今日の躓き石 「地獄のような日々」
2016/08/17
今回も、題材は毎日新聞夕刊スポーツ面である。リオ五輪報道記事の「シンクロペアが銅メダルを取った」大変おめでたい報道であるが、先日のヘッドコーチインタビュー記事と合わせると、大変不穏当な記事になっているのである。
「地獄のような日々、報われた」
というのは、選手談話の引用なのだが、なぜ、ここで見出しにして大書しているのかわからない。
「地獄」という強烈な非難の言葉はあっても、当人がメダルを取ってうれしかったという言葉はあっても、感謝の言葉は書かれていない。「感謝の気持ちも示した」と言うが、口に出せなかったのだろうか。
「地獄」の責め苦にあうのは「罰」であり、「罰」を受けるのは、現世で罪を犯したからである。どんな罪を犯したというのか、どう罪を悔いて救済されたのか、深い言葉を無造作にまき散らしたものである。
いつも言うのだが、選手は、言葉遣いを誤ることがある。自身で地獄の責め苦を知っているはずがないから、誰か、悪意のあるものが教えた言葉に違いない。誰も、勘違いをただしてくれなかったのが、不運というものである。
そうした心得違いを優しく導くのが、報道の責任でもある。誤解を招く比喩をそのまま世に出して、選手に恥をかかせるのは、地獄の鬼の所行であるが、それは鍛錬の意図があってこそのことである。今回など、一種の悪例となっているように思う。
元に戻ると、「地獄の責め苦」は、コーチが課しているのである。これでは「コーチは地獄の鬼」扱いである。
それまでのコーチは、地獄の責め苦を与えない、仏様のような存在だったのだろう。地獄の鬼を海外追放してくれたという意味で、仏様だったのだろう。そう聞けば、それまでのコーチは、うれしいのだろうか。
もちろん、当のコーチは、地獄の鬼のように鍛錬が過酷で悪かったなどと謝罪はしていない。「まだ文句はある」と厳しい。まさしく、鬼コーチである。
以上、毎日新聞の記者であれば、コーチに対する安直な弾劾記事でなく、鍛錬と成果の関係について、具体的に書き残すべきではなかったかと思うのである。
それとも、ここには、仏様のように耳当たりの良いブログ記事を書くべきなのだろうか。
以上
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