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2016年10月

2016年10月19日 (水)

毎日新聞 「歴史の鍵穴」 懲りない地図妄想 2

     私の見立て☆☆☆☆☆☆ 遮られない虚妄の獅子吼             2016/10/19

*8世紀の技術考証
 話を元に戻すと、当時、方位の決定方法として、太陽の南中をもって真南-真北とし、その線に垂線を立てることによって、東西の線を得ることは特に困難ではなかったと思う。(小難しく見えても、要は、真っ直ぐな木の棒を立てる際に、天辺から錘付きの糸を垂らして、それに粟背手立てると言うだけのことである。ちょっとした大工仕事で必ず柱の垂直なのを確かめているから、家が傾いて立つことはないのである。基本の基本である。)

 つまり、季節に関係なく、その土地の東西南北を正確に知ることができる
 四分割した方位を二分割して八分割にすることは容易であり、更に二分割して、十六分割にすることも、さほど困難ではない(子供でも理解できる手順である )から、8分方位や16分方位は、お説の8世紀でも利用できたと思われる。(未開だった3世紀でもできたと思われる)
 また、このような方位決定に必要なのは、太陽の南中方位だけであるから、水平線への日の出、日の入りを観測できない場所でも問題なく可能である。季節も、全く関係しない。(子供でも理解できる手順である)

 言うまでもないが、そのような方位の求め方は、地上や紙上での作図によるものだから、せいぜい数㌫の精度である。
 また、大変重大なことなのだが、そのような方位は、作図したその場で決定されるだけであって、全周360度とした0.01度単位どころか、1度単位でも、別のどこかでその方位をそのまま利用することは、ほぼ不可能であったと思われる。
 だから、ある地点で、精密な方位角を求めても、無意味なのである。

 ついでながら、そのような方位線を得たとして、例えば、日吉大社から見通しのできない伊勢神宮内宮の方角が、360度のどの方角にあるか知ることはできないのである。

*8世紀の測量考証
 いや、ここまで、記事筆者が高精度の方位線に固執しているから、このように徹底的な掃討戦になるのであって、8世紀においても、地点間の方位の概要を知ることは不可能ではなかったと考えられる。
 8分割で「北」とか「東南」とか言う程度の方位感であれば、方位図とその地点の南中線を重ねれば、その地点の方位は知ることができるのである。(子供でも理解できる手順である)

 例えば、日吉大社から伊勢神宮に至る街道が曲がりくねったものであっても、見通しの利く範囲に区切って、その都度行程距離と方位を記録して丹念に補正を繰り返せば、誤差が積み重ならない測量も、大変な労苦ではあるものの、不可能ではなく、二地点間の大まかな方位関係は得られるはずである。

 簡単に言えば、大津宮が恭仁京のほぼ北にあることは、当然知られていたはずである。

 と言うものの、「日吉大社の西本宮と伊勢の外宮を結ぶ線が紫香楽宮の中心建物の約2㌔㍍南にある甲賀寺跡を通る。」など、当時の誰も知らないことである。知らないことに依拠して、何かの位置を決めることはあり得ない。

*測量技術の時代限界
 測量は、誤差とのつきあいが不可欠であり、8世紀には8世紀の、18世紀には18世紀の測量が行われたはずである。そうした理解無しに、結果だけを捉えて、0.01度の精度で論ずるのは、子供だましの言い草であり、はなから非科学的と言わねばならない。

 記事筆者の大いなる誤解は、そこで高精度を言い立てるのは、不可能事項を可能だと力説しているのであり、記事の信頼性を地に落としていると言うことである。地図も、8世紀の知識では、このように精密に描けるものではないのである。精密に描き、その根拠を現代に求めると言うことも、また、天下の公器、毎日新聞の
記事の信頼性を地に落としていると言うことである。耶蘇洛、原稿無審査で掲載できる特権の持ち主なのだろうが、それなら、それに値する自己審査を怠ってはならないのである。

