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2016年9月

2016年9月30日 (金)

今日の躓き石 フットボールのフィジカル面とは?

                                 2016/09/30
 今回の題材は、またまた、サッカー日本代表監督の談話である。主として、毎日新聞大阪朝刊13版スポーツ面の記事での、監督談話の引用に対する指摘なので、一応、日本サッカー協会の広報担当の翻訳の責任と言うことになるのだが、毎日新聞記者が、主旨確認せずに談話の引用をそのまま載せているので、新聞の報道の責任とも言える。

 さて、今回の記事で不満なのは、日本代表の戦いぶりに対する、整理されていない記者感想が、延々と続いていることである。ここでは、細かいことを書き連ねても、読者はそんなことを聞きたいのではないのである。

 肝心の監督談話であるが、総括として、全国紙の記事という位置付けでは、「日本と海外のフットボール」と書いているのは、まずは、不親切である。

 一般読者にとって、「フットボール」=「サッカー」と理解している人は多くないのではないかと思う。説明無しに「フットボール」と言われると、アメフットが念頭に来るはずである。つまり、日本国内には「フットボール」は普及していないのであるから、引き合いに出されても、引き合いにならないのである。
 これでは、読者に意味が伝わらないから、監督として不用意だと思うし、全国紙の報道としても、不合格ではないかと思われる。(サッカー)と付け足すくらい、一般読者に歩み寄ってほしいものである。
 そして、「差がある」というのは、どこがどう違うのか、聞き取ってほしいものである。欧州には欧州の行き方があるので、南米とは違うし、アジアとも違う。それは当たり前であるが、記者の意見ではなく、監督の分析を聞かせてもらいたいのである。

 そして深刻なのは、「フィジカル面」との言い方である。
 この言葉は、辞書に載っていない、意味の定着していないカタカナ言葉なので、ある意味、一般読者の理解を拒否した言葉遣いと思える。
 今回は、ワールドカップ最終予選での不振について、ファン/サポーターに対する「言い訳」の場と思うのだが、そこで、いつもながら意味の通らない言葉を使うのは、どういうつもりかと思うのである。

 もちろん、監督自身が、日本語のカタカナ語で喋っているのではないから、先に書いたように、協会広報担当の翻訳に責任があると感じるし、それを、そのまま通す記者の姿勢にも疑問を感じるのである。

 思うに、関係者は、誰も、一般読者がどう受け止めているかなど気にもしていないのだろうが、一般読者の理解があってこそ、熱心なサポーターが育つのであり、そうした支持に対して潤沢な資金が提供されるのである。そうした資金は、それぞれの名目で由来が語られるだろうが、大河のように流れ込む資金の最初の一滴は、一般読者の財布の些細な資金なのである。誰が最大の「顧客」であるか、勘違いしてほしくないのである。

 フィジカルのスポーツ界での用法を見ていると、大別して、
1.体格   背の高さ、体重
2.体力   速度、瞬発力、持久力
3.闘争力  当たりの強さ、ボールへの食いつき
 の意味で使われていると思われる。一言で、どの話かわからなければ、読者も理解のしようが無い。
 また、サッカーのスポーツとしての用件と思われるボールコントロールやシュートの技術はどこに入るのだろうか。単に、当然備えている「スキル」で片付けるのだろうか。
 依然として、どんな意味で使っているのか疑問が残るのである。

 記者は、最後に、監督の総括の言葉に続いて、どう関連しているのか不明な「正攻法」と反論の少なそうなきれい事(使い古した言葉だが、無策で行くという、大概失敗する守旧論と思う)でくくっているが、そもそも監督の本意を理解しないまま「及び腰」(へっぴり腰)などと意味不明な言葉でくさして、これに対してJリーグ流を押し立てて、監督の所信を伝えるという報道の役をなしているのだろうか。

 読者は、賢そうに高所から理屈をたれている記者の意見ではなく、現場で戦っている監督のプロ指導者としての分析を聞かせてもらいたいのである。

以上

2016年9月29日 (木)

今日の躓き石 藤原京元日朝賀の虚報、誤報

          私の見立て☆☆☆☆☆                2019/09/29

 今回の題材は、毎日新聞の責任というわけではないが、記事にして紙面に乗せたのだから、ある程度の責任は避けられないと思うのである。
 記事は、『「続日本紀」は、701(大宝元)年の元日朝賀』と引用しているが、この引用は「引用」ではなく、誤解としか言いようがない。

 「続日本紀」の時代には、西暦(ユリウス暦)は知られていなかったから、701年の元日と言われても、何のことかわからないのである。

 701年は、大体の所は大宝元年としても、太陽暦と太陰太陽暦(旧暦)とでは、元日が、一カ月あまり、約四十日程度違う。つまり、701年の二月十日あたりが、大宝元年の元日である。
 特に、彩色画には、「701年の元日朝賀」と完全に架空の日付を付けているので、誤解は、深刻である。

 そうした食い違いは、古代の歴史を学ぶ上でのイロハ、常識であり、うるさいことを言われないためには、「大宝元(701)年の元日」と書くものであるが、今回は、なぜか間違いを言われかねない書き方になっている。

 いい年をしたおとなが、「常識に一石を投じた」つもりなのだろうか。学問は、地道な論証の積み重ねであり、悪ガキが窓ガラスに石をぶつけるような破壊的なものではないと思うのである。

 発表元の奈良文化財研究所は、素人(全国紙の一般読者)相手だから、この(ごまかした)言い方で良いと思ったのであろうか。それにしても、この程度の続日本紀記事を正確に引用できないようでは、それ以外の引用や援用も、原典を勝手に書き換えた、いい加減なものではないかと危惧されるのである。

 今回、馬脚を現した大宝元年論は、本来些細なことではあるが、「虚報、誤報」は、小さな事で、全体の信用をなくすと言うことである。誠に余計なお世話であるが、組織としての「校閲」活動が必要ではないかと危惧される。

以上

今日の躓き石 ブラタモリの「リベンジ」汚染荷担

                                2016/09/29
 今回は、何日か遅れで留守録した番組を見たので、大分出し遅れであるが、見ていた証拠を出すことにする。

 NHKの名物番組の感がある「ブラタモリ」の広島編は、例によって、仕掛けのあるご当地紹介を見事にこなしていく、当代随一の役者ぶりであったが、(当人の責任ではないのだが) 番組にドロを塗るつまらない失言が出て、がっかりであった。
 番組の締めくくりに近くなって、シジミトリの川船で、腕試しとばかり、長い竿の先のかごで川底のシジミを「突いて」いくのだが、一度目は、上がりが空かごで、いや「もう一丁」という所で、字幕と語りで「リベンジ」がぽろりと出たのは、NHKにしては、何とも情けないと思うのである。

 ご当人の失言であれば、そのまま流すしかないかも知れないが、こんなつまらない失言はしない人が失言していないのに、NHKが勝手に場違い、手違いの失言を付け足しているのは、カタカナ語汚染(公害)に手を貸したことになり誠に残念である。

 大体が、今回は、別に邪魔する相手があって、失敗させられたわけではないから、やり返しも無いのである。単に、うまくいく手さばきの要領が手についてなかっだけであり、さすがに、何でも一回でこなすまではいなかっただけである。
 誰かを恨むとしたら。おおぼけのコメントを付けた、NHKスタッフであろう。

 と言うことで、NHKの社員教育が行き届いていないことを知ったのである。

 言うまでもなく、今回も、過不足無く、行き届いた番組であり、貴重な一時であったのだが、一つの小石で躓いて倒れ込んだのが残念であった。

以上

2016年9月21日 (水)

毎日新聞 歴史の鍵穴 「伊勢・出雲ライン」の妄想

伊勢・出雲ラインの意味 神話を演じる祭祀空間か
 =専門編集委員・佐々木泰造

          私の見立て☆☆☆☆☆                2016/09/21 

 今回の題材は、歴史の鍵穴の今月分であるが、またもや、地図幻想を蒸し返しているので、指摘を繰り返さねばならないのである。

 今日の技術でも、各地の三角点やそれらを利用して作成した地図、或いはGPSと言った技術が無ければ、見通しの利かない地点間を直線で結ぶことは不可能であり、従って、8世紀当時も不可能であったと断じざるを得ない。

