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2016年9月18日 (日)

私の本棚 歴史読本 2014年7月号(5)特集 謎の女王 卑弥呼の正体

               株式会社 KADOKAWA
                 卑弥呼機関説       遠山美都男

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/09/18

 当記事は、「徹底検証九人の卑弥呼」と題された九篇の記事で、六番目に登場する記事である。当記事の筆者は、当誌編集部の見るところ、安本美典氏や古田武彦氏と並ぶ権威者と見なされているようだが、存外の空評判だったようである。

 こうした記事の筆者は、普通、読者の心を掴むべく、切り出し部分に工夫するのだが、ここでは、つんのめる切り出しで論議を始めるので、その騒々しさに食傷して、読者に逃げられてしまうのである。もちろん、こうした語り口に馴れている、いわばおなじみさんは付いてくるだろうが、それでは、いつまで経っても、支持者が増えないのである。

 卑弥呼とは『魏志』倭人伝という外国史料にしかあらわれない存在である。したがって、その実像の解明 には『魏志』倭人伝に対する徹底的 な史料批判がもとめられる。そこに 書いてあることをそのまま追認することが許されないことは多言を要さないであろう。

 書き出しから不穏である。卑弥呼は、魏志倭人伝と共に後漢書倭伝にも現れる人名であることは衆知である。名前だけであれば、朝鮮半島史書にも現れるし、魏志と後漢書は後世史書や類書に引用されるからそこにも書かれているのである。とにかく、冒頭の一文で衆知の事項を誤記するとは、何とも不用意である。

 記事筆者は、なぜか卑弥呼が「外国史料」にしか現れないことをとがめ立てしているようだが、当時は、中国が東アジア唯一無二の文明であり、倭国と銘打ちながら、中国に向かって「外国」と呼べるような国家でなく、自前で記録しようにも文字も暦も媒体となる紙もなかったのだから、中国側でしか記録されていないのは、当然のことである。
 「夜郎自大」ではないが、東夷の側が中国の上に立って憤ることではない。
 勢い込んで「その実像」というのは、卑弥呼の実像と言うことだろうが、実像だろうが虚像だろうが、卑弥呼の姿は両資料にしか書かれていない。それを批判しようにも、根拠となる倭国側史料がないから、単なる虚勢に終わるのである。
 続いて、「徹底的」と息巻いても、事態の底がどこまで深いのかわからないのだから、極めようもなく、空虚な言い分である。「もとめられる」と、またまた激高しているが、動詞の主語は何なのだろうか。

 「そこに 書いてあることをそのまま追認することが許されない」というが、「追認」と呼ばれる認識行為は、なんなんだろうか。何より、史料が厳としてそこにある以上、その史料に書いてあることは書いてあるという認識から謙虚に出発すべきではないだろうか。また、およそ史料というのは、全て批判を必要としているというのは、取り立てて言い立てるほどのない、それこそ衆知の事項である。
 「許されない」と言うのは、一段と不穏で、誰が、何の権威があって「許さない」のだろうか。当記事の筆者が、後世人の知恵で遙か高みから息巻いているのだろうか。不用意な虚辞である。
 ここまで指摘しているように、この論者は、登壇していきなり声高に怒鳴り立てているものの、言い立てている内容は,「ほぼ悉く」空疎であり、批判の基となる根拠はなく、単なる感情論とわかるのである。不用意な虚辞である。

 続く段落では、念押しするように「卑弥呼が倭国の女王であったという一見して自明と思われる事柄に関しても、それが『魏志』倭人伝に書かれている以上、徹底した検討の俎上にのせないわけにはいかないのである。
」と息巻いている。しかし、内容は空疎であり、不信感を煽り立てるだけである。
 「一見して自明と思われる事柄」とは、どんなことを言うのだろうか。つい今し方、「卑弥呼が倭国の女王であったという」のは、資料批判する必要のある事項だと述べたのではないか。それを、「ぱっと見自明」という、言葉自体が矛盾した言い方で取り出すのも、意図が不明である。
 また、いくら勢い込んでいても、「倭人伝に書かれているから資料批判する」というのは、見当違いの言い方であり、資料批判は、常に不可欠である。どこに、無批判で受け容れられる史料があるのだろうか。

 以下、資料批判の名を借りて、倭人伝記事の独自読みを続けているようであるが、以上に紹介したような、非合理的な論調で書かれている記事は、読み気がしないのである。何か言いたいことがあるから文章を書くのだろうが、誰かが読まなければ誰にも伝わらない。
 新たな読者を呼びみたいのであれば、ちゃんと一般人のわかる言葉で、目新しい概念を、ちらりと提示すべきであろう。うまく撒き餌をすれば呼び込めるのである。この記事のように、とげとげしい言葉をかんしゃく玉のようにばらまけば、客足は遠のくだけである。

 硬く言うと、読者には、参考となることを期待して資料を買い付ける費用は、結果として無駄となっても、授業料と解してそれを惜しまないとしても自身の限りある人生の貴重な時間を空費して独善的な記事を読む贅沢は「許されない」(俺が許さない)のである。つまり、資料の代金は何かの手段で補うとしても、時間は回収できないのである。
 商用出版物に掲載する記事は、読者の誌代と共に、時間と労力を要求しているのである。有料で販売する以上、最低限の品質は必要ではないか。これは、当誌の編集者に向かって言っているのである。

以上

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