兆円規模(十二桁以上)であってもである。世界が違うのである。

 調べれば、新大阪博多間の鉄道路線長は、㌢単位で示せるだろうが、そんな高精度の数字は、普段の生活には意味が無いのである。また目的地までの直線距離は、地図上で㍍単位で出せるとしても、歩いて行く道のりを実測して、そんな高精度では示せないのである。それこそ、道のどちら側を歩くかで㍍単位の差が出る。

 つまり、書かれている数字が細かいほど、桁数が多いほど、データの精度が高いというのは、素人考えの誤解であって、工学・実用の徒は学業の一環として適切な判断を習っているはずなのだが、若き日に工学を学んだ執筆者の健全な感性は、学界の世俗の垢に染まって撓んだのだろうか。
 いや、現実世界では、実務に長けた技術者ほど、合理的思考をどこかに忘れて、神がかりの思考に陥りやすいのであるが、それは別義である。

 僭越ながら、当記事で批判を繰り返しているのは、執筆者の工学の徒としての初心を、執筆者に成り代わって適用したつもりなのである。

未完

個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  8/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前
*国内伝承との食い違い
 ちなみに、書紀などの国内史書で、黥面文身や貫頭衣の記事が見当たらないとしたら、書かれている風俗は、国内史書が取材した中和の風俗ではないと言うことではないだろうか。

 倭人伝の記事は、字数の制約で極度に切り詰められているが、それ故に、衆知自明の字句は削除され、重要な事項が残されたはずである。

 従って、字句が一見断片的であっても、この時代、既に、養蚕や絹織物があったというのは、技術の前提として、繭や桑の種と共に、織機も渡来していたのではないかと思量する。また、山野に自生する楮などを利用する製紙技術の萌芽もあったのではないか。中和に、このような遺物の出土がないとしたら、それは、記録したものが、中和に来ていなかったという傍証になるのではないかと愚考する次第である。

 いずれも、記録者がウソ(虚言)を書いたとか、編纂者が想像で書き募ったとかの論拠で、確証なしに早計に否定すべきものではないと愚考するものである。染色、柄織などの技術を感じさせる、高度な絹織物である錦織で言えば、倭国から魏朝に献上されたと記録されているので「あった」のであろう。

未完

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個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  7/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前
*頷けない、躓く例証
 この囲み記事でまず躓くのは、「『魏略』も『魏書』も、日本列島が朝鮮から南方へ長くのびていると想像していた」との断定であるが、そのような証拠となる史料はないと思われるし、補足説明もない。

 また、「倭人伝なる素性のよくない盆栽」の剪定屑を二例並べているが、どこがどう気に入らなくて、なぜ、どんな風に剪定・排除したのか示されていない。

 中でも、一例目の黥面・文身に関する下りについて 執筆者は、「大人も子供も、身体に文字を入れている」と理解しているが、「男子無大小皆黥面文身。」という原文の誤解ではないかと思われる。もちろん、そのような日本語訳を提供したものの責任であるが、最終責任は、執筆者にあると思うのである。

 「男子」は、当時の規準とは言え、「成人男性」のことであるし、「大小」と言うのは、身体の大小ではないし、もちろん、大人と子供を言うのではない。おそらく、身分の高い者と低い者を総称しているのである。倭人伝で『大人』と云うとき、それは、おとなの意味でも無ければ、大男の意味でも無いはずである。

 二例目の「着ている衣服は」の下りは、ますます剪定・排除した意図がわからない。古代の風俗は、各地で異なっていたはずだから、一律に、この描写の適否を言い立てることは出来ないのではないかと愚考する。

 案ずるに、比較的温かい、と言うか、夏蒸し暑い中和であれば、両脇が空いている貫頭衣は、涼しくて良いのではないか。

未完

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個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  6/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前

驚きの銅鏡配布中心
 魏志倭人伝非難が溢れる記事中で、大きな意義を感じることなく、大変興味を惹かれたのは、魏志倭人伝と、実は関係の薄い「三角縁神獣鏡」の同笵鏡配布に関する議論である。