 このような批判に対して、確たる証拠を持って反論するのが、このような記事の筆者の責任だと思うのである。

 2009年の「国立歴史民俗博物館研究報告」第152集掲載という論文を引き合いにしているが、字数多くして一向に要領を得ないので、別ページで原資料の書評を掲示している。

個人的書評 水林 彪 古代天皇制における出雲関連諸儀式と出雲神話

抄録:本稿は,『続日本紀』の記事に散見され,『貞観儀式』や『延喜式』にも見えるところの,出雲国造が天皇に対して賀詞などを奉上する儀式の意義について考察したものである。
(以下略)

 結論を言うと、当記事で紹介されている部分、つまり、地図幻想は、水林氏が本来の論説を展開したあとで、自身の「私見」を補強するために同僚の私見の教示を仰ぎ、論証無しの憶測であることを理解せずに取り込んだ部分であり、当記事で、付け足しのように長々と引用されているのが、水林氏か、いわば心血を注いだ本論なので、紹介の軽重・順序が倒錯しているのである。

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私の本棚 水林 彪 古代天皇制における出雲関連諸儀式と出雲神話

 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ
 古代天皇制における : 出雲関連諸儀式と出雲神話(第1部 古代の権威と権力の研究)

 今回の書評も、論文全体に関するものではなく、部分的なものである。

          私の見立て★★★☆☆                2016/09/21 

 そりゃそうである。専門とされている学問分野で研究された堂々たる成果に、通りがかりの素人が、異議も異論も無いものである。あくまで、素人に手の届く低次元の話なのである。

 抄録冒頭抜粋
 本稿は,『続日本紀』の記事に散見され,『貞観儀式』や『延喜式』にも見えるところの,出雲国造が天皇に対して賀詞などを奉上する儀式の意義について考察したものである。

 まず、感銘を受けてのは、冒頭で提示される至言である。

8世紀の事を論ずるには,何よりも8世紀の史料によって論じなければならない。10世紀の史料が伝える事実(人々の観念思想という意味での「心理的事実」も含む)を無媒介に8世紀に投影する方法は,学問的に無効なのである。

 ところが、引き続いて、と言っても、大分後方なのだが、蛇足とも見える形で、首を傾げる主張が見られる。

 この一直線は,「おおよそ」のものではなく,厳密なものであった。後藤真氏のご教示によれば,〈出雲大社―平城宮内裏跡―伊勢神宮(外宮)〉は,約104.6度(真北を0度,真東を90度とした場合の角度)の線上に並ぶのである(この東西線は,新暦で2月15日の頃,旧暦で正月に,伊勢神宮の東彼方から太陽が昇るラインにほかならない)。
 偶然とは考えられない事態であり,おそらくは大陸から伝えられた高度の測量技術をもって意図的計画的に配置されたに相違ないのであるが,そうだとすれば,このことは,出雲大神宮が平城宮時代(その設計・準備段階も含む)の建築物であることを示唆する。

 後藤真氏は、国立歴史民俗博物館 研究部 准教授であり、歴史GIS(歴史地理情報システム)の関係者のようである。それにしても、考古学界の一員であれば、後世知の極みである歴史GIS(歴史地理情報システム)を無造作に8世紀の事項に適用することの「無効」さは、自明であろう。

 ただし、次のような漠然たる地理認識が八世紀に存在していたことはもう違う余地はない。(「宇宙軸」は、ため息をつかせる粗雑な言葉遣いであるが)
 大和が東であり,この東としての大和から見て出雲が海に没する西の辺地にあたっていたという宇宙軸の存在であったと思う。

 また、「〈伊勢大神宮―平城宮―出雲大神宮〉を律令天皇制が創造した祭祀演劇空間として捉える前記私見」と言うように、論考でなく、思いつきの私見であることも、適確に自認されているものである。

 そこで先ほどの論説の考証をはかると、中々深刻な誤解が含まれている。

 旧暦も新暦も後世用語であり、当時当地にあったのは、中国由来の太陰太陽暦(ここでは中国暦という)である。中国暦は、太陽の運行と「厳密に」同期していないので、旧暦で正月(元日のことか)と言っても、年によってばらつきが多い。もちろん、新暦2月15日というのは、読者に錯覚をさそう、時代錯誤である。今日中国で春節と呼ばれる旧正月が、暦の上で年ごとに異なるのは衆知である。中国暦でも、24節気は太陽運航に適確に同期しているから、「立春」とでも言えば、精度が高まるのだが)

 このように、基本的な時間軸データが不確か(365日に対して10日程度。つまり、360度に対して10度程度の誤差)である以上、角度測定がいくら「高精度」であったとしても、104.6度なる、3桁以上の精度での推定が成り立たないのは自明である。まして、8世紀に、どの程度の角度精度が得られたか、何か資料でもあるのだろうか。素人だましの104.6度ではないかと思われる。
 と言うことで、「厳密」という時代錯誤の言葉を撤回するとしても、まだ大きな問題が残っている。

 言うまでもないが、ある地点での真北を、8分法(45度間隔)を越える精度で知ることができたとしても、その地点の例えば105度/255度の方向に線を引いて、どこまでも伸ばして、その線上に特定の地点を求めるのは、そのような角度の測定精度とは別の話であり、現実の地形の上に線引きしていく地道な「測量技術」が必要なのである。
 なぜなら、ある地点Aの105度/255度と別の地点Bの105度/255度を天体観測で求めることができたとすると、それぞれの角度は天球上の同じ点を指すだろうが、A地点の105度/255度線上にB地点が存在するかどうかは、天体観測では知り得ないのである。
 現代であれば、GPS情報で容易に知ることができるが、測量技術が近代化し、全国が三角測量し尽くされたたあとでも、容易な技術でなかったことが知られている。例えば、トンネル掘削で、両側から掘削された坑道が、食い違うことなく遭遇し、遭遇時点が正確に予測できたのは、大戦後のことなのである。

 このように、後藤氏の提言は、現代の感覚を8世紀に持ち込むものなので、無効だと思うが、いかがであろうか。

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2016年9月20日 (火)

私の本棚 呉書 裴松之にしかられた陳寿

                          2016/09/20 追記2021/03/04  
 「正史三国志」Ⅲ 呉書 筑摩書房
 周瑜魯粛呂蒙伝第九

 時点は、三国志冒頭の山場である。
 魯粛伝に、後漢の建安一三年、丞相に任じられたばかりの曹操が南征の途に発ち、長くで自立を保ち続けていた荊州刺史劉表の没後の混乱に乗じて荊州をほぼ無血で征服して、その軍勢、軍船を指揮下に取り込み、長江(揚子江)を下り、総勢八十万と称して、孫権に服従を迫ったとき、孫権が、荊州を追われた劉備勢力を味方に付けて曹操と対決すると決したときの劇的な経緯が、呉書の列伝記事として描かれているのだが、裴松之は、次のように、陳寿の編纂が不備であると非難している。

〔一〕臣裴松之が考えるに、劉備が孫権と力を合せて、中原からの〔曹操の〕進出をくいとめるというのは、まったく魯粛の元来からの計画であった。加えて、諸葛亮に「私は子瑜どのの友人です」といっているのであるから、諸葛亮は早くから魯粛の意見を聞いていたのである。しかるに「蜀書」の諸葛亮伝では、「諸葛亮が連衡のはかりごとを孫権に説くと、孫権は大いに喜んだ」という。「蜀書」の書き方のようであると、この呉と蜀との連衡の計は、諸葛亮の発意に出たことになる。こうした書き方は、二つの国の史官たちが、それぞれが伝聞したところを書き記し、競って自分の国の立派さを称揚して、それぞれが手柄を一人占めしようとしているかのごとくである。しかるにこの「呉書」と「蜀書」とは、同一人の手に成るものでありながら、こんなふうに食い違っている。歴史記述の根本に違反するものである。

 つまり、三国志呉書及び蜀書の編纂の素材としてそれぞれ利用した呉及び蜀の資料が、それぞれの勢力中心の視点で描かれているのを、編纂者として付き合わせずに、いわば無造作に収録しているのを叱り付けているのである。

