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2016年11月28日 (月)

私の本棚 「古代史15の新説」 別冊宝島 その1 真藤豊

        私の見立て☆☆☆☆☆           2016/11/28

 「魏志倭人伝」の新たな読み方 真藤 豊

 本文前の惹句で、大きくずっこける。『「三世紀の現代人」が抱いた生活感覚』と妄言で引きつけたいようであるが、「三世紀の現代人」の意味も論者の言う「生活感覚」の内実も説かれないまま、どんどん書き進めていくから、空振りと感じられる。

 「真実は一つ」と、もう一つの妄言が登場する。何をもって「真実」とみるか説明されていないから、これも空振りである。真実は、一つ、二つと数えたてられるものではないとみるものもいるのである。古代史における真実は、当時の全世界森羅万象とその中に生きた無数の人々の思いと行動であり、論者が軽率に断言するような、たとえば、手のひらに載せて全貌を眺められる石ころのようなものではないと思うものもいるのである。

 そして、こんどは、「マクロの世界地図」の知識はなかった、と大ぶりである。少なくとも、三世紀の史書編纂者である陳寿にとって「世界」とは、当時西晋の支配が及んでいた世界であり、地理概念は把握していたものと想像する。「マクロ」とは、意味不明な言葉であり、空振りである。

 以下、論者は、記事の視点と時代感を動揺させながら、論者の妄想世界を延々と展開する

 陳寿が東夷の国々を実見していなかったのは、むしろ自明と思える。そこで、記事は脈絡なしに、論者の視点を陳寿の仮想の部屋に移し、論者の幻視を展開しているようだが、その言うところによると、陳寿は何かを組み立てているらしいが、肝心の言葉が欠落しているので、何を組み立てているのかわからない。

 論者の夢想に第三者の共感を得たければ、もっともっと念入りで筋の通った書き方が必要である。

 そこで、論者は、またもや脈絡なしに読書感想の世界に移転して、自身が個人的に感じ取った陳寿の浪漫や好奇心に酔っているのであるが、これも、著作に書かれているものでなく、読者の内面に浮かび上がったもの、つまり、完全に個人的な感想であり一種自己陶酔と思われる。

 陳寿の著作に触発されて、いろいろ幻想にふけり、粗暴な新説を思いつくのは個人の自由であるが、これは商業出版物、つまり、読者の金をもぎ取るものであり、ここで求められているのは、「新説」の丁寧な論証である。
 その後、混乱した時代/地理感覚の爆発連鎖である。

 倭人伝を引用して、「会稽東治」(かいけいとうち)とルビ打ちまでしているのだが、論者は、会稽は、今日の浙江省紹興市近辺。東治は今日の福建省福州市近辺で北緯二六度と断言している。誤植でもなければ誤記でもないと確信しているようである。

 つまり、論者は、確信を持って、従来の「東治」は「東冶」の誤記とする俗説を採らない、つまり、東治の位置は東冶の位置だとする、強引きわまる新説であるが、新説であることも言わなければ論証もしないので、普通の読者には、無知な論者の誤解の押しつけとしか見えない。

 「会稽」も「東冶」(「東治」は、地名ではない)も、当時実在した郡名、県名であると同時に、それぞれ地域の通称として通用していたものでもあり、前振りなしにぽつんと言われても、どちらのことか不確かであるから、地名の示す範囲も中心点も不明であり、緯度は、度単位で適度に漠然としていいのである。そこまでは、うまく言えている。

 ところが、 その後に列記された国内地名は、県庁所在地の県庁の位置でも検出したのか、百分の一度単位であるのは奇怪である

 これは、会稽「東治」と比較するという意味で、過度の精密さと見えるのであるが、あえて、どんな特定の地点を選んだのか、あるいは、0.01度まで表示することの根拠も説明もない。

 案ずるに、論者は、数字の桁数についての健全な感覚を持ち合わせていない人らしいが、人はそれを「無知」と呼ぶのである。無知は直せない(Ignorance is fatal: Ray Bradbury)、死ななきゃ直らないというのは、言い過ぎである。知識は、学ぼうとすれば学べるものである。

 その後に、陳寿の東夷の国々の地理感覚は十五世紀にかかれたとする著名な地図と同様であったと勝手に推定し、その感覚は誤っていたと、これまた勝手に断罪しているのである。三世紀の史官には、このような非難に対して、反論のすべはないのである。

 ここで初めて登場した論証らしいものも、遙か後世の誰がが自身の理解(誤解、ないしは、曲解か とはいえ、人は間違うものである)を書き立てた一片の地図だけが頼りで、受け売りの受け売りでは、読者としてし信じがたいというしかない。

 十五世紀と言えば、中国艦隊が大挙九州北部に押し寄せた故事の後である。艦隊のかなりの部分は、それこそ、会稽のあたりから来航したはずであり、ちゃんと博多湾岸に着いたと言うことは、当時の中国が航海に際して依拠した南宋王朝の地理感覚は、ここに例示された地図のものではなかったというものである。

 このような根拠不明の資料を根拠にして、三国志の地理感覚を論ずるのは、無茶である。

 改めて眺めると、全十五ページに上る記事であるが、当ブログ筆者の論者について行こうとする努力は、ここで崩れ去った。
 異例の言葉遣いと誤解の多い論証を理解しようとするだけ時間の無駄である。論者の著書は堂々と刊行されているらしいが、読まず嫌いとされていただく。もう十分である。

 この記事を破りとって返品したいものである。

以上

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