 但し、「三角縁神獣鏡」が、倭国の貢献に対する女王への進物として、魏からもたらされたものかどうかは別義である。
 ここで展開されているのは、遺物の発掘状態から、「三角縁神獣鏡」の配布の中心が、木津川にのぞむ椿井の大塚山古墳山城国附近にあった示唆する図が示されていて、興味を惹かれるのである。

*古代街道の萌芽
 図示された銅鏡の配布中心は、今日で言う新幹線や高速道路の経路に近く、古代に於いても何らかの街道の通過点、交通の要衝であったとの、可能性を示しているもののように思う。

 ここで、「街道」と言うのは、単に道路が続いているだけでなく、要所要所に『宿場』の役を果たす集落があって、物資を運ぶものが、大量食料を持参せず、やすやすと物資の運送や人員の移動が出来たというものである。

 そのように、物流や交通の要衝にあって、「三角縁神獣鏡」のような貴重な、後年の言い方で云えば、高価な財貨物の配布の中心を支配していたものは、独立した権力を持つ地方勢力だったはずで有り、当時としては、かなり遠隔の中和倭国の支配下にあって、単に、その指示に従って「三角縁神獣鏡」の配布を担当しただけだという議論は、物の道理に反していて信じがたいのである。

未完

 

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個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  5/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆
承前

*主観的な史料評価と採否
 倭人伝記事に対する評価は、執筆者の心の揺れに応じて、うねっているようである。

 「官吏の名称を卑狗とか卑奴母離とかの文字で表記しているのが、ヒコやヒナモリという昔を伝えたものとすれば、当時の言語がのちの彦・夷守という日本語と同一であったことを証明する重要な材料になる。」
 ここでは、壮大な仮説の証拠として援用されているのである。

 このほか、「魏志」倭人伝は、倭国の風俗習慣や産物などについても、詳しく言及しているが、かなり想像をまじえたものとみられるから、いまは引用を避けておきたい。
 「ただし、かりにその報告がかなり正確なものであったとしても、『魏志』倭人伝の記事は、撰者である陳寿や、彼が参考にした『魏略』を編纂した魚篆が、想像をまじえて作文した部分を含んでいるので、そのまま全面的に信頼することはできない。
 「『魏書』東夷伝の執筆にあたって、陳寿は『魏略』の文章をしばしば借用した。しかも、原文に多少の変更を加えたので、真実から遠ざかる結果になった部分ができた。

 と言う具合に、執筆者の気に入らない部分には、主観的な理由を付けて、容赦なく排除する方針なのである。
 こうした判断は、全面的な断言となっていないので、当方は、批判しても否定は出来ないのだが、こうした当てこすりは、学術論考では、感心しないのではないかと思うのである。

 また、素人目には、「そのまま全面的に信頼することはできない。」というのは、史料に対する態度として、極めて健全であり、むしろ。肯定的な意見と見る。よって、一見否定形の構文は、かなり信頼性の高い史料への評価と見られ、そのような史料の一部を信頼できないとして除外する際には、的確な根拠の元にそのような判断が示されるべきものと思う。

未完

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個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  4/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前

*ムラからクニへ=場違いな議論
 本書は「日本文学の歴史」であり、当巻は、日本文学の揺籃時代、まだ、文字記録のなかった時代の人の想いを語ろうとしているのである。

 当記事の章題を信じるならば、ここには、それまで、今日の日本という国家の形成過程で、後世国土となる領域に、ばらばらに、つまり、時には離散していたムラが、三世紀前半の中国との文化交流を契機に、次第に発展的に結集して、クニとなる姿が描かれているものと期待するのだが、実際は、そうした筋書きは書かれていない。

 ここで、執筆者は、弥生時代の文化を探る手管として、「邪馬台国」の「中国』(魏朝)との交信は取り上げざるを得なかったようで、けっこうページ数の大半を費やしていると見えるが、本書の語りの中では、違和感を感じさせる。また、いわば、剪定によって枝を刈り摘める手業が見えるのである。

