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2016年8月12日 (金)

個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  1/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

私見御免
 今回の題材は、古代史分野で古典的となっていた議論を取り上げているのであるが、当ブログ筆者が、こうした記事の論旨展開に異論を感じる由縁をきっちり述べるのに適例と思うので、先賢に対する不遜は承知の上で、率直に書き記すのである。

 当ブログ筆者は、今日ほど、諸情報に容易に接することが出来る時代ではなく、また、学界の主流に堂々と異論を唱える論者が、世に出ることなく陋巷に潜んでいた時代に、学界の大勢を支配していた(いる)論法を一つの事例として提起したいと思ったのである。

 というものの、当記事に提示されている「定説」と言う名の作業「仮説」そのものは過去のものとなったとしても、こうした論法は、後進の諸賢に承継されて健在ではないかと懸念しているものであり、半世紀前の論説といえども、真摯に批判する価値はあると思うのである。

*お断り
 言うまでもないが、当ブログ筆者は、一介の私人、素人であって、古代史学界でこのような尊大な議論を申し立てられる立場にはないのは承知しているのであるが、一読に値すると思う方は、軽く目を通して戴ければ幸いである。

*非礼と不遜
 正直、このような論説を、このようにひなびた場所とは言え、公開するのには、随分抵抗があったが、古代史分野の定説が、なぜ、非合理的、非科学的な俗説と批判されるのか、具体的に示すことが、何かの社会貢献にならないかと、書き綴ったのである。

 もっとも、このような論説を公開することで、当ブログ筆者の考古学分野での世評が悪化したとしても、当方は、一介の私人であり、失う名声も、地位もないので、意を奮って書き始めるのである。

 いや、此までのブログ記事は、全て、そうした『匹夫の勇』で支えられているのである。

 以上、もったいぶった前提を理解した上で、ご不快やお怒りは取り敢えず抑えて、自称「労作」を一通り読んでみて頂きたいのである。

未完

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