 あるいは、奈良盆地の山中、つまり、水平線の見えない場所での日没の方位を高精度で論ずるのは、科学的思考を知る誰が見ても、非科学的と言わねばならない。

 非科学的な論法を、科学的な装いで粉飾して一般読者に押しつけるのは、早急に止めるべきである。

 と言うことで、今回も、ため息をついて、当記事は非科学的なものであり、ダメだと言わざるを得ないのである。折角のご託宣が、もったいない話である。

以上

毎日新聞 歴史の鍵穴 懲りない地図妄想 1

天智の宮と聖武の宮 日吉大社とつながる
 =専門編集委員・佐々木泰造

          私の見立て☆☆☆☆☆☆                2016/10/19

 今回の題材は、歴史の鍵穴の今月分であるが、またまたもやもや、地図幻想を蒸し返しているので、指摘を繰り返さねばならないのである。

*後世知の戒め
 前回記事で、2009年の「国立歴史民俗博物館研究報告」第152集掲載という論文「水林 彪 古代天皇制における出雲関連諸儀式と出雲神話」を引き合いにしているが、冒頭で提起されている戒めを読み損ねているのだろうか。

 8世紀の事を論ずるには,何よりも8世紀の史料によって論じなければならない。10世紀の史料が伝える事実(人々の観念思想という意味での「心理的事実」も含む)を無媒介に8世紀に投影する方法は,学問的に無効なのである。

 当然、8世紀の事を論ずるのに21世紀の認識を適用することは学問的に無効だと言うことは言うまでもない。

*前提「技術」
 と言っても、指摘の論点をできるだけ変えていくことにしているので、今回は、「カシミール3D」に関する指摘を言い立てたい。
 いや、記事筆者は、ずぼらをして「地図ソフト」などと言いくるめているが、実際は、「カシミール3D」は、国土地理院の数値地図を利用する、「地図ブラウザー」(地図データを表示、流し読みするもの)であって、自力で地図を創作しているものではないから、表示され、印刷されている地図に責任を負わせられるものではない。
 科学技術的に肝心なのは、地図上の各地の地理データは、国土地理院の提供したものだと言うことである。前提技術は、明確に表記すべきである。
 国土地理院の数値地図は、近年になって、衛星からのデータを利用して校正されているというものの、本来は、全国にくまなく巡らされた三角点を実際に測量して得られたデータをもとにしているのである。

*科学に基づかない科学論
 記事筆者は、色々資料を取り出して蘊蓄を加えているが、今回も臆面もなく掲示されているような「地図」を根拠に、当時の為政者の配置の動機を忖度するのは、非科学的な妄想と言われても仕方ないのではないか。

*現実世界の有り様
 現在の技術を持ってしても、0.14度とか0.37度とか、1/100度の精度で論ずるのは、無意味である。それにしても、当シリーズの表記は、従来、0.1度単位であったが、今回は、0.01度に単位と超絶的な高精度になっているのは、一段と不可解である。全周360度に対して、一万分の一、0.01度の精度で測量する手段は、現実には存在しない。恒温恒湿、無振動、無塵の測定室が必要であり、おそらく、体温や呼気の影響を避けるために無人化する必要があるであろう。つまり、今後如何に技術革新があっても、現実の生きた世界に適用するのは、無理というものである。

未完

今日の躓き石 3世紀前半遺跡調査報告の怪 3 掘り下げ篇

          私の見立て☆☆☆☆☆☆                2016/10/18

 引き続き、10/18付けの毎日新聞朝刊大阪第13版の1面記事の批評の掘り下げです。

 さて、以下、壮大な粉飾の連発と思われるのですが、まずは、「保持することが勢力に大きな影響を与えた鉄器」と物々しく語っていますが、鉄器を「保持する」ことが保持しないものに対して威圧力を持っていたというのはどうでしょうか。他国の統治者は、見たことも聞いたことも無いものの威力に恐れ入るものなのでしょうか。

 もしそうであるなら、当時、他に類のない鉄器生産能力を持っていた当遺跡の統治者は、「戦わずして」天下を制するはずであり、なぜ、天下の覇権を握ることもなく、歴史に名声を残すこともなかったのでしょうか。

 どうにも、理屈に合わない話です。

 引き続いて、更に物々しく「祭祀都市・政治都市であるうえ、工業都市でもあった稲部遺跡」と主張されていますが、それでは、ますます、当遺跡の統治者の権力が輝くのです。遙か後年の織田信長の安土城に於ける天下布武や比叡山ないしは石山本願寺の威盛を投影しているのでしょうか。