 つまり、この時代の「日本文化」を探る上で、同時代の文章資料として、ほぼ唯一の魏志倭人伝が厳然と聳えているそびえているので、できることならこれを何とか手元に取りこんで、出来ないときは難癖を付けて排除して、以下、本ブログ筆者がしきりにぼやいているように、あたかも盆栽を丹精するが如く、執筆者の意のままの形に仕上げて、持論の一部としようとしているように見えるのである。

未完

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個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  3/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前

 本論に入ると、何にしろ、三国志魏書東夷伝倭人条(とは書かれていないように思うが)は、紀行文学ではなく、現場調査の報告文書や王朝官吏の業務記録を活用した知的、民族的記録なのである。編纂者は、原データの忠実な編纂に努め、自身の感性に従うオリジナリティは、追究してはならないのである。

 必然的に、他の史書や資料からの引用記事が大半になるのは、全知全能ならぬ史官として、仕方ないところだろう。ただし、編纂する以上、不正確な風評や偏った筆致、果ては、実証されない創作などは、排除したのである。こうした編纂が、適確、確実であったことは、後年三国志全巻に注釈を追加した南朝劉宋の裴松之が書き残しているところでもある。

 何しろ、裴松之の注(裴注)が施されたことにより、陳寿の編纂した三国志、陳寿原本は継承されなくなったのである。

 そのような課題が控えているにもかかわらず、この囲み記事では、実際には、倭人伝の史料としての「信頼度」は語られていない。
 以下の議論で、執筆者は、倭人伝記事を細かく取捨選択して、気に入ったところだけ、採り入れているようである。

未完

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個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  2/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前
*陳腐な不興 
 以下引用した冒頭囲み記事「『魏志』倭人伝の信頼度」を、「魏志倭人伝」と言う史料の紹介でなく、タイトルに対する口吻で始めている。

 世間に通じている「魏志倭人伝」なるタイトルは、遙か後世の、多分日本人が、便宜上付けた通称であって、いくら刊本に記載されていても、陳壽が編纂した本文ではない。よって、この通称は、倭人伝の史料としての信頼性には関係ない。

 因みに、遙か後世の南宋時代の版本である所謂紹凞本では、倭人記事の直前に、一行を費やして、「倭人伝」と書かれていて、世に「倭人伝」と通称される一因と見られる。
 また、各種資料に引用される際、「魏書」、「魏志」の両様であり、別に「魏志」と呼ぶのが間違っているわけではない。

 念のために言うと、史官である陳寿は、三国志を「編纂」したのであり、紀行文学を「創作」したのではないから、オリジナリティー(創作性)を狙ったものではない。。

 このような余談めいた書き出しは、以下の展開と相俟って、執筆者の先入観というか偏見を押しつけるものである。

 ついでにダメ出しすると、当時の言葉で、「中国」とは、魏の統治していた中原のことであり、呉、蜀は、中国に割拠していたのではなく、辺境を支配していたと見られているのである。これは、かなり深い内容であり、あるいは、執筆者は承知の上で、現代語として使用したかも知れない。

 また、魏と呉が影響を与えようとしていたのは、北鮮ではなく、中国の北辺、戦国時代の燕の故地への入り口である遼東である。ご専門ではないので、地理認識がずれていたようである。

 いや、議論の本質ではない揚げ足取りに迷い込んだようで、反省する。

未完

個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  1/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

私見御免
 今回の題材は、古代史分野で古典的となっていた議論を取り上げているのであるが、当ブログ筆者が、こうした記事の論旨展開に異論を感じる由縁をきっちり述べるのに適例と思うので、先賢に対する不遜は承知の上で、率直に書き記すのである。

 当ブログ筆者は、今日ほど、諸情報に容易に接することが出来る時代ではなく、また、学界の主流に堂々と異論を唱える論者が、世に出ることなく陋巷に潜んでいた時代に、学界の大勢を支配していた(いる)論法を一つの事例として提起したいと思ったのである。

 というものの、当記事に提示されている「定説」と言う名の作業「仮説」そのものは過去のものとなったとしても、こうした論法は、後進の諸賢に承継されて健在ではないかと懸念しているものであり、半世紀前の論説といえども、真摯に批判する価値はあると思うのである。

