個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ 7/11
日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者 昭和42年5月10日刊
ムラからクニへ 執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)
私の見立て★☆☆☆☆ 2016/08/12
以外★★★☆☆
承前
*頷けない、躓く例証
この囲み記事でまず躓くのは、「『魏略』も『魏書』も、日本列島が朝鮮から南方へ長くのびていると想像していた」との断定であるが、そのような証拠となる史料はないと思われるし、補足説明もない。
また、「倭人伝なる素性のよくない盆栽」の剪定屑を二例並べているが、どこがどう気に入らなくて、なぜ、どんな風に剪定・排除したのか示されていない。
中でも、一例目の黥面・文身に関する下りについて 執筆者は、「大人も子供も、身体に文字を入れている」と理解しているが、「男子無大小皆黥面文身。」という原文の誤解ではないかと思われる。もちろん、そのような日本語訳を提供したものの責任であるが、最終責任は、執筆者にあると思うのである。
「男子」は、当時の規準とは言え、「成人男性」のことであるし、「大小」と言うのは、身体の大小ではないし、もちろん、大人と子供を言うのではない。おそらく、身分の高い者と低い者を総称しているのである。倭人伝で『大人』と云うとき、それは、おとなの意味でも無ければ、大男の意味でも無いはずである。
二例目の「着ている衣服は」の下りは、ますます剪定・排除した意図がわからない。古代の風俗は、各地で異なっていたはずだから、一律に、この描写の適否を言い立てることは出来ないのではないかと愚考する。
案ずるに、比較的温かい、と言うか、夏蒸し暑い中和であれば、両脇が空いている貫頭衣は、涼しくて良いのではないか。
未完
*引用開始―――
『魏志』倭人伝の虚言
『魏書』東夷伝の執筆にあたって、陳寿は『魏略』の文章をしばしば借用した。しかも、原文に多少の変更を加えたので、真実から遠ざかる結果になった部分ができた。特に『魏略』も『魏書』も、日本列島が朝鮮から南方へ長くのびていると想像していたので、中国の長江以南の地方や、海南島の風俗をもって、日本人のばあいも同様であろうと推断してしまった。つぎにあげるのは、そういう疑問の多い部分を抜きだしたものである。
男子はおとなも小供もみな文身をしている。文身をするのは、海中にもぐって魚や貝を採る時に、大魚や水鳥におそわれるのを防ぐためである。文身をするところは国によって違いがある。
着ている衣服は、布の中央に穴をあけて頭をつっこむだけである。稲や麻を作り、桑を植え蚕を育てて絹織物も織る。その地には牛・馬・虎・豹・鵲が生息していない。武器としては矛・盾・木弓を使用し、矢尻には鉄鏃か骨鏃をつけている。
*引用終了―――
未完
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