私の本棚 季刊「邪馬台国」 130号 時事古論 第4回
再論詳説・洛陽で発見された「三角縁神獣鏡」 連載(1)
安本美典
私の見立て★★☆☆☆ 2016/09/18
最初にお断りしておくが、本ブログ記事は、安本氏の論説全体の主旨についてとやかく言おうというものではない。枝葉の部分で、不適当と思われる発言があるので、指摘したいというものである。
*名画の再現-複製画
今回の記事の末尾で、中国に実在する油画村について、中国に於ける偽物造りの議論の中でさらっと紹介されているので、否定的な印象を期待しているように感じてしまうのだが、名画の複製品(レプリカ)の販売は、中国美術界の周辺で成立している、堂々たるビジネス形態であり、褒めるべきであっても、非難すべきものではないのである。無名の画家にとって、貴重な収入源であろうし、よほど名声を博しない限り、複製品販売の収入で喰っているのだろう。
例えば、ゴッホの「ひまわり」は、特定の作品の本物は世界に一枚しかないし、売りに出たとしても買うには莫大な費用がかかる。仮に、十分な資金があって買うことができたとしたら、どこかの金庫室にしまい込むしかない。
これが複製品であれば、それこそバーゲンの時期を狙えば1万円としないものだし、その程度の値段であれば、汚しても怖くないから、自宅の部屋の壁に吊して、日々名画そのものに親しむ気分になれる。
実際、当ブログ記事筆者の書斎(ぼろ屋の中の6畳間の和室)には、ゴッホの「ひまわり」の複製品(レブリカ)が架かっている。念のため言うと、このレプリカは、原画の写真を、大型プリンターでキャンバス地に印刷したものでなく、画家が、実際に、キャンバスの上に絵筆で描いた複製画であるから、絵の具の盛り上がりや筆運びがわかるし、署名入りでもある。と言って、ゴッホの筆運びは、さほど緻密ではないから、おそらく2―3時間で描けたと思うのである。そう思えば、複製品の値段はそこそこである。もう一つ念のために言うと、ゴッホの描いた絵画は、すでに著作権が消滅しているので、複製して販売しても、知的財産権の侵害にはならない。
概して言えば、欧米の美術館は、画学生が、館内で展示品の模写をするのを認めている。
と言って、別に当ブログ記事の筆者は、自身で画家を気取っているわけでもない、まして、これを本物として売り出すことなど考えていない。ただ、気分として、ゴッホの画を見ていたい気分になったとき、その程度の資金があったと言うことである。
続いて、本記事は特に区切りも無しに、「贋作」村の話に続けるから、偽物造りと関係ない複製画(レプリカ)が、偽物造りの類いと誤解されそうで危ういのである。
*書聖王羲之の模倣
「贋作」村の話の後に、王羲之の書の模倣が出回っていると紹介されているが、偽物造りと関係ない話である。
書聖と呼ばれる王羲之の真筆は手に入らないとされているのは、衆知も良いところである。中国唐王朝の皇帝が、最後に残った王羲之の真筆を遺言で墓に埋めろと指示したので、いつの日か発掘されて、地上に持ち出されない限り、だれも見ることはできないのである。
そもそも、王羲之の真筆は、唐時代に既に貴重であったから、いろいろな技法で複製することが普通であり、そのためには、王羲之と同じ筆、墨、紙を使用し、王羲之と同じ筆の運びをすることで、殆ど見分けのつかない状態で再現する試みも幾度となくなされたし、別の技法として、王羲之の真筆の下に用紙を敷いて、文字の要所要所に針穴を打って、敷いた用紙の針穴の作る輪郭線の中を極めて細い筆で緻密に埋めて再現する複製技術もあったとのことである。
それ以外にも、中国で一流の書家を目指す無数の子供達は、王羲之の書の複製品を臨書して、王羲之と同じ書を書くことを人生の究極の目標としているのである。
このようにして、王羲之の書の「複製」は、それこそ山のように書かれていて、中には、指摘されているように「時代錯誤」の書まであるが、どこにも、本物と称して売ろうとするものはいないのである。この話も、偽物造りと関係ない話である。
*複製品(レプリカ)の意義
安本氏ほどの知性の持ち主が、犯罪行為である偽物造りと正常な商行為である複製品(レプリカ)造りが、全く異なるものであることは、素人の指摘がなくても承知の筈であるが、この記事全体が、両者を一緒くたに紹介して、複製品(レプリカ)造りを含めて「犯罪」と主張しようとしていると受け取られるのではないかと危惧するのである。
ついでに言うなら、中国を「コピー大国」と呼ぶのは、主として、各種電気・機械製品の模倣、特に、特許や意匠、商標、ノウハウの盗用を言うのであり、又、近年で言えば、PCアプリの複製販売、日本の漫画、アニメの無断翻訳販売などの違法行為を指すのであって、今回取り上げられた、美術品の複製や骨董の偽造とは、別次元のように思う。いや、同じ国民性から出ていると言われたらそれまでだが、かなり異質の事項であることに変わりは無い。
今回の記事は、そういうことで、安本氏の論説の行きすぎと思われる難点に関して率直に指摘させて戴くものである。
以上
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