 しかし、遙か後世の読者である当ブログ記事筆者の個人的な意見では、それは、ちょっと厳し過ぎる。

 「三国志」呉書と蜀書は、後漢書孫権伝と劉備伝ではない。独立政権の「国志」として書かれている。従って、それぞれの政権を中心とした筆致にならざるを得ないのである。そういう編纂方針なのであるから、観点の不一致は、見過ごすべきなのである。

 もちろん、裴松之も、そこは理解していたろうが、劉宋皇帝の手前、正史の大義名分に関わる点は、点を辛くして指摘せねばならなかったのであろう。

 ちなみに、魏書冒頭の武帝紀、つまり、曹操本紀には、このとき、太祖、つまり曹操は、赤壁で劉備と戦って敗れて撤退したと書かれている。前後関係が明確では無いが、孫権は、長江北岸の合肥城を攻撃したが、曹操が援軍を送ったと聞いて、(さっさと)包囲を解いて撤退したと書かれている。

 三国志でも、曹操と袁紹の官渡の戦いに続く山場となるはずの赤壁の戦いであるが、曹操の敗戦と言うこともあってか、武帝紀は淡々としている。孫権が赤壁に不在であったとまでは書いていないが、曹操撃退の大功を劉備に与えているのである。編纂の際に言葉を選んで、あえてそのように書いたとみて良い。

 裴松之は、この点で陳寿をしかってはいない。

 むしろ、「二つの国の史官たちが、それぞれが伝聞したところを書き記し、競って自分の国の立派さを称揚して」いると、三国志の由来を明らかにしているのである。世評を代弁してみせるように、それでは、三国志編纂の際、編纂者の筆が加わっていないことになる、と歎いて見せているが、裴松之自身は、むしろ、そのような三国志独特の構成に、特に異議を唱えていないように見える。

〇「赤壁の戦い」の幻想~序章 2021/03/04
 この時、後漢は健在であり、鄴の朝廷で丞相に任じられていた最高権力者の曹操は、あくまで、後漢丞相であり、魏公のような魏の付く称号は被っていなかった。従って、率いていたのは、後漢の官軍である。

 孫権は、後漢の会稽郡太守であり、古来「呉」と呼ばれていた地域を支配していたから、「呉主」とでも呼ばれていたかも知れないが、「呉」王と称して自立していたわけではない。但し、皇帝の臣下とは言え、人質を出すとか、当然の義務を果たしていなかったから、叱責から誅伐に至る何れかの罰を受ける可能性はあった。

 劉備は、一時、後漢に仕えて曹操の傘下にあったが、劉姓のため、遠縁の皇族扱いされていて、曹操打倒の陰謀に巻き込まれかけたため、さっさと逃亡したものである。そのため、後漢皇帝に対する謀反人として、それこそ、指名手配されていた罪人であった。一時期、同姓のよしみで荊州刺史の劉表のもとに寄留していたが、曹操の攻撃を受けて、長江下流に逃亡したが、曹操と対決すると見えた、孫権の客分として滞在していたのである。もちろん、長江上流の「蜀」の劉章を攻撃して国盗りしたのは後年のことであり、この時点では、領地を持たない劉備流離軍団の統領に過ぎなかった。

 と言うことで、曹操の狙いは、孫権の軍備が整っていない段階で、荊州水軍と自前の騎馬軍団の威力で恫喝して孫権を隨身させようというものであり、討伐して攻め滅ぼそうというものではなかった。直前の荊州攻撃でも、実際は、大軍の威力で戦わずして降伏させていて、後継者は地位を保ちつつ、遠隔地に移動させる処置を執っていて、この際、孫権を同様に取り除けないものか、というものだったと思われる。つまり、周瑜のような猛将は別として、地方に領地を持つ諸官は、服従するなら温存しても良いと見ていたのである。

 曹操の陣立ては、概して見かけ倒しであったはずである。荊州での本格的戦闘に備えて、南征に要する戦糧は、保持していたから、江南での小戦闘は折り込み済みであったが、大軍を渡河させて地元の孫権軍と戦うには、大量の食糧を川越しに運ぶ兵站の必要があり、孫権の水軍に、兵站船を攻撃されると騎馬兵を含む大軍が挫折して大敗する可能性があるから、曹操は、そのような無理攻めは考えていなかったと思われる。
 当座は、孫権軍を痛い目に遭わせて、長江下流の合肥城への侵攻を断念させる程度であったと見えるのである。
 と言うことで、曹操には、積極的に江南に侵攻する気はなかったと見える。何しろ、曹操は、「孫氏の兵法」を全巻読解しているから、万全の用意の無い戦いはしないし、そもそも侵攻してこない敵(孫権)との不必要な戦いはしないのである。

 ここまでをまとめると、曹操は、孫権を強攻で打倒して、江南を支配下に収める気は無かったから、軽く痛い目に遭わせる程度で、早々に撤退して帰京する方針だったと想像される。

以上

2016年9月19日 (月)

今日の躓き石 言葉のもてなし-ゴルフ界

                                2016/09/19
 今回の題材は、毎日新聞大阪13版スポーツ面の女子ゴルフ記事である。
 優勝した台湾選手の談話で、日本語が乱れているのに、そのまま掲載しているのに不満を感じたのである。

 随分昔だが、台湾滞在中に、現地の友人の母親、つまり、一世代上と思われた台湾の人と話していて、言葉遣いが、正しい日本語でないことをたしなめられた経験をした。
 確か、すでに戦後30年近く経っていて、台湾の人たちは、長く台湾で話されていて身に付いていた中国語(福建地区の言葉、つまり母国語)をやめて、聞き慣れない、普通話と呼ばれる公定中国語(つまり、実感としては外国語)を「国語」とされ、三つの言葉の混沌とした時代を随分苦労して過ごしたはずなのに、昔、子供時代に学校で習った、毅然とした日本語を覚えていて、行き届かない日本人に伝えてくれたことに、今も深く感謝している。

 さて、選手の談話(と思う)で具合が悪いのは、ゴルフ界の古い世代が言い崩した業界語で、ぼちぼち、止めたらどうかと思う端折ったカタカナ言葉であり、外国人にそれを押しつけるのは失礼だと思うのだが、ゴルフ業界の人たちは、どう考えているのだろうか。

 ここまで言えば、おわかりのように、「ドライバーが曲がる」、「アイアンの距離感」 と続いた、不適切な言葉である。ゴルフがマイナーなスポーツの時代、仲間同士の符牒(隠語)で、こうした言い方を作った世代があるのだろうが、それぞれ、クラブそのものが、曲がったり、「距離感」(この言葉自体は、現代に蔓延るぼやけた言い回しだが、この記事の趣旨からそれるので言わない)を持ったりするのは、怪談のようではないか。この記事では、出てこないが、時に、「パター」が入ったりするのである。

 折角、外国からのお客さんが、日本語を習おうとしてくれているのだから、崩れた日本語でなく、毅然として日本語を持って帰っていただいたらどうだろう。それが、一時代同胞として過ごし、今でも古い友人である台湾の人に対するに対するおもてなしではないだろうか。

 咄嗟に思い出せないのだが、「わたし、頭が(?)それとも気が(?)弱いんです。」のようにどちらともとれる発言を報道されていた選手がいたのが、うっすらと気にかかっている。
 台湾から来日すると、日本語で談話できることを期待されるのだろうが、なかなか、ちゃんとした談話が出せるように指導してくれる人がいないのだろう。それどころか、言い間違いを、殊更報道されるもののようである。

 以上、くれぐれも、毎回の記事であるように、プロの報道人である新聞記者を責めているのであって、選手当人をしかっているのでは「一切」ないので、誤解しないで欲しい。
 後々まで残る言葉の領域で、「業界」の悪習に染まらないで帰って欲しいものである。

以上

2016年9月18日 (日)

私の本棚 季刊「邪馬台国」 130号 時事古論 第4回

 再論詳説・洛陽で発見された「三角縁神獣鏡」 連載(1)
                                      安本美典
          私の見立て★★☆☆☆                2016/09/18        

 最初にお断りしておくが、本ブログ記事は、安本氏の論説全体の主旨についてとやかく言おうというものではない。枝葉の部分で、不適当と思われる発言があるので、指摘したいというものである。