*お断り
 言うまでもないが、当ブログ筆者は、一介の私人、素人であって、古代史学界でこのような尊大な議論を申し立てられる立場にはないのは承知しているのであるが、一読に値すると思う方は、軽く目を通して戴ければ幸いである。

*非礼と不遜
 正直、このような論説を、このようにひなびた場所とは言え、公開するのには、随分抵抗があったが、古代史分野の定説が、なぜ、非合理的、非科学的な俗説と批判されるのか、具体的に示すことが、何かの社会貢献にならないかと、書き綴ったのである。

 もっとも、このような論説を公開することで、当ブログ筆者の考古学分野での世評が悪化したとしても、当方は、一介の私人であり、失う名声も、地位もないので、意を奮って書き始めるのである。

 いや、此までのブログ記事は、全て、そうした『匹夫の勇』で支えられているのである。

 以上、もったいぶった前提を理解した上で、ご不快やお怒りは取り敢えず抑えて、自称「労作」を一通り読んでみて頂きたいのである。

未完

今日の躓き石 メンタルは最高の言い訳か リオ五輪サッカー報道

                            20016/08/12
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊13版スポーツ面のリオオリンピックの男子サッカー1次リーグ敗退の回顧記事である。

*誤記・誤報
 「個の力 メンタル 世界と差」と意味不明な小見出しである。
 メンタル面と書くべき所を手抜きしている。「メンタル」などという名詞はないので、言葉のプロの渾身の仕事として、無様である。
 また、これでは、個の力=メンタルと読めないこともないし、わけのわからない一つか二つの何かで世界と差があっても、それがどう勝敗に影響したのかもわからない。何のための見出しなのかと不審である。

 続く記事は、「1勝1敗1分けで1次リーグを2位通過したコロンビア」と堂々と書き出されていて、一瞬、勝敗表を見て、寝ぼけ眼をこすり、顔を洗い直したが、どう見てもコロンビアは、1勝2引き分けである。

 
いきなり不正確な書き出し、一大誤報になっている記事では、1次リーグの全貌を回顧する、いわば、締めの記事であるのに、事態が捉えられず困ったものである。
 最終戦の結果を見て書き出す戦評記事ではなく、事前に構想の時間がとれた筈なのに、粗雑な書き出しで、無様である。

*自明をなぞる書き出し
 予選リーグで4チーム総当たりの上位2位が勝ち進むという設定は別に珍しくなく、初戦の1敗がとてつもなく重いのは自明であるシ、同一頁でたっぷり書かれているから、別に蒸し返して念押ししなくてもわかっている、いわば、衆知、自明のことを言い立てて、貴重な字数を空費して記事が始まる。

*お手盛りの「反省」
 選手との対話で、なぜ初戦に勝てなかったかと記者が問いかけるのだが、いきなり、敗因追究は、「個の力」の違い(つまり、個々の選手が力不足だった?)のか「メンタル面の問題」(力は上回っていたが、自滅した?)のかとの二択で問いかけ、選手は、両方あったと答えている。何とも、意味不明、趣旨不明だった。

無能な記者の最後の隠れ家 カタカナ言葉
 特に、その時その時の都合の良い言い訳になる「メンタル」に、この記者が逃げ込んでいるのは、何とも、字数の無駄である。読者に意図が伝わらないで、報道の役が果たせていると思っているのだろうか。

*読者の期待
 反省とは、勝ち進めなかったことの問題点を発見し、改善するための第一歩であるが、二つの要因は、どちらも、初戦に負けたことに対する意味不明の言い訳になっている。読者の知りたいのは、どこが悪かったのか、どうして改善するのかというものであり、いきなり、記者の独断で、読者に意味不明な二択にされては、不満である。

*選手の逃げ口上誘発
 そして、取り上げられた選手の答えは、当然ながら、両方あったと思う、と無難な言い訳で終わっている。
 意味のはっきりしない問いかけで困惑したが、記者の機嫌を損ねないように、調子を合わせたのだろうか。問いかけた選手が何人か知らないが、「守備陣の集中力不足」とか「チームとして守り抜く組織力が足りなかった」とか、普通の、読者が理解できる回答はなかったのかと思う。

