私の意見 景初倭国遣使を巡る異説 1
2016/08/11
1.序論
*始めに~「中和」という個人的な言葉
当ブログ筆者は、遙か後世の地理的概念で有り、また、政治的概念でもある「日本」や時代によって、話者の国籍によって意味の異なる「中国」という言葉が、無造作に使われると、読者の認識を混乱させかねないとかねがね感じている。
と言うことで、当記事では、とくに、「日本」の使用を極力避け、また、「倭國」と言うのは、倭人伝などに示された当時の政治集団を言うだけに留め、地名を言うときは、「筑紫」、「中和」と言うことにしているので、ご了解戴きたい。
「中和」とは、古代史論者には耳慣れないかも知れないが、現代、「大和」(奈良県)の中央部、三輪纏向付近を「中部大和」の略で「中和」と呼んでいるのを、色つきのない地理概念として利用させて頂いているのである。
軽く「借用」と言いたいが、言葉の利用で受けた恩をお返しする手立てがないので、「個人的な利用」をご容赦頂きたいのである。
このような勝手な言葉遣いについては、異論は当然あるだろうが、三世紀という古代に関して言うと、整然とした「中和」ないしは「中和倭国」が当時のクニ(政権、國邑)の「所在地」として、適切な表現と見るものである。
同様に、「筑紫倭国」と言っても、所在地を言うのであって、勢力範囲を限定したものではない。「福岡」「博多」「筑前」などの後世言葉は、誤解を招きそうなので、避けているのである。
まずは、感情の高ぶりを納め、速断を避けて、読むだけ読んで頂きたいのである。
*言霊の適用除外
とかく、定説による論者が、時間を遡行して「日本」や「西日本」なる後世言葉の言霊の威力で、論説の論旨をこっそり拡張・強化するのは不公正だとみるのである。
また、一見馴染みやすい「大和」という言葉にしても、現在の奈良県を思わせ、三世紀のクニの所在地として広すぎると感じるのである。
*筑紫倭国と中和倭国
と言うことで、所謂「邪馬台国」所在論は、ここでは、筑紫倭国と中和倭国の対比となるのである。なお、当記事で倭国と言って邪馬台国と言わないのは、衆知の別種の史料論に巻き込まれるのを避けるためである。その話は、別の場所で議論して頂きたいのである。
*非・否定論
いつものことだが、当ブログ記事は、何かの論説の全面否定を主眼にしたものではない。むしろ。一説として異説を提示するものである。言い回しが、特定の議論の否定と読めたとしたら、それは、当ブログ筆者の感情が露呈したものであり、恥ずかしながら、論者として主張した物でないとご理解頂きたい。
以上は、細かい事実認識是正などの際は、適用されないものではあるが。
未完
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