*名画の再現-複製画
 今回の記事の末尾で、中国に実在する油画村について、中国に於ける偽物造りの議論の中でさらっと紹介されているので、否定的な印象を期待しているように感じてしまうのだが、名画の複製品(レプリカ)の販売は、中国美術界の周辺で成立している、堂々たるビジネス形態であり、褒めるべきであっても、非難すべきものではないのである。無名の画家にとって、貴重な収入源であろうし、よほど名声を博しない限り、複製品販売の収入で喰っているのだろう。

 例えば、ゴッホの「ひまわり」は、特定の作品の本物は世界に一枚しかないし、売りに出たとしても買うには莫大な費用がかかる。仮に、十分な資金があって買うことができたとしたら、どこかの金庫室にしまい込むしかない。

 これが複製品であれば、それこそバーゲンの時期を狙えば1万円としないものだし、その程度の値段であれば、汚しても怖くないから、自宅の部屋の壁に吊して、日々名画そのものに親しむ気分になれる。

 実際、当ブログ記事筆者の書斎(ぼろ屋の中の6畳間の和室)には、ゴッホの「ひまわり」の複製品(レブリカ)が架かっている。念のため言うと、このレプリカは、原画の写真を、大型プリンターでキャンバス地に印刷したものでなく、画家が、実際に、キャンバスの上に絵筆で描いた複製画であるから、絵の具の盛り上がりや筆運びがわかるし、署名入りでもある。と言って、ゴッホの筆運びは、さほど緻密ではないから、おそらく2―3時間で描けたと思うのである。そう思えば、複製品の値段はそこそこである。もう一つ念のために言うと、ゴッホの描いた絵画は、すでに著作権が消滅しているので、複製して販売しても、知的財産権の侵害にはならない。

 概して言えば、欧米の美術館は、画学生が、館内で展示品の模写をするのを認めている。
 と言って、別に当ブログ記事の筆者は、自身で画家を気取っているわけでもない、まして、これを本物として売り出すことなど考えていない。ただ、気分として、ゴッホの画を見ていたい気分になったとき、その程度の資金があったと言うことである。

 続いて、本記事は特に区切りも無しに、「贋作」村の話に続けるから、偽物造りと関係ない複製画(レプリカ)が、偽物造りの類いと誤解されそうで危ういのである。

*書聖王羲之の模倣
 「贋作」村の話の後に、王羲之の書の模倣が出回っていると紹介されているが、偽物造りと関係ない話である。
 書聖と呼ばれる王羲之の真筆は手に入らないとされているのは、衆知も良いところである。中国唐王朝の皇帝が、最後に残った王羲之の真筆を遺言で墓に埋めろと指示したので、いつの日か発掘されて、地上に持ち出されない限り、だれも見ることはできないのである。
 そもそも、王羲之の真筆は、唐時代に既に貴重であったから、いろいろな技法で複製することが普通であり、そのためには、王羲之と同じ筆、墨、紙を使用し、王羲之と同じ筆の運びをすることで、殆ど見分けのつかない状態で再現する試みも幾度となくなされたし、別の技法として、王羲之の真筆の下に用紙を敷いて、文字の要所要所に針穴を打って、敷いた用紙の針穴の作る輪郭線の中を極めて細い筆で緻密に埋めて再現する複製技術もあったとのことである。

 それ以外にも、中国で一流の書家を目指す無数の子供達は、王羲之の書の複製品を臨書して、王羲之と同じ書を書くことを人生の究極の目標としているのである。
 このようにして、王羲之の書の「複製」は、それこそ山のように書かれていて、中には、指摘されているように「時代錯誤」の書まであるが、どこにも、本物と称して売ろうとするものはいないのである。この話も、偽物造りと関係ない話である。

*複製品(レプリカ)の意義
 安本氏ほどの知性の持ち主が、犯罪行為である偽物造りと正常な商行為である複製品(レプリカ)造りが、全く異なるものであることは、素人の指摘がなくても承知の筈であるが、この記事全体が、両者を一緒くたに紹介して、複製品(レプリカ)造りを含めて「犯罪」と主張しようとしていると受け取られるのではないかと危惧するのである。

 ついでに言うなら、中国を「コピー大国」と呼ぶのは、主として、各種電気・機械製品の模倣、特に、特許や意匠、商標、ノウハウの盗用を言うのであり、又、近年で言えば、PCアプリの複製販売、日本の漫画、アニメの無断翻訳販売などの違法行為を指すのであって、今回取り上げられた、美術品の複製や骨董の偽造とは、別次元のように思う。いや、同じ国民性から出ていると言われたらそれまでだが、かなり異質の事項であることに変わりは無い。

 今回の記事は、そういうことで、安本氏の論説の行きすぎと思われる難点に関して率直に指摘させて戴くものである。

以上

私の本棚 歴史読本 2014年7月号(5)特集 謎の女王 卑弥呼の正体

               株式会社 KADOKAWA
                 卑弥呼機関説       遠山美都男

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/09/18

 当記事は、「徹底検証九人の卑弥呼」と題された九篇の記事で、六番目に登場する記事である。当記事の筆者は、当誌編集部の見るところ、安本美典氏や古田武彦氏と並ぶ権威者と見なされているようだが、存外の空評判だったようである。

 こうした記事の筆者は、普通、読者の心を掴むべく、切り出し部分に工夫するのだが、ここでは、つんのめる切り出しで論議を始めるので、その騒々しさに食傷して、読者に逃げられてしまうのである。もちろん、こうした語り口に馴れている、いわばおなじみさんは付いてくるだろうが、それでは、いつまで経っても、支持者が増えないのである。

 卑弥呼とは『魏志』倭人伝という外国史料にしかあらわれない存在である。したがって、その実像の解明 には『魏志』倭人伝に対する徹底的 な史料批判がもとめられる。そこに 書いてあることをそのまま追認することが許されないことは多言を要さないであろう。

 書き出しから不穏である。卑弥呼は、魏志倭人伝と共に後漢書倭伝にも現れる人名であることは衆知である。名前だけであれば、朝鮮半島史書にも現れるし、魏志と後漢書は後世史書や類書に引用されるからそこにも書かれているのである。とにかく、冒頭の一文で衆知の事項を誤記するとは、何とも不用意である。

 記事筆者は、なぜか卑弥呼が「外国史料」にしか現れないことをとがめ立てしているようだが、当時は、中国が東アジア唯一無二の文明であり、倭国と銘打ちながら、中国に向かって「外国」と呼べるような国家でなく、自前で記録しようにも文字も暦も媒体となる紙もなかったのだから、中国側でしか記録されていないのは、当然のことである。
 「夜郎自大」ではないが、東夷の側が中国の上に立って憤ることではない。
 勢い込んで「その実像」というのは、卑弥呼の実像と言うことだろうが、実像だろうが虚像だろうが、卑弥呼の姿は両資料にしか書かれていない。それを批判しようにも、根拠となる倭国側史料がないから、単なる虚勢に終わるのである。
 続いて、「徹底的」と息巻いても、事態の底がどこまで深いのかわからないのだから、極めようもなく、空虚な言い分である。「もとめられる」と、またまた激高しているが、動詞の主語は何なのだろうか。

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今日の躓き石 朝日新聞は「リベンジをかける」のか

                           2016/09/18
 今回の題材は、大変珍しいことに毎日新聞でなく、朝日新聞である。 

越前おろしそば、うどん県で「全麺対決」 その勝者は…

 当ブログの「リベンジ批判」で、全国紙ではいつも毎日新聞が題材になるのは、講読しているからであり、他の新聞が登場しないのは、目にしていないからである。

 今回の題材は、何のことはない「うどん」と「そば」の「全麺」決戦であるが、なぜか、血なまぐさい「リベンジ」が登場するのである。「リベンジをかけて再度対決する」とおっしゃっているが、勝った方が「リベンジ」なるものを獲得するのだろうか。不思議な言い回しである。
 新聞紙で言えば社会面ネタで、一般読者が、このカタカナ語を理解できるとは思えない。なぜ、再挑戦すると、まっすぐに言わないのだろうか。
 いくら、鎧甲で身を固めていても、仕返しに敵を血祭りに上げる「破壊活動」(報復テロ)を読み取りそうな不穏な言葉は避けるものではないかと思うのである。これは、当事者の言葉なのか、朝日新聞社のものなのか。朝日新聞社が、世間に対して、こういう言葉遣いが面白いと提案しているのか。まあ、他人の楽しみは、中々わからないものだ。