 「都市」と銘打つからには、現代で言う一次産業従事者の比率が低く、二次三次産業の従事者や官僚、祭祀従事者が多数居住していて、門前市をなす状況であったと主張していることになりますが、そのような主張の根拠はあるのでしょうか。

 大々的な都市となると、食糧自給が不可能であり、周辺からの食糧供給が不可欠となります。そのような遺物は発掘されているのでしょうか。
 それにしても、遺跡、遺物に文字記録が付属していたわけでもないのに、現代の論者が、勝手に現代語を当てはめるだけで現代的な都市国家が見える気がするのは、かなり、念の入った幻像投影でしょう。

 以上書き綴ったように、学術的な成果発表に、大々的に装飾を施すのは、地方自治体が、公費で行った事業の科学的な成果発表にふさわしくないものと考えます。

 ふと気づくと、サイト内の別の告知記事には、次のように粛々と書かれています。
 「稲部遺跡発掘調査現地説明会
〈内容〉発掘調査で縄文時代から古墳時代までの遺構と遺物が検出され、同遺跡は弥生時代後期後半から古墳時代の前期を中心とする愛知川流域の拠点集落であることが明らかになりました。検出された遺構などを見学しながら、職員がわかりやすく説明します。」

 ここが「成果発表」の原典であり、これに対して大層な粉飾を行って、虚構の世界を提示しているのが、それ以降の発表文のように思います。

 是非、彦根市教育委員会は、地方公共団体の教育を預かる公共機関にふさわしい、学術的見解を堅実に書き連ねるように改定してほしいものです。

以上

今日の躓き石 3世紀前半遺跡調査報告の怪 2 深読み篇

          私の見立て☆☆☆☆☆☆                2016/10/18

 今回の題材は、10/18付けの毎日新聞朝刊大阪第13版の1面記事の批評の掘り下げです。(二回に亘ってしまいました)
 つまり、いい加減な主張が掲載されたのは、彦根市教委の発表のせいなのか、毎日新聞記者の誤解のせいなのか、もう少し検討しようというものです。

 と言っても、目下の所、今回の記事の元となった「ブレスレリース」(報道機関向けの説明資料)が公開されていないので、彦根市のサイトに掲載されている告知記事を引用するものです。以下、文体が丁寧なのは、当方は、彦根市民ではなく、市民として市教委を難詰しているのではないとして、少々遠慮しているためです。

平成28年度「稲部遺跡発掘調査現地説明会」の開催について

 彦根市教育委員会では、市道芹橋彦富線・稲部本庄線道路改良工事に伴う発掘調査を実施しています。

 平成25年度から実施された調査で発見されたのは、2世紀から4世紀(弥生時代後期中葉から古墳時代前期)の大規模な集落跡です。

 稲部遺跡が最も栄えた時代は、3世紀前半、弥生時代から古墳時代へ移り変わる時代、つまり、邪馬台国と同じ時期にあたります。

 中国の歴史書「魏志倭人伝」には、このころ、倭(=日本)には、魏もしくは出先の帯方群と外交している国が30ヶ国あったとあります。おそらく、稲部遺跡も、この国々の一つの中枢部だったと思われます。

 稲部遺跡からは、180棟以上の竪穴建物に加え、王が居住するにふさわしい大型建物、独立棟持柱建物が発見され、当時、保持することが勢力に大きな影響を与えた鉄器の生産が行われた鍛冶工房群、青銅器の鋳造工房も発見されています。祭祀都市・政治都市であるうえ、工業都市でもあった稲部遺跡は、ヤマト政権成立期における近江の巨大勢力の存在を物語る大集落です。

 現地説明会では、この「イナベのクニ」とでも呼ぶべき遺跡の内容と、近隣にそびえる国指定史跡荒神山古墳へのつながりについても、調査担当者がお話しします。彦根市が誇るべき、大遺跡の調査を体感できる貴重な機会です。ぜひ、ご参加ください!

 短い告知文ですが、確認された事実に基づく部分と関係者の推測を付加した部分の間に大きな食い違いがあり、これが、新聞記事の迷走に繋がったものと思われます。

 遺跡の「時代観」は、新聞記事のように支離滅裂なものでなく、「2世紀から4世紀(弥生時代後期中葉から古墳時代前期)」、つまり、弥生時代後期中葉が二世紀、古墳時代前期が四世紀と想定されていて、その当否はともかくとして、古墳時代が二世紀に遡るという誤解は発生する余地の無いものです。

 稲部遺跡が最も栄えた時代を3世紀前半と見る「時代観」やその時代を、弥生時代から古墳時代へ移り変わる時代と見る「時代観」も当世流行のようですが、ここには定説を覆す根拠は示されていません。
 そして、これが、邪馬台国と同じ時期にあたるというのは、もっぱら誤解を招く独断と思われます。

 続いて、「中国の歴史書「魏志倭人伝」には、このころ、倭(=日本)には、魏もしくは出先の帯方群と外交している国が30ヶ国あったとあります。」と無造作に断じていますが、多くの問題点を含んでいます。
 「魏志倭人伝」なる歴史書は存在しなかった、などと無粋なことは言いませんが、この部分の書き方で、学術的なものなのか、非学術的なものななのかが判別できるのは事実です。
 倭(=日本)と書いているものの、「このころ」には、日本という概念は存在せず、時代錯誤、非学術的です。
 また、「魏もしくは出先の帯方群(ママ)と外交」と無造作に言いくくっていますが、当時は、少なくとも、倭国諸国の連携が成立していたのであり、個々の国が「外交」(現代語として解釈します)権を行使できたとは思えないのです。
 互いに大使館を設置し、人質を交換し、国交に関する文書の取り交わしなどなかったはずです。単なる交流ではなかったかと思われます。
 また、言うまでもなく、魏が存在したのは三世紀の一時期であり、帯方郡が魏の出先として機能していたのはそれよりも短期間です。三世紀全体に適用できる概念は、見当たりません。以下一々念押ししませんが、時代錯誤、非学術的です。

未完

2016年10月18日 (火)

今日の躓き石 3世紀前半遺跡調査報告の怪

          私の見立て☆☆☆☆☆☆                2016/10/18

 今回の題材は、毎日新聞大阪第13版の1面記事である。
 新聞社としての位置付けは、「芸術・文化」らしい。また、関連記事が社会面に掲載されているが、大抵の読者は、一面記事だけで報道の概要を掴もうとすると思うので、関連記事は、ここでは評価しない。

 地方自治体が行った遺跡発掘の際の調査報告書は、往々にして、特定の古代史学説の宣伝媒体と化していると噂されているようだが、今回の彦根市教委の発表も、その一つではないかと気になる。
 これに対して、客観的な評価を殆ど加えずに言いなりになっているのは、全国紙の報道姿勢として感心しないのである。いくら「芸術・文化」の分類になっていても、古代史は科学(サイエンス)の一分野見られるので、こうした大胆な時代観提唱は、客観的に評価した上で、報道すべきと思うのである。

 どこが感心しないかというと、まずは、「古墳時代」の歴史上の位置付け(時代観)である。
 当記事では、説明なしに、冒頭に「古墳時代初め(3世紀前半)」と定説に対して、大巾に時代を引き上げていて、更に、「ことば」と題した囲み記事では、「古墳時代(2〜4世紀)」と決めつけている。
 記事内で、古墳時代の開始を、3世紀前半とする見解と2世紀とする見解が共存していて、何とも、無残な提案であるが、古代史学界の定説と対比した評価が欠落している。
 それにしても、発表資料の不備かも知れないが、短い記事の中で、用語・表現が揺らぐのは、科学記事として不用意である。

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2016年10月17日 (月)

今日の躓き石 Uniqueと「ユニーク」の違い?