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2016年8月11日 (木)

今日の躓き石 最高峰のメンタルの強さ

                            20016/08/11
 今回の題材は、NHKBS-1か実況放送しているリオオリンピックの卓球男子シングルス準決勝の第二試合である。スピードのある試合の実況なので、多少は言い間違いがあってもしかたないと思うのだが、何しろ、オリンピックの実況を担当しているのは、オリンピックにふさわしい最高峰なので、多少の批判は許されると思うのである。

 今回引っかかったのは、第1セットが終わって総評しているときである。別に、追い立てられていたのではないように思う。

 試合経過としては、前回オリンピックの金メダリストである中国選手が、リードしてゲームポイントを握っているところをベラルーシ選手が一点差まで追いすがったが、中国選手は別に動揺も見せずに勝ちきったのである。

 この時の最強者の態度を、あっさり「メンタル面が強い」と評されたのに、抵抗を感じるのである。確かに、多少追い迫られても、ペースを乱さないのは、競技者として立派な態度と思うが、この境地は、最強者の自信がもたらす強さであり、別に相手に厳しく追い詰められたわけでもないので、アナウンサーが玄人の目で感激しても、視聴者には何のことか伝わらず、困惑するのである。
 オリンピック級の言葉のプロなら、カタカナ語に逃げずに、誰にでもわかるように、ちゃんとした日本語でしゃべって欲しいものである。

 それより、最強者にリードされていても、冷静に一点ずつ得点を重ねる方が、心の強さを要求されると思うのだが、それは、素人の勘違いだろうか。

 結局、天下のNHKの考える「メンタル面」とは何のことなのか、わからないままである。

 それにしても、最強者の自信たっぷりの心の持ちようを見習っても、最強者でない、第二位以下の選手は、実戦に活かしようがないと思うのだが。

以上

私の意見 景初倭国遣使を巡る異説 6

                2016/08/11
5.余談
*中和「古代国家」の実質
 行政機構の整備された中国では、特に、魏朝の基礎を築いた曹操の治世下、地方機関から中央政府への文書提出は、定期報告の時期と所要日数、そして、緊急報告の所要日数が厳格に整備されていて、各街道には、定例報告対応以外に、緊急報告に備えて、替え馬や食料、水分の備蓄がされていたという。

 これに対して、文書交信の出来ない後進の倭國では、このような重大な報告と提案を、筑紫から中和にどのように伝えて、中和の統治者が此にこたえて遣使対応を決裁、実行できるだろうか。

 おそらく、このような規定外の、異例の事態では、筑紫の責任者、つまり、最高位のものが、自身で中和に乗り込んで統治者を説得しなければ、使節団を組織できないであろう。

 それとも、筑紫の責任者は、中和古代国家の統治者の指示や許可なしに、自己裁可でで「国書」を書き出して「国王印」を押し、自己裁可で筑紫の国庫を開いてから献上物を出し、自己裁可で「国使」を人選し、自己裁可で国庫から国費を支出して派遣する絶大な権限を与えられていたのだろうか。

 通常、独立した外交権を有し、独立した行政権を有し、独立した財政権を有するものは、統治者と呼ばれるのである。

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私の意見 景初倭国遣使を巡る異説 5

                2016/08/11
 承前
4.まとめ
*所見
 綜合して、景初の倭國初遣使の想定される三世紀前半の時点で、以上に述べた時間的な制約と交通事情を思うと、遠隔地に本拠を置いたと仮定される中和倭国が帯方郡に『景初三年六月』に到着するように倭国使節を派遣するのは、事実上不可能であったと見られるのである。
 この点を解明する合理的な議論を提示頂ければ、感謝する。

*所見の効力
 以上は、あくまで論証の根拠を得られない概論で有り、定説を否定する効力は無いのは自明であるが、逆に、作業仮説としての存在意義を根本的に否定するのは不可能ではないかと思うものである。
 わかりやすく言うと、一理ある、一読吟味に値する異説と思うからここに公開するのである。