 いつも、毎日新聞の校閲部が鈍感だと文句を付けているのだが、多分、下には下があって、自分で何を書いているのか気づいていないという点では、朝日新聞の方が底抜けではないかと思う次第である。

以上

私の本棚 歴史読本 2014年7月号(4)特集 謎の女王 卑弥呼の正体

                       2016/09/18
               株式会社 KADOKAWA
承前

*時代錯誤となる用語
 余談ながら、当代論者の例に漏れず、記事のあちこちに、古代史論に不似合いな言葉遣いが散見されるのは、感心しない。

 「王に選ばれた卑弥呼の能力」と銘打った段落で、「卑弥呼に対するイメージ」なる意味不明な書き出しであるが、まず出て来るのは、卑弥呼の容貌評であるのは、不適当な言い方であろう。女性をいきなり容貌で評価するのは、今日、感心しないとされている。

 まして、卑弥呼が、年若いか、年寄りかも、議論が分かれているのである。また、審美眼の差異もある。卑弥呼は、茶髪、碧眼、高い鼻だったのかどうか。そんな議論は、するべきではないのである。余談であるが、世界帝国である大唐を壊滅させる原因となった傾城の美女とされている楊貴妃も、現代日本では評価の低いぽっちゃり体型であったとの記録もある。いや、余談である。

 この「イメージ」というカタカナ語は、筆者の勝手な言い回しで撓められていて、段落末尾で、「具体的にイメージする」と目的語も主語も不明確な、崩れた文章となっている。読者に訳のわからない捨て台詞が投げだされている。どうも、漠然とした印象と思われる名詞の「イメージ」を動詞扱いにしただけで、意味不明なのだが、形容詞/副詞として「具体的」というのはどういう意図で言われているのか、理解困難なのである。

 結末部分で、意思疎通ができなくなっては、読者は困惑するのである。

 結局、古代史に関する議論で、現代語、特に「カタカナ語」を言い崩してまで援用するのは、記事筆者の本来の使命である、著者と読者の意思疎通を著者が一方的に拒否し、肝心の議論を混濁させる時代錯誤であり、古代史論者としての記事筆者に対する信頼性を損なわせるものだと感じるのである。

 参考資料
  「正史宋元版の研究」 汲古書院 尾崎康 1988年
  「翰苑」 太宰府天満宮文化研究所 昭和五十二年
  太平御覧 四夷部三·東夷三 (中國哲學書電子化計劃)
     http://ctext.org/taiping-yulan/782/zh
  梁書 卷五十四 列傳第四十八 諸夷 倭

以上 

私の本棚 歴史読本 2014年7月号(3)特集 謎の女王 卑弥呼の正体 翰苑、太平御覧、梁書の乱脈

                            2016/09/18
               株式会社 KADOKAWA

承前

*後進資料評価
 翰苑(現存写本
 翰苑の現存写本が、明白な誤記が訂正されていない、つまり不正確な書写に対して責任校正のされていない、いわば、結果に責任のとれない成り行き状態にあることは、既報の通りである。
 明白な誤記が訂正されていないというレベルには、例えば、倭国冠位の列記に「大徳」とあるべき所が、「六徳」となっている点が例示できる。およそ、漢語の初心者であっても、しかるべき常識のある知識人であれば、前後記事と整合しないことから、書き写す際に誤りに気づくものである。
 原本からここに到るいずれの段階で書写の誤りによる誤記が起こったにしろ、例えば、引用されている史書の信頼できる写本ないしは刊本と対峙させて、異同のある記事の信頼性を比較するのであれば、即座に、翰苑記事を却下すべきであると考える。

 念のため言えば、以上の評価は、写本としての機械的な精度を言うのであって、当写本がもつ、芸術的意義、及び、多年に亘る文化財保護の偉業を批判しているものではない事をご理解戴きたい。

 太平御覧
 翰苑記事で既に片鱗が現れているのだが、これら『百科事典』的大冊の編纂過程で、史書の原本を直説参照することは不可能である事は、自明と思われる。

 なぜなら、全正史の全巻を同時に参照することの物理的な困難さは別に置くとして、その時点の各正史の「原本」(最高写本)は皇帝所蔵の国宝であり、皇帝自身すら、まれに機会を得ない限り閲覧不可能であり、実際の閲覧が可能な、原本から作成された一次写本すら、特別な許可を得て、始めて閲覧できるものである。(そのように厳重に管理したはずである)

 「太平御覧」の編纂者は、正史の参照を所望しても、一次写本については、帝国の書庫に臨んで、所望の記事を抜き書きして持ち帰ることができるだけであった思われる。このような貴重書は、所謂、門外不出、禁帯出の貴重書だったはずである。

 それでは、編纂の実務が進まないので、或いは、編纂者は、一次写本でなく、そこから派生した二次以降の低級写本、さらには、市場で流通していたかも知れない、更に低級の「通用」写本を入手して、編纂者の書斎に常備していたかも知れない。
 それでも、太平御覧の編纂に際して参照される原資料は膨大であるから、結局の所、写本をもとに、抜き書きを作成して、参照していた可能性が高い。抜き書きとなれば、機械的な転記でなく、当代の知識に基づく、推定が加わる可能性が高い。何しろ、「太平御覧」は、皇帝をはじめ、高位の読書人の読むものなので、当代の語彙に合わせて書き換えた方が、読みやすくなるのである。
 大冊の編纂者は、当然複数のものが、責任担当分野を決めていたろうから、同時に複数の部署で正史写本が必要となることも、予想できるのである。
 してみると、編纂者が引用した写本や抜き書きは、何かしら誤記や誤写の避けられないものであったことが推定できる。
 そのような過程を経て、遙か高みの原本から伝来した抜き書き記事と、国宝原本の高精度写本で継承された系列の記事とどちらが信頼性が高いか、は容易に推定できることである。

 別記事で論評しているように、国宝級原本の高精度写本は、楷書系の明確な字体で、速度を問わない徐行で行われたであろうが、『通用」写本に到っては、速度重視の草書系で行われたと推定される。

 所謂「達筆」の草書系の略字を介した写本では、誤写が格段に発生しやすいのは、書家の説くところである。国宝級の写本では、繰り返し、写本と書写原本との照合・校正がなされるが、本字で書く気になれないほど先を急いだ写本であれば、文字の確認も甘くなろうというものである。

 ちなみに、草書を介した写本が誤写多発と決めつけるのは早計であり、古田武彦氏は、紹凞本が北宋刊本を基にした草書(達筆)写本を本字に書き戻した可能性が高いと見ている。俗字や固有名詞のつまらない誤写は、草書写本由来によるとみていたようである。

 記事筆者も、「共立」の「共」が脱落していることから、太平御覧の引用には、誤写があることを認めている。

 梁書
 梁書は、建前上は、裴注の行われた劉宋の後継である南朝梁の『正史』であるが、後続の陳朝が、国家事業として編纂した物ではない。
 また、梁朝は、末期の戦乱で首都が叛徒に包囲されて、飢餓地獄に陥るほどの窮地に落ちた上に、引き続く動乱で、首都を叛徒に蹂躙され、内部資料の多くを失ったと思われる。

 加えて、陳朝は南朝最後の王朝であって後継されず、北朝隋に征伐され、亡国となったのである。隋朝は、東晋朝以下の南朝歴代王朝を王朝として一切認めず賊徒・叛徒として扱い、南朝が歴代継承した公文書類の多くを焚書、廃棄したのである。

 そのような状態での編纂なので、正史の基となる史料に欠落が多く、正史といえども信頼を置くことのできない記事が多いのである。
 また、記事筆者も、梁書記事には、後世人の推測による書き換えが多々あることを認めている。

 以上のように、信頼性の乏しい資料の記事と三国志の記事とをつきあわせて、いずれを採るかと言われれば、論議の余地無く三国志に分があると言わざるを得ない。(分があるというのは、絶対という意味では無いのは言うまでもない)

