個人的資料批判 神と神を祀る者 ムラからクニへ 5/11
日本文学の歴史 第一巻 神と神を祀る者 昭和42年5月10日刊
ムラからクニへ 執筆者 小林行雄 (1911年8月18日 - 1989年2月2日 文学博士)
私の見立て★☆☆☆☆ 2016/08/12
以外★★★☆☆
承前
*主観的な史料評価と採否
倭人伝記事に対する評価は、執筆者の心の揺れに応じて、うねっているようである。
「官吏の名称を卑狗とか卑奴母離とかの文字で表記しているのが、ヒコやヒナモリという昔を伝えたものとすれば、当時の言語がのちの彦・夷守という日本語と同一であったことを証明する重要な材料になる。」
ここでは、壮大な仮説の証拠として援用されているのである。
「このほか、「魏志」倭人伝は、倭国の風俗習慣や産物などについても、詳しく言及しているが、かなり想像をまじえたものとみられるから、いまは引用を避けておきたい。」
「ただし、かりにその報告がかなり正確なものであったとしても、『魏志』倭人伝の記事は、撰者である陳寿や、彼が参考にした『魏略』を編纂した魚篆が、想像をまじえて作文した部分を含んでいるので、そのまま全面的に信頼することはできない。」
「『魏書』東夷伝の執筆にあたって、陳寿は『魏略』の文章をしばしば借用した。しかも、原文に多少の変更を加えたので、真実から遠ざかる結果になった部分ができた。」
と言う具合に、執筆者の気に入らない部分には、主観的な理由を付けて、容赦なく排除する方針なのである。
こうした判断は、全面的な断言となっていないので、当方は、批判しても否定は出来ないのだが、こうした当てこすりは、学術論考では、感心しないのではないかと思うのである。
また、素人目には、「そのまま全面的に信頼することはできない。」というのは、史料に対する態度として、極めて健全であり、むしろ。肯定的な意見と見る。よって、一見否定形の構文は、かなり信頼性の高い史料への評価と見られ、そのような史料の一部を信頼できないとして除外する際には、的確な根拠の元にそのような判断が示されるべきものと思う。
未完
*推定無罪原則
話の筋がこんがらかったようなので、真っ直ぐに言い直すと、当ブログ筆者の愚考するに、倭人伝は、同時代史料としてほぼ唯一のものである以上、部分的であろうと、故なくして排除すべきではないと考えるものである。
また、執筆者が、史書の編纂にあたって編者が個人的な想像を交えて創作したなどと譏っているのは、根拠のない憶測であり、執筆者ほどの学識、識見の持ち主がとるべき態度とは思えない。
率直なところ、執筆者の姿勢を批判するのは誠に僭越の極みなのだが、以上のような史料評価というか「断罪」は、相当明確な根拠が無い限り、考古学者として避けるべきと考える。
現世の浮き世の法の裁きがそうであるように、例えどのような嫌疑を受けても、法の裁きが下るまでは、無罪と推定されるのである。
*弁護でなく、摘発でなく、適切な批判
ここまで、手厳しい意見になってしまったが、それは、倭人伝に対して、合理的でない、理不尽な非難を示されていることから来るもので有り、執筆者の高名にふさわしい適切な史料批判が行われていたら、ここまで反発しないのである。
未完
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