                             2016/10/17
 今回の題材は、NHKBS-1のメジャーリーグ中継である。と言っても、不適切な発言があったというわけではない。単なる、些細な聞きとがめである。

 現地でコーチの談話として(ピッチャーとして不規則な起用に応えるという意味で、なのか)「ユニークな選手だ」と評しているのが紹介されたのを、アナウンサーが聞きとがめて、英語のUniqueとカタカナ言葉の「ユニーク」は意味が違うのかとつぶやいたのだが、そのあとフォローがなかったので、カタカナ語にうるさい当ブログ筆者が、辞書を調べたのである。もし、現地コメントの翻訳の際の配慮不足だったら、指摘する必要があると思ったのである。

 結論として、辞書に載っている意味はほぼ同一である。どちらも、肯定的という範囲を上回って、絶賛に近い褒め言葉である。「比類のない」「抜群の」投手という意味で、ある意味、日本の二刀流投手も、不規則な起用に応えるという意味では、その部類である。現地コメントの翻訳者は、正しい用語選択をしたのである。

 と言うことは、当のアナウンサーは、これらの(辞書に載っている)正当な意味でなく、(俗語としてはびこっている)「変わり者」的な否定的な意味として常用しているのだろうか。ちょっと、プロとしての見識に首をかしげるのであった。

 現地コメントの翻訳者は、次から、カタカナ語の曲解を避けて、「ユニーク、つまり、他に例のない抜群の」と丁寧に言葉を足すことになるのだろう、何しろ、NHKアナすら、否定的に取りかねないと言うことなので、報道に携わるものの義務として、なにより誤解を避けるべきなのである。

 また、NHKアナウンサーほどのものであれば、このようにちょっと疑問を感じたら、すかさず検証して、自身の理解が正しいものからずれていたら、自身の「辞書」を訂正するのが、たしなみだと思うのである。
 少なくとも、その場の思いつきを見当違いのつぶやきとして電波に乗せるべきものではないのである。NHKアナの言葉は、世の人々のお手本なのである。

 もちろん、当方は、NHKの役員でも何でもない。単なる、一視聴者なので、聞き流されても文句は言えないのだが、筋目を糺すのが当方のささやかな「勤め」なので、書き募るのである。

以上

2016年10月14日 (金)

今日の躓き石 不相当なデジカメ焦点距離は誤報ではないか

                         2016/10/14
 今回の題材は、デジタルカメラ新製品紹介記事の「アラ」である。別に、殊更に探し出しているわけではない。堂々と書き出されているのである。

 当ブログで幾度過指摘したように、ITmedia LifeStyleのデジカメ分野の記事が、しばしば「たが」の緩んだ粗雑な記事になっているのは感じていたのだが、今回は、粗雑どころはない。明らかな誤報である。

 ソニー、1型コンパクトカメラ「RX100 V」発表 シリーズ初の像面位相差AFセンサー、AF・AE追従で毎秒約24コマの連写

 記事冒頭の仕様紹介で書かれているのは、「レンズはZEISS Vario-Sonnar T* 24-70mm F1.8-2.8となる。」の断定表現である。

 メーカーの発表資料のせいかと思ったが、サイトでわかるように、また、製品の写真でもわかるように、搭載されているレンズの仕様は、次の通りである。
 レンズタイプ     ZEISSバリオ・ゾナーT*レンズ(レンズ構成:9群10枚(AAレンズを3枚含む非 球面レンズ9枚))
 F値(開放)     F1.8(ワイド端時) -2.8(テレ端時)
 焦点距離     f=8.8-25.7mm

 つまり、「レンズは........24-70mm F1.8-2.8となる。」と書いているのは誤報である。
 24-70mm(相当)と書けば、誤報のそしりだけは免れるが、それでも、レンズの実焦点距離を書かないのは、専門サイトとして、あまりにも不用意である。

 当ブログでは、レンズ焦点距離が、イメージセンサーのサイズ次第で、視野角の異なる不明確な仕様になっていて、消費者に混乱を巻き起こしているのに、一向に整理されないままに放置されていることを歎いて、何か交通整理が必要であろうと提言しているが、だからといって、性急に結論に飛躍して(長年の伝統のある)業界の技術基準を無視して、いきなり相当表示にするべきだと言っているわけではない。

 と言うことで、今回も、カメラ業界と関連報道機関の無定見と混沌を思わせる嘆かわしい記事だと指摘するにとどまったのである。

以上

2016年10月13日 (木)

今日の躓き石 なれ合いが増えたか「友好的」投球のプロ野球

                           2016/10/13
 今回の題材は、どこのどの放送というわけではない。対象者は少ないが、「友好的」というのは、あちこちで聞ける発言である。さすがに、全国紙の紙面には出てこない。