 古代史学界にはびこる合理的でない資料観を、別記事で、まるで、盆栽の丹精のようだと歎いたことがある。史料を史料として客観的に精査するのではなく、言うならば、自身の所信に合わない枝は剪定して摘み取り、或いは、枝振りを矯めて自身の所信に合うように手入れして、丹精の結果出来上がった史料を基にした見解を提示するのは、科学的な史料批判ではないと思うのである。

 当ブログ記事筆者の、記事筆者に対する敬意は、この下りのあまりな扱いに、大分傾いたのである。
 読者が、本書の記事に求めているのは、盆栽の美術性ではなく、科学的な精査の成果である。

未完

私の本棚 歴史読本 2014年7月号(2)特集 謎の女王 卑弥呼の正体

                          2016/09/18
               株式会社 KADOKAWA
承前

*魏志評価
 倭人伝記事は、西晋史官陳寿が、史記、漢書、に続く第三の歴史書として後世に残すべく編纂した史書「三国志」の一部である。

 三国志は、編者陳寿の没後、西晋皇帝に上申されて勅許を得たものであり、東晋、およびそれ以降の歴代王朝に於いて、まさしく、史記、漢書に劣らぬ歴史書として、言うならば国宝扱いで継承されたものである。

 このようにして上程された言うならば陳寿原本は、下って、南朝劉宋王朝に於いて、裴松之が校訂し、詳細に亘る注釈を加えた所謂「裴注」版が劉宋皇帝の認可を得ることにより、完全に置き換えられたと言える。従って、以下は、「裴注」版が、(決定版)三国志原本として継承されたのである。

 裴松之は、もちろん、完全無欠ではないが、国名論を含めて、世上で言われる「誤記」については、一切注記を加えていないところからみて、そのような「誤記」に因る写本間の異同は、見つかっていなかったとみるべきである。

 このようにして、(国宝扱いの決定版)三国志原本を原典とした厳格な校正を加えた写本継承が続いたことから、世上で危惧されているような粗雑な誤記の無い形で長く継承されたとみるべきである。

 以下、十一世紀になって、晩唐期に始まった乱世を統一して天下太平の世をもたらした宋王朝が、その時点までに編纂、上程されていた史書(正史)全ての決定版を木版印刷で出版するという大事業に着手したのである。

 決定版確定のため、帝室および国内各地に継承されている良質写本を総結集し、帝國最高の人材を動員して、それぞれの「正史」の各種写本を相互確認し、校訂作業を行ったのである。実に膨大な努力であり、控えめに言っても、「空前絶後」の文化事業と言える。
 遙か後世、異民族の征服王朝である清朝が行った「四庫全書」事業だけが、辛うじて比較しうるものであろうが、宋朝の空前の努力は高く評価されるべきであろう。

 この大事業は、いかに帝国の総力を挙げたとは言え、さすがに全正史一斉開始とは行かず、まず史書の中では最優先の「史記」、「漢書」、それに(後進ながら時代順で割り込んできた、劉宋笵曄編纂後漢書に、唐代章懐太子注の付いた決定版)「後漢書」の無上の三史の決定版が確立され、順次刊行に移されたのに続き、三国志も、いわば、決定版「三国志」として確立されて、刊行の運びとなったのである。

 手短に言えば、その時点以降の三国志の各種刊本、つまり、各種木版印刷本は、全て、この決定版である三国志北宋刊本を継承したものである。これにより、当時市井にあった異本は悉く排除されたと言える。

 それ以降、北宋が壊滅した靖康の変で、国土の主要部を残らず金王朝に蹂躙された重大な災厄もあって、継承は完璧と言いきれないものの、多数の関係者の努力の及ぶ限り、完璧に近い信頼性を保っているのである。

 ちなみに、正史現存刊本の多数の実資料を、多年に亘り日、中、台の各地で実地確認した絶大な功績で著名な尾崎康博士は、その過程で、正史、経書などの刊本の書誌学的検討に多大な努力を注いだのであるが、一時、三国志刊本、特に、「紹凞本」の欠点を摘発する使命を与えられ、学問の本道を逸れて道草を食ったようである。

 尾崎康博士の著書を見る限り、上に述べたように、三国志各種刊本に、若干の異同はあっても、本質的なものは少なく、まして、世上で提起されている「倭人伝」の勝手な訂正は、資料の根拠を持たないことが読み取れると感じるのである。

 この点、当ブログ筆者は、精査はしていないが、例えば、景初遣使を景初三年と書いている魏志刊本があれば、とうに世上で騒ぎを起こしているはずであるから、そのような異同のある「異本」は、一切発見できなかったと推定するのである。

 案ずるに、そのような異同は、刊本登場以前に、不正確な通用写本からもたらされたか、或いは、粗雑な抜き書きによって発生したとみるのが、順当な見方であると感じるものである。

 以上の当ブログ筆者の個人的な認識は、尾崎康博士の著作に基づくものであるが、引用、認識の誤りは、当ブログ筆者の責に帰すべきものであることは言うまでもない。

未完

私の本棚 歴史読本 2014年7月号(1)特集 謎の女王 卑弥呼の正体

                       2016/09/18
                         株式会社 KADOKAWA

 基礎史料で読み解く女王の実像
 『魏志』倭人伝にみる卑弥呼の足あと    田中俊明

 当記事は、以下の誌面で九人の論者が登壇して力説する九人の「卑弥呼」の時代背景を予習するもののようであるが、どうも、うまく書けていないようである。

 記事の前置き部分で、記事筆者は、「卑弥呼に関する史料はほぼ魏志倭人伝しかないから、卑弥呼を知るには倭人伝を精査するしかない」、と堅実な所信を表明している。

 「ほぼ」と丁寧に語っているのは、ほぼ後漢書倭傳記事を意識したものであろう。また、「精査」するというのは、これまた堅実である。後世人として、史料を尊重しつつ、最善を尽くして検討するという謙虚な姿勢が伺われて、当記事筆者の誠実な人柄がうかがわれるのである。別記事で批判した粗暴な所信と大違いである。所信表明は、かくありたいものである。

 と言うものの、このような斯く斯くたる所信を持ちながら、國名論に於いては、魏志の記事を捨てて、「ほんらいの「魏志」によった「後漢書倭伝」など」と憶測を言い立てるのは、誠に不可解である。
 「ほんらいの「魏志」」は、誰も論証していない幻覚のようなものであり、従って、そのようなものに「よった」かどうかは、更に誰も論証していない推定である。ちょっと、あまりにあまりではないかと思うのである。記事筆者の理性が疑われて、心配である。

二.卑弥呼の外交 卑弥呼の遣使

 卑弥呼は、景初三年(二三九)に帯方郡に使者を派遣した。『魏志』の諸版本では「景初二年」としているが、『翰苑』註所引「魏志」・『太平御覧』所引「魏志」・『梁書』倭伝には「景初三年」とある。『日本書記』神功摂政三十九年条分註に引く「魏志」も「景初三年」とする。ゆえに「三年」の誤りであると考える。

 当段落の、大事な切り出しで、このような独断の意見が、根拠を示さないままに飛び出してくると、いくら私見の表明であっても、読者は当惑するのである。

 ここまでは、異論はあっても安心して読み続けたのだが、この部分で、論証抜きに史料を書き換えるというのは、困ったものだと思うのである。

 いや、古代史学界という狭い業界では、これで当然という風潮があるのは承知しているのだが、学術的な論証は、合理的な判断に基づくしかないはずであり、科学に於いて、合理的な判断とは、証拠と合理的な論理に基づくしかないのである。そして、確実な判断ができない場合は、良心に従い、「ゆえに」などと決定的な裁定を安直にまき散らすことなく、判断を保留すべきと思うのである。

 冒頭の所信から推察した、記事筆者の人柄からみると、ここに書き飛ばされている判断は、あんまりだと思うのである。

 参考までに、判断を保留すべきだと思われる事情を示すために、ここに、比較されている資料を列記し、信頼性を評価してみるのである。ただし、史料として信を置けない日本書紀は、はなから除外する。また「倭国の使者が魏の都洛陽に到着したのが六月」なる、出所不明、根拠不明の文句に始まる提言は、記事筆者の名誉のために聞かなかったことにする

