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2016年11月

2016年11月21日 (月)

個人的な意見 対露領土交渉に合衆国の仲裁を

                      2016/11/21 19:50

 いや、今回の個人的意見は途方もなくでかい話である。個人的に言い立てる理由はあるので、落ち着いて読み進めて頂きたい。

 当ブログ筆者は、老人というものの戦後生まれであり、自身で体験していないが、父親は、旧ソ連によるシベリア不法抑留の犠牲者であり、幸いなんとか帰国して子を成すことができたものの、自分の不在の際に家族が旧満州からの帰国時に辛苦もなめたこと含めて、国家から補償金は得たものの、在世中大変不満であったことを考慮いただきたい。(個人的な意見である)

 さて、今回の題材は、北方領土に関する対露交渉であるが、直接関係していない小生の個人的な意見では、これは、大戦末期時点での米国の旧ソ連に対する言質に起因するものであり、二国間だけの問題ではないので、この際、当時の経緯を踏まえて、当時絶大な影響力を有していた合衆国が、互いに引くに引けなくなっている両国を仲裁して、互いに納得できる解決を図って頂きたいと思うのである。(個人的な意見である)

 周知のごとく、旧ソ連は、欧州でドイツと長く闘ったが、日本との中立条約故に、大戦末期に至るまで、日本と交戦していなかった。それが、大戦末期に至って突如対日戦闘に入ったのは、いずれかの連合国協議に於ける合衆国の要請によるものだったと考える。(何の証拠もない)
 案ずるに、合衆国は、長期にわたる激烈な対日戦争の末期に近づいて、そこまでの日本軍の執拗な反抗に恐れを成し、つまり日本軍に怯えて、戦争終結期に予想される自軍兵士の消耗を低減するために、日本の背後から旧ソ連軍が攻撃するよう、利を与える作戦に出たと見るのである。(何の証拠もない)

 ここでいう「利」とは、ロシア帝国が清朝から取得して久しい、ウラジオストックを代表とする沿海州を基点とした東アジアにおける権益拡大、つまり、旧ソ連の樺太南部や千島列島の領土獲得、および、旧ソ連の中国東北部および朝鮮半島北部への進出の黙認であったように思う。(何の証拠もない)

 この時期の外交は、連合国各国の最高機密に属するものであって、日本側の知り得るものではなかったが、大戦後の国際情勢を見るに、合衆国が旧ソ連に多大な言質を与えたと想像される。(何の証拠もない)
 その際に、旧ソ連の視点から、合衆国が沖縄や小笠原諸島を領有化するのであるから、旧ソ連が、千島諸島にとどまらず北海道沿岸である北方領土まで領有化するのを黙認されたと感じたものと推定する。(何の証拠もない)

 かくて、旧ソ連の旧満州進攻による日本軍捕虜のシベリア抑留や戦後の旧ソ連による領土獲得が、国際的な黙認を得たものと推定する。つまり、現在問題の北方領土占拠は、合衆国の黙認が背景にあるものと思う。(何の証拠もない)

 しかし、沖縄および小笠原諸島は、本来の主権者である日本に返還されて久しい。となれば、現在のロシアによる北方領土占拠は、合理的な根拠を失うのではないか。(何の証拠もない)

 合衆国は、戦後処理の際、旧ソ連が行った、度を過ごした所行をとがめなかったