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2016年10月18日 (火)

今日の躓き石 3世紀前半遺跡調査報告の怪

          私の見立て☆☆☆☆☆☆                2016/10/18

 今回の題材は、毎日新聞大阪第13版の1面記事である。
 新聞社としての位置付けは、「芸術・文化」らしい。また、関連記事が社会面に掲載されているが、大抵の読者は、一面記事だけで報道の概要を掴もうとすると思うので、関連記事は、ここでは評価しない。

 地方自治体が行った遺跡発掘の際の調査報告書は、往々にして、特定の古代史学説の宣伝媒体と化していると噂されているようだが、今回の彦根市教委の発表も、その一つではないかと気になる。
 これに対して、客観的な評価を殆ど加えずに言いなりになっているのは、全国紙の報道姿勢として感心しないのである。いくら「芸術・文化」の分類になっていても、古代史は科学(サイエンス)の一分野見られるので、こうした大胆な時代観提唱は、客観的に評価した上で、報道すべきと思うのである。

 どこが感心しないかというと、まずは、「古墳時代」の歴史上の位置付け(時代観)である。
 当記事では、説明なしに、冒頭に「古墳時代初め(3世紀前半)」と定説に対して、大巾に時代を引き上げていて、更に、「ことば」と題した囲み記事では、「古墳時代(2〜4世紀)」と決めつけている。
 記事内で、古墳時代の開始を、3世紀前半とする見解と2世紀とする見解が共存していて、何とも、無残な提案であるが、古代史学界の定説と対比した評価が欠落している。
 それにしても、発表資料の不備かも知れないが、短い記事の中で、用語・表現が揺らぐのは、科学記事として不用意である。

 続いて、ちょっと深入りになるが、「国内には当時、製鉄技術がなく、鉄の延べ板を朝鮮半島から取り寄せ、武器や農具、工具を造っていたと考えられる。 」と大胆な意見が述べていることが、一般常識に照らして非常識な割り切りと思うので、解きほぐしてみる。
 当時は、統一国家が存在せず、多数の「国」が混在していたので、当遺跡が「国」だったのか、何れかの「国」の生産施設だったのかも、不明なのである。と言うことなので、突然「国内」と云われても、なんのことか理解に苦しむのである。(例えば、今日の鹿児島県や関東、東北地域に「製鉄技術」が存在しないと言うことを、どのようにして確信したのかという言い方もある)
 当時は、「製鉄技術」などと言った高尚なものの欠落などが障害になっていたのでは無く、単に鉄鉱石を採掘できる鉱山が発見されていなかったと言うことではないかと思われる。鉄鉱石がなければそこから金属としての「鉄」を取り出す冶金技術を応用しようもなく、綜合した「製鉄技術」は何の役にも立たない。

 「朝鮮半島から取り寄せ」ると云っても、ただとはいかない。所詮、交換物資を送って交換するしかないのである。これほど大規模な工房で消費した鉄材の量は、相当なものであろうが、何を送って、例えば、海峡を越えた朝鮮半島、それも手近な600km先の東南部と物物交換していたのか、興味津々である。一番無理の無い対価は、制作した鉄製品の一部を送り返すことであるが、どうだったか不明であることは言うまでもない。
 往復1年はかかろうという相手とのやりとりを、途中の盗難や難船による損失のリスクを担って、そのような交易に挑んでいたとすると、偉大な通商精神である。
 そうであれば、それ以外の交易も膨大で、おそらく、中継地や相手先に信用のおける代理人を常駐させていたものと思うのである。当遺跡の統治者は、強固な支配基盤を持った、独立君主と見るのである。

 続いて、「武器や農具、工具を造っていた」と無造作に云っているが、大事なのは、「鉄」の技術でなく、鋼(はがね)の鍛造技術である。

 文部省唱歌では「村の鍛冶屋」は、「しばしも止まずに槌うつ響。飛散る火の花、はしる湯玉。ふいごの風さへ息をもつがず、仕事に精出す村の鍛冶屋。」と頌えられている。
 遙か後世に至っても、打ち刃物の鍛造は、鉄の延べ棒から打ち刃物の形を槌で叩き出す芸術的な造形技術であるが、同時に暑熱環境での力仕事なのである。文部省唱歌の内容は、一般常識と思うのだが、当記事の筆者は、軽視しているようである。

 ここで理解できるように、ここまでに出てきた「鉄の延べ板」も、作ろうと思えば鍛冶屋仕事が必要である。つまり、「鉄の延べ板」を作るには、赤熱した鉄塊を槌で叩いて延べる錬成の必要があり、鍛冶仕事なのである。当時流通していたのは、「鉄の延べ板」などではなく、溶けた鉄が固まったなりで未加工の鉄塊ではなかったか。

 さりげない言い方で「魏志倭人伝」を引き合いに出して、当遺蹟に権威付けしようとしているが、倭人伝に、琵琶湖は出てこないし、(中国)大陸からの鉄材輸入も出てこない。云うならば、次に出て来る「邪馬台国」も、倭人伝には登場していない。

 と言うことで、「遺跡が最も栄えた時代は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国時代と重なる。 」と大胆に提言しているが、資料の理解に不備がある上に遺蹟の時代観が確立していない以上、それは、単なる作業仮説である。云うならば、ことばを費やすほど信用がなくなる種類の補足説明である。

 全体に、全国紙の報道と思えない検証不足の粗雑な記事である。記事内容の大半は、発表者の不用意な発表資料のせいだろうが、全国紙の紙面に掲載するには、新聞社としての考察が不可欠と思うのである。
 読者は、当記事を、このような発表があったという事実報道と思わず、全国紙が評価した学術発表の報道だと解するのである。

 そういうことで、当ブログでは報道批判(今日の躓き石)記事としているのである。古代史関係のカテゴリーも付けているが、専門的な内容に集中した物ではなく、一般的な批判と見ていると言うことである。

以上

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