 もちろん、以下に述べるのは、当ブログ筆者の個人的な感想であり、アプリの使用許諾契約のように、読む人に同意を強いている物ではない。

未完

今日の躓き石 感心しないEテレの「リベンジ」誤用

                              2016/09/18
 今日の題材は、NHKEテレ日曜朝の将棋フォーカス、今回は、アマ名人戦である。
 正直ちょっと心配していたのだが、見ていた限りでも、「リベンジ」、それも、悪い方のやつが二回登場した。

 一回目は、代表としては若い、少年と呼びたい人であったが、予選敗退の感想の最後に「リベンジ」と口走っていて、NHKは、その部分をカットするどころか、でかでかと字幕で書き出していて、何とも情けなかった。
 まだ若いし、多分、言葉遣いにまで気の回る指導者に恵まれず、しゃべり方を教えてくれる人がいなかったということなのだろうが、天下のNHKの取材担当者が、悪い言葉遣いを窘めず、全国放送の形で当人の恥を後世に残したのは、プロ意識の欠如もいいところで、何とも困ったものである。

 また、引き続く進行で、アナウンサーでもないのだろうが、男声のナレーションで「リベンジ」が出てきたのも、正直なところ、お粗末であった。往年のNHKアナウンサーは、アナウンスの対象となる分野について、普段から、いろいろな言い回しを練っていて、それだからこそ、実況放送でもよどみなく適切な発言ができると、随分以前に聞いたことが、長く印象に残っている。時代は変わったのだろうか。

 どちらの例も、古い方、悪い方の「仕返し」、「復讐」、「血祭り」の野蛮な意味で言っているようであり、メディア最前線にいて、現代言葉がわかっていないなあと歎くのである。世にはびこっているのは、再挑戦程度の、軽い、おどけた使い方の大輔リベンジなのである。

 以上、後世に悪しき遺産を残さないように、悪い言葉遣いを自制するのが、報道人の務めではないだろうか。難しいことは言わなくても、子供がまねして良い言葉と悪い言葉は、意識してほしいものである。

 一部の宗教では、裁きは神だけがが下すもの、人は他人を裁いてはならない、と教えているが、当方は、不信心なので、摩擦を覚悟で言わざるを得ないのである。

 ちなみに、当方は、一介の視聴者であり、NHKの放送に不満な点はあっても、代えがたい至高のメディアとして尊敬しているので、受信料を返せと言うつもりはない。

 また、この意見を公式に投稿すると、関係者に伝わるだろうが、多分何らかの回答の義務が生じるので、そのような強制的な態度はとりたくないのである。もちろん、このような閑散としたブログにポツンと掲示した記事に関係者が気づくかどうかは、「縁」次第である。

以上

2016年9月17日 (土)

今日の躓き石 本気 それとも “本気”?

                          2016/09/17
 今回の題材は、下記の商品紹介記事二件である。

キヤノンの本気ミラーレス「EOS M5」を写真でチェック!

キヤノン、EVF内蔵の“本気”ミラーレス「EOS M5」発表

 二件続けてこの見出しで、呆れていたのだが、当のメーカーから抗議されて訂正する様子もないから、こうした言い方での紹介がメーカーの本意に沿っているのだろうが、これでは、終戦直後に民生用カメラの製造・販売に取り組んで以来七十年になんなんとする、絶大な権威のある超一流メーカーの品格も、地に落ちたと思うのである。

 この言い方で云うと、この新機種以前の歴代の「ミラーレス」は、冗談まじりで作った、ある意味、ちゃちなものだったと自分から云っていることになるのだが、メーカーの売り文句として、それでいいのだろうか。

 今回は、それ以上追究しない。
 それでいいというのなら、一個人として、このメーカーの見方を変えると云うだけである。
 前回、このメーカーのカメラを購入して以来、十五年程度になるから、別にも顧客でもなんでもないし、もちろん株主でもないし、要は、ど素人が勝手に言い立てているだけなのだが、当方は「本気」である。

 ここまで来ると、サイトの「品格」も、やっぱり、やっぱりという事なのだろうか。

以上

今日の躓き石 SFは非科学的か 「ゴジラが暗示する」??

                                   2016/09/17

 記事URLを書き忘れたのでLinkを追記する
 ゴジラが暗示する=青野由利

 今日の題材は、毎日新聞大阪13版「分析・解説」面の「土記(誤字訂正)と題されたコラムであり、専門編集委員のおそらく「無鑑査」(無校閲)記事と思われるので、一読者の意見として、展開の中で不合理な点を指摘させていただくことにする。

 ただし、大事(と思われること)を最初に申し上げると、「SF」は、科学的な仮説に基づく科学的な「小説」(フィクション)であるので、現実と連動していない架空のお話であるが、少なくとも、それぞそれのフィクションの展開は、科学的な思考を経ていると言うことである。

 と言うことで、意見を述べさせていただくと、コラム筆者がまくらで紹介されているテレビシリーズ「スタートレック」で(ストーリー展開上大変便利なので)の「小道具」として多用されているのは、ビーム転送であり「テレポーテーション」ではない。この違いは、単なる言葉遣いの問題ではなく、基本的な動作原理を誤解されたようである。

 SF界の伝統的な定義では、「テレポーテーション」は物質の瞬間移動であり、言い換えれば、物質を構成する全原子そのものが遠隔地点に瞬間的に移動することを言う。
 ただし、そのような現象は、いかなる科学を動員しても説明できない「超能力」であり、ファンタジーである「ドラえもん」ならいざ知らず、そのようなインチキ科学は紹介されていないのである。

 少なくとも、第二シリーズの"StraTrek - The Next Generation" (新スタートレック)で、何度か説明されているように、常用する小道具である「ビーム転送」とは、実は、物質の転送ではなく、転送元にある物体の全構成原子の位置情報をスキャンして、その情報を受信機に転送し、そこで、全構成原子を再現するというものである。
 情報は物質そのものではないから、伝送技術の許す限り、高速で伝達でき、「ビーム転送」が未来永劫不可能とは言えないとされていたものである。
 もちろん、最新の量子力学理論に因れば、物質の構成原子の位置をこうした「ビーム転送」に必要な精度で「知る」ことは「不可能」であるから、結局は、これもまた実現不可能な科学と諦めざるを得ないようであるが、現在知りうる限り、最も妥当な未来科学なので、これからも、利用される「技術」だと思うのである。

 そうしてみると、この技術の限定された再現は、3Dスキャナーと3Dプリンターによる3Dコピーなのである。ちなみに、「テレポーテーション」が実現したとの発表は聞き漏らしたので、ニュースソースを紹介いただければ幸いである。
 もし、3Dスキャナーと3Dプリンターが必要な高精細度を達成することができれば、そして、全原子の位置情報というとてつもなく膨大な情報を伝達することができれば、3Dスキャナーで走査し、完全に忠実にデータ転送し、受信側が3Dプリンターで完全に忠実に出力したとき、原本と複製が限りなく同一に近くて、区別できない可能性は、いまだに否定できないと思うものである。(受信が成功したと確認された時点で原本を破壊するのは、ちょっと恐ろしいものであるが、原理上不可避である)

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2016年9月14日 (水)

今日の躓き石 違和感とごまかす「ごますり」批評

                           2016/09/14 
 いや、今回は、ネットポータルであるITMeidaの下記記事を読んで、訳のわからない日本語に「違和感」をおぼえ、そして、これは、メーカーの詐称をかばい立てしている「ごますり」記事ではないかと感じたのである。

iPhone 7 Plusの「2倍光学ズーム」って違和感ない?

