個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ 10/11
日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者 昭和42年5月10日刊
ムラからクニへ 執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)
私の見立て★☆☆☆☆ 2016/08/12
以外★★★☆☆
承前
*大家の危機
本書執筆時、まだ、執筆者は数えで六十歳前と思うのだが、既に、学界で最高峰の名声と権威を有した大家であり、深い尊敬を集めていて、玉稿のアラ探し、ダメ出しなど、畏れ多くて誰も引き受けなかったのだろう。
しかし、上であげた指摘は、つまらない雑感の表明であり、執筆者の定見の不可欠な基礎をなすものでもなんでもないので、その旨、誰かがさりげなく指摘して、記事から削除すれば良かったのである。もったいない話である。
そのせいで、遙か後世になって、素人にアラ探しされるのは、ご本人には不本意と思うが、世の習いというものだろう。
こうしてみると、どんな学問分野でも、大家とは安泰な境地ではなく、陥穽の淵に臨んでいるように思うのであるが、当ブログ筆者のように、一介の私人、まるでやせていない「やせ蛙」には、無縁の危機でもある。せいぜい、ほっといてくれと叱られるのであろう。
*総括
この章記事を全部読み通しても、なぜ、角川書店が、出版社として全力を挙げて編纂した「日本文学の歴史」と銘打った大著の「ムラからクニへ」の章で、このように、趣旨を外れた魏志倭人伝批判が展開されたのか、よくわからない。
以上
未完
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