 一介の私人としては、以上の素人考えに反論されるかたは、いずれの目的で反論するか、主旨を明らかにした上で、ご高説を開示頂きたいと切望するのである。

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私の意見 景初倭国遣使を巡る異説 4

                2016/08/11
 承前
3.議論の核心
*「中和倭國」説の無理
 以上の行程見積もりは、定説の見方に比べて、かなり日数を要しているように感じられるかも知れないが、三世紀前半、特に急を要する移動/輸送手段が求められないクニの離散分立状態では、その程度の移動しか出来ないと見ているのである。
 離散分立と言うのは、後年のようにクニとクニが互いに接することなく、その間に未開地が存在する状態を言うのである。未開地は、必ずしも、無人地帯ではないが、いずれの国の指示も受けていない「非文明人」であれば、クニの通達を知らず、通貨も知らず、多数の旅人を遇することを知らないのである。

 こうした境地にあるクニとクニの間の未開地を数日を要して移動するとすれば、その間は、食料の得られない野宿になる。当然、そのような境地を過ごして旅するためには、最低限の夜具と食料を担いで移動することになる。
 もちろん、野獣の襲撃、盗難などに備えねばならない。重武装が必要となるが、武装した旅人の侵入は、地域住民の警戒を招くので、何らかの通行証が必要であろう。

 陸上交通では、このように、街道が未整備であれば、当然宿駅は未整備で野宿込み、その上、騎馬も駄馬もなしと来れば、ひたすら、荷物、食料、武装の全てを担って歩くのである。

 海上交通では、沿岸航路が未整備であれば、船足は潮、風任せ、つきものの嵐には平伏するしかない。上陸しての休養がとれず、船載の水や食料だよりとなると、荷重が大きく加わり、自身の食料も増えてくることから、漕ぎ船の漕ぎ手達の体力消耗は深刻となる。急行は出来ず、徐行せざるを得ないのである。

 こうした事態を見ると、筑紫―中和間で、急を要しない、事故を覚悟した通常の便ならともかく、失敗や遅配の許されない高官の移動や財宝の輸送便が、旅人を導き、助けてくれる暦も羅針盤も地図も海図もなかったと思われる古代に、どうすれば確実、かつ迅速に運用出来るのかと悩まされるところである。

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私の意見 景初倭国遣使を巡る異説 3

                2016/08/11
 承前
2.本論 結
*帯方郡と中和倭国の応酬
 三世紀当時の筑紫―中和間の交通事情が不明であるため、概算が一段と概算になるのだが、帯方郡太守が中和倭国に使節派遣と貢献を指示する文書を発信したとして、遠隔地である中和に知らせが届くまでに六カ月、使節派遣の決定、使節人選、献上物準備に二カ月、中和から帯方郡までの移動に六カ月、ということで、往復に一年以上かかるという推定になるのである。
 この推定は、先ほど帯方郡と筑紫倭国の間を、概算して、片道二カ月程度の行程と推定したのに比べると、大変不確かな推定である。

 何しろ、帯方郡側は、筑紫―中和間の直線距離を知らず、また、実際に往復したものの報告もないしで、大胆な憶測と言わざるをえない。

 いや、現代人の特権で、中和の箸墓あたりから筑紫の博多湾岸まで五百㌔㍍(現代中国語で、公里)程度、つまり、帯方郡から博多湾岸までの直線距離と大差ないと知ったとしても、三世紀に、この間に街道があったのかなかったのか、航路があったのかなかったのか、まるでわからないし、具体的な移動手段もわからないので、所要期間を自信を持って推定するすべがない。

 まあ、ここでは、公式な道里報告をしているのではないので、遙か後世人が、勝手に、つまり、自主的に四カ月程度、全体が六カ月程度としているのである。ここを、三カ月程度と見ても、全体で十二カ月となる。ということで、概算の精度は、以下の議論の大局にほとんど響かない。

 復唱すると、所要日程を目算で概算するのは、なにしろ当時の交通事情に関して、街道や航路の整備が進んでいたとする信頼に足る史料が、寡聞にして見当たらない上に、仮に何らかの史料があったとしても、発展途上の街道や航路であれば、実際の所要期間は大きくばらつくと予想されるので、月単位の概算と見るのが順当だとみるのである。

