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2016年8月12日 (金)

個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ  8/11

 日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者  昭和42年5月10日刊
 ムラからクニへ  執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/08/12
                 以外★★★☆☆

承前
*国内伝承との食い違い
 ちなみに、書紀などの国内史書で、黥面文身や貫頭衣の記事が見当たらないとしたら、書かれている風俗は、国内史書が取材した中和の風俗ではないと言うことではないだろうか。

 倭人伝の記事は、字数の制約で極度に切り詰められているが、それ故に、衆知自明の字句は削除され、重要な事項が残されたはずである。

 従って、字句が一見断片的であっても、この時代、既に、養蚕や絹織物があったというのは、技術の前提として、繭や桑の種と共に、織機も渡来していたのではないかと思量する。また、山野に自生する楮などを利用する製紙技術の萌芽もあったのではないか。中和に、このような遺物の出土がないとしたら、それは、記録したものが、中和に来ていなかったという傍証になるのではないかと愚考する次第である。

 いずれも、記録者がウソ(虚言)を書いたとか、編纂者が想像で書き募ったとかの論拠で、確証なしに早計に否定すべきものではないと愚考するものである。染色、柄織などの技術を感じさせる、高度な絹織物である錦織で言えば、倭国から魏朝に献上されたと記録されているので「あった」のであろう。

未完

*「盆栽」が形づくる「盆栽」
 こうしてみると、この記事の全体のかなりの部分が、倭人伝批判と倭人伝依拠のまだらな塗り分けで彩れていて、肝心の、『ムラからクニへ』の絵解きは見られないのである。

 

 しかも、ここで試みられているように、議論の根拠とすべき史料の本質を霞ませるるように色々言葉を費やしているが、所詮、そのような議論は、史料を自分流に整形したもので論じているのだから、それは、資料の適切な利用と遠い、勝手な「剪定」になるのである。

 

 つまり、倭人伝の内容の、持論に全く合わない部分を剪定し、多少合わない部分は、時間をかけて望む方向にたわませるのであるから、出来上がったものは、執筆者の望む形になっているだろうが、丹精込めた盆栽、いわば、時間をたっぷりかけた丹念な彫塑芸術であっても、科学として求められている自然界の植生の忠実な複写とは異なっているのである。

 

 言うならば、古代史学界の大家の持論というのは、歴史の実相を追究するものではなく、好ましい形で持論が形成されるまで時間を惜しまず丹精して、最終的に自身の望みの姿を作り出すものだから、遠くから眺めると、執筆者ご自身が一つの盆栽となっているのである。

 

 このように、「盆栽が盆栽を形づくっている図」は、歴史科学の科学としての本筋からは遠いように思うのである。

 

未完

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