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2016年8月13日 (土)

今日の躓き石 リオ五輪 せめない戦評を望む

                      2016/08/13
 今回は、言葉遣いの誤りで躓いたのではない。毎日新聞夕刊のリオ五輪報道で、「アトランタ以来の予選落ち」と大書した記事で、先頭を泳いだ選手が「日本の弱点」、二〇年来の不出来の敗因として責められていたからである。
 追い打ちするように、その後に、記事の半分近い字数を費やし、色々書き連ねて、名指しで個人の力不足をかき立てている。

 いくら、国の代表として大勢の応援を背にしていて責任を感じていても、チーム不振の責任を個人に叩きつけけられて、新聞紙面とは言え、対話で言うなら大声で罵倒されているような「責め」を受けてはたまるまい。

 くれぐれも、勝てなかった選手を責めない戦評をお願いしたいのである。

 よく考えて欲しいのだが、まず、代表チームの人選は、関係する指導者陣が目下最善として決めたものであり、当の選手が、自身について全国紙の紙面で苛烈に責められる理由はない。
 今回のオリンピックは、突然決まったのでなく、五年も十年も前から、この日に向かって、おおぜいが努力していたのである。その結果が思わしくなかった責めは、もし誰かが責めとして受け止めなければならないとしたら、関係者全員の負うべきものではないのだろうか。つまり、どうしても、敗因追究したかったのなら、日本の水泳のメドレーリレー候補選手全体が弱かったのである。そう事実を見つめても、誰かを責めるものでないことはわかるはずである。

 今回の五輪で、チームが予選で敗退したのは、「チームの力」が足りなかったのであり、誰か一人が責められるべき物ではない。チーム自身は、そう考えているはずである。そうでなければ、チームではない。

 そう考えると、当事者でない記者が、目前にレースの結果を見ていたとはいえ、報道のためとはいえ、なぜ、敗因を一人に求めて手痛く責めつける記事を書いたのか、ここに居る一読者は理解できない。

 遠く日本から応援している人たちの大勢が、このような報道を求めているのだろうか。

 誌面を眺めては、ため息をつくのである。

 署名した記者は、新聞報道の世界では、天下無敵の武器を手にしていて、選手を責めても責め返されることはないし、出場しないから敗退することはない。


 だからこそ、自分で自分の言葉の力を律するものではないだろうか。

以上

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