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私の意見 景初倭国遣使を巡る異説 2

                      2016/08/11
 承前
2.本論 序
*景初遣使の深淵
 以下の議論は、倭人伝に明記されている「景初二年六月」という明確な記載を、何の断りもなしに「景初三年六月」と読み替えている定説に異論を唱えるものである。
 諸論を眺めるに、景初三年と史料を自己流に読み替える定説派の習癖は、倭人伝記事を自在に読み替えたい中和倭国説の弱みがあるのであろう。
 ところが、この議論を掘り下げると、解しがたい難題が浮上するのである。

*遣使の動機
 世上では、倭国が、帯方郡を取り巻く戦況を耳にして、勝手に、つまり、自発的に使節を派遣したように書かれているが、中国への貢献は、制度化されている時期に、半ば臣下の義務として派遣されるものであって、規定外の押しかけ貢献は許されないのである。

 と言うように思い巡らせると、帯方郡の太守交代に伴い、太守から遼東平定を慶賀する貢献を促す指示が出た、それに応じて急遽倭国から貢献したと見るべきであろう。(他の東夷諸国が何も対応しなかったとは思えないが)

 倭国使節団には、帯方郡発行の身分証明書があるから、途中の韓諸国も、貢献物の没収、課税を控え、倭国使節の通行を許可し、安全を保証したと見られるのである。

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私の意見 景初倭国遣使を巡る異説 1

                2016/08/11
1.序論
*始めに~「中和」という個人的な言葉
 当ブログ筆者は、遙か後世の地理的概念で有り、また、政治的概念でもある「日本」や時代によって、話者の国籍によって意味の異なる「中国」という言葉が、無造作に使われると、読者の認識を混乱させかねないとかねがね感じている。

 と言うことで、当記事では、とくに、「日本」の使用を極力避け、また、「倭國」と言うのは、倭人伝などに示された当時の政治集団を言うだけに留め、地名を言うときは、「筑紫」、「中和」と言うことにしているので、ご了解戴きたい。

 「中和」とは、古代史論者には耳慣れないかも知れないが、現代、「大和」(奈良県)の中央部、三輪纏向付近を「中部大和」の略で「中和」と呼んでいるのを、色つきのない地理概念として利用させて頂いているのである。
 軽く「借用」と言いたいが、言葉の利用で受けた恩をお返しする手立てがないので、「個人的な利用」をご容赦頂きたいのである。

 このような勝手な言葉遣いについては、異論は当然あるだろうが、三世紀という古代に関して言うと、整然とした「中和」ないしは「中和倭国」が当時のクニ(政権、國邑)の「所在地」として、適切な表現と見るものである。

 同様に、「筑紫倭国」と言っても、所在地を言うのであって、勢力範囲を限定したものではない。「福岡」「博多」「筑前」などの後世言葉は、誤解を招きそうなので、避けているのである。

 まずは、感情の高ぶりを納め、速断を避けて、読むだけ読んで頂きたいのである。

*言霊の適用除外
 とかく、定説による論者が、時間を遡行して「日本」や「西日本」なる後世言葉の言霊の威力で、論説の論旨をこっそり拡張・強化するのは不公正だとみるのである。

 また、一見馴染みやすい「大和」という言葉にしても、現在の奈良県を思わせ、三世紀のクニの所在地として広すぎると感じるのである。

*筑紫倭国と中和倭国
 と言うことで、所謂「邪馬台国」所在論は、ここでは、筑紫倭国と中和倭国の対比となるのである。なお、当記事で倭国と言って邪馬台国と言わないのは、衆知の別種の史料論に巻き込まれるのを避けるためである。その話は、別の場所で議論して頂きたいのである。

*非・否定論
 いつものことだが、当ブログ記事は、何かの論説の全面否定を主眼にしたものではない。むしろ。一説として異説を提示するものである。言い回しが、特定の議論の否定と読めたとしたら、それは、当ブログ筆者の感情が露呈したものであり、恥ずかしながら、論者として主張した物でないとご理解頂きたい。

 以上は、細かい事実認識是正などの際は、適用されないものではあるが。

未完

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