 当方は、当該メーカーのサイトにアクセスして、事実調査する気もなければ、業界の常識を調べる気もない。当記事の書きぶりについて、自身の知識に基づいて批判するだけである。

 いや、書かれていることを受け止めるなら、これは、違和感などという訳のわからない日本語で茶化すものではない。性能を偽って表示しているのに、そう指摘しないのはどうしたことだろうか。
 当方は、カメラの業界人でもなんでもないので、素人のうろ覚えになるが、ズームレンズは、元々映画撮影用のレンズの(当時としてはめざましい)機能を指すものであった。
 例えば、被写体となる人物(主人公やヒロイン)を広い背景の中に捉えていたと思ったら、連続的にアップしていって、大写しになるという強烈な効果であり、しかも、其の間、焦点が合っていることが格別の効果を示すものであった。このようなダイナミックな「ズーム」効果を実現できるのが、ズームレンズであった。(Zoomは、アメリカンコミックの擬音表現の流用であった)という風に記憶しているのであるが、何分素人のうろ覚えであるので、事実認識が間違っていたら指摘戴きたい。

 ちなみに、それまでの常識は、複数の焦点距離のレンズをタレット式に切り替えるものであり、当然、連続して撮影倍率を変えることはできなかった。

 また、コンピューターによるレンズ設計が殆ど不可能に近かった時代であり、ズームレンズの機構が大変、大変複雑であるため、大変、大変高価になるので、焦点位置を維持しない、単に焦点距離を可変としただけの「バリフォーカル」なる代替物が出回ったほどである。動画でなければ、それでもある程度希望する効果が出ると言うことのようだったが、早々に姿を消している。

 この記事で取り上げられているのは、そうした「原始的」な切り替え方式であり、書かれているように、「ズーム」機能の無いものをズーム呼んでいるとすれば、それは、詐称である。つまり、大嘘である。

 二焦点切り替え式のカメラは、フィルムカメラの後期のコンパクトカメラで、広角と望遠の切替えができるものが結構好評であったが、これを、「ズーム」と呼ぶようなメーカーはいなかったはずである。当時は、まだ、工業界としての倫理も仁義も健在であったはずである。

 記事筆者は、適確に問題点を指摘しておきながら、当該メーカーが「正確さより分かりやすさ」を重視したのかなどと持って回った言葉で「お茶を濁している」が、機能を偽っていて「わかりやすさ」というその心は、ウソをつくことを選んだメーカー姿勢を(内心手厳しく)批判しているようにも見える。

 大変、鬱屈した言い回しだが、生活のかかっているプロの保身なのだろうか。ちなみに、幸か不幸か当方は一介の私人であり、当ブログへの執筆で何も収入を得ていないので、今後、取材拒否されても広告入稿を止められても、何も失うものは無いので、自分の信じるままに書くのである。

 それにしても、戦後の業界萌芽期以来、着実に形成されていた健全なカメラ業界が崩壊して仁義も倫理も何もない、闇の世界になったと言うことなのだろうか。
 いや、崩壊していない、まだ健在だというなら、どんなルールで、このような言い抜けがまかり通っているのか、素人にもわかるように教えて戴きたいものである。

 記事筆者の誤解で、当該メーカーの本意が伝わっていなかったとしたらその点では失礼であるが、当ブログ記事は、あくまで、ネット記事の報道姿勢の批判である。誤解なきように願いたい。

以上

 

2016年9月12日 (月)

今日の躓き石 季節外れのリベンジ

                               2016/09/12
 今日の題材は、休刊明けの夕刊なので、実質は、朝刊のつもりで読んだ毎日新聞大阪夕刊3版スポーツ面である。

 今回は、共同通信の配信記事であるが、毎日新聞の責任で載せたと思うので、そう書いていくが、もし、共同通信が、見出しまで付けていたとしたら、「落ちたもんだな」と歎くのである。

 「春のリベンジ」と書いているが、今はもう秋、誰も春だと思う人はいまい。寝ぼけた見出しである。記事内容を見ても、寝ぼけた話である。
 全国紙の読者は、普通の人である。こんな見出しで意味が通じるはずがない。遠い昔のことなど、とうに忘れていて、この記事だけが頼りなのである。

 こうした異様な言い回しは、駅売店などて売り上げを競うスポーツ紙の常套手段であり、スポーツ面記事が表面に出ない全国紙の取るべき姿勢ではない。まして、今回は見出しの不可解が記事で解き明かされていないので、単なるバカ騒ぎである。 

 見出しで殊更に血腥い「リベンジ」と言い立てているから、前回ぶつけられた仕返しに、ピッチャー返しで痛い目に遭わせたかと思ったが、そんな話ではないようである。
 大体、前回の顔合わせに何があったか知らないが、日米通じて、つまり、世界レベルで現役最高のバッターが、はるか後進のMLB新人に対して何を根に持ったのか書かれていないから、何の仕返しかわからない。
 報道にも何にもなっていない。共同通信ともあろうものが、随分杜撰な書き方である。

 記事を見ると、三打席の中で手痛く併殺打を打たされているが、それが「意趣返し」なのだろうか。随分屈折した心理であり、素人である一読者には、大選手の心境を知るすべもない。

 そのあと、単打が一本あったようであるが、三打数一安打で併殺打ありでは、捻られたというのは言い過ぎとしても、抑えられたとしか思えない。記事には、そうした経過だけ書いているのだが、見出しでわざわざ記事にない野蛮な言葉遣いをした趣旨がわからない

 こうしてみると、共同通信も随分落ちたものだと思うし、記事はともかく、的はずれて、常識を疑われるような見出しで紙面に載せた毎日新聞も、相変わらず、紙面校閲の箍が緩んでいると思うのである。誤字誤記だけが、校閲の対象ではないだろうと思うのだが。

 それにしても、相手チームの主力打者が二人抜けて攻撃力が落ちているのに、ずるずると失点した敗戦投手は、やはり責められると思うのである。六回三失点は、当人にしたら、くやしかったろうと思うのであるが、くれぐれも、「仕返し」などと言わないようにお願いしたい。「復讐」は、キリスト教に限らず、神の行いであるが、スポーツの負けを神様に持ち込まれても困るのである。

 いや、毎度のお断りだが、当方は、一読者であって、関係者に対して色々指示する権限などない。素人目にもおかしいと思うことを、正直に指摘しているだけである。見当違いかも知れないが、意見は意見である。

 それにしても、日曜日の朝刊では、広島カープの優勝報道で、有力メンバーの顔見せがスポーツ面上部にきら星のごとくカラーで整列、と言いかけたが、半分の七人は白黒で「差別待遇」であったのには唖然とした。ついでだから、ここで指摘しておく。

以上

2016年9月 8日 (木)

今日の躓き石 サッカー 心理面を鍛える?

                             2016/09/08

 今回の題材は、毎日新聞大阪13版のスポーツ面サッカーW杯最終予選の中間報告である。

 第二戦で、17本打ったシュートが2本しか決まらなかったと統計数値を示し、そこから、「日本(代表)の根源的課題である」 「シュートの精度」を欠く という問題点を示しているが、外れた15本には、それぞれの「失敗の原因」があったはずであり、そこから、解決のカギが見えたのであれば、失敗は成功のもとと言えるはずである。

 ちなみに、80年代辺りの大昔であるが、日本チームのシュートは、「宇宙開発」のように、天高く飛んでいくと揶揄されていたのである。おそらく、強く蹴らないと止められるという恐怖が、日頃できない高みまで蹴り上げていたと言うことであろう。

 今回記事を見る限り、指導陣は、選手の「心理面」(メンタル面、などと、監督が言うはずもないカタカナ語を避けたのは進歩である)の問題でシュートが外れていると捉えているようだが、それは、選手が、枠を捉えるシュートを打てる技術があり、打てるボールが来ているのに、外していると見ているようである。
 当の監督が言うのだから、多分そうなのだろうが、じゃあ、「心理面」のどこが弱かった、悪かったのかという分析はしているのだろうか。大局を見て着眼して課題を発見するだけで、小局に降りて事態を改善する具体策がなければ、空論になってしまうのではないか。

 素人が考えても、失敗の原因となる心理面の問題点は、「気負い」-「気後れ」、「過信」-「不信」、「過敏」-「弛緩」などなど、いろいろな気持ちの過不足が考えられる。今回は「格下」と見ていたはずだから、相手を恐れての失敗ではないだろうが、初戦の敗戦を引きずって不安を抱いて試合していたのかなとも思う。間近で指導していた監督やコーチには、憶測でなく、実際に見えていたと思う。いや、事前に予測して、そうならないように指導していたはずなのだが、わかっていても陥る罠なのだろうか。

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