 何しろ、「必死」で勝敗を争っている筈のプロ野球の放送で「友好的」な投球が話題になるのは、どんなものか。
 そう言えば、最近は、対戦相手に同窓生や先輩・後輩がいるという話が、プロ野球中継、特に、民放系、で頻繁になっているから、プロ野球の世界で、闘争心でなく「なれ合い」が広がっているのかも知れないなと思うのである。
 例えば、塁に出たとき、走者と野手は、まさか談合しているのでなく、世間話をしているかも知れないが、誠に「友好的」な眺めである。(冗談半分だが、残り半分は真剣である)

 いや、多分「有効」と言うべき所を、何か勘違いして「有効」的と言い間違えているのかも知れないが、音として聞くと、誰もが考えつく言葉は「友好的」しかない。
 いずれにしろ、ギャラをもらって出演しているのだから、子供がまねしたら、大人にしかられるような、低次元の言葉遣いはしてほしくないものである。

 もちろん、プロのアナウンサーがそんなとんでもない言葉を使うことはないのだが、元プロが、結構この手の失言をすることが多いようである。
 選手時代は、好プレーに拍手していた選手が、そんな失敗を繰り返しているのを耳にすると、ちゃんと喋ってほしいと思うのである。まだ、プロとしての「野球人生」とやらは、続いているのである。

以上


 

2016年10月 7日 (金)

今日の躓き石 廃れない言葉のボギー-ゴルフ界

                              2016/10/07
 今回は、毎日新聞大阪第13版のスポーツ面、そして、またもや、ゴルフ界の悪習のネタである。

 まだ、初日、つまり木曜日の結果なので、41歳のプレーヤーの初トップを軽く流して紙面にすると言うだけで、手抜きしたのだろうが、末尾にトップを取ったプレーヤーの談話がだらだら引用されていて、その中に、「パターがよく入ってくれた」と悪い言葉がそのまま書かれている。

 確かに、当人がしゃべったとおりなのだから、悪い言葉遣いは、担当記者のせいではないのだが、そうした周知の悪い言葉遣いをたしなめもせず、そのまま書き立てるのは、いわば、さらし者扱いであって、後々までの笑いものにしようとは、(悪く受け取れば)陰険である。

 後世に残るのは、プレーヤーと発言だけで、記者のことは伝わらないから、担当記者には、痛くも痒くもないのだろうが、報道される当人達にしてみれば、たまったものではないのである。

 どうか、「パターが入る」「ドライバーが飛ぶ」「アイアンが曲がる」など、業界の悪習となっている悪い言葉遣いは、いくら、古くからの伝統でも、間違った言い方なので、後世に持ち越さずに、レジェンドの消え去るままに道連れにしてもらいたいものである。

 この辺りの見識は、言葉のプロである全国紙記者が、不慣れなプレーヤーに伝えて欲しいものである。

以上

2016年10月 2日 (日)

今日の躓き石 NHKニュース 被災地国体でのリベンジとは?

                  2016/10/02
 今日の題材は、不意打ちのNHK総合21時前の全国ニュースである。

 国体のトライアスロンに出場した選手が、「リベンジ」したというのだが、国体のトライアスロンは、今回初開催だから、明らかに前回負けた腹いせではない。どうも、オリンピックで勝てなかったことの悔しさを、被災地開催の意義ある国体の場でぶつけたらしい。世界一のレベルで負けるのは、別に恥辱ではないし、そんな恨みは、国内大会に向けて物騒な発言をせず、自分の中で持ちこたえてほしいものである。

 選手が、一時の怒りの怒濤に囚われて、そのような談話を漏らしたとしても、天下の公共放送は、聞かなかったことにしてあげるのが最善策ではないか。このように、有力選手の経歴にドロを塗るような「いじめ」は、感心しない。

 それにしても、受信料を払って聞いている全国視聴者に、まねてはならない汚い言葉遣いを広めることはないと思うのである。

 それにつけても、放送で喋る言葉は、止められないし、取り消せないのだから、こんな言葉を垂れ流しされたら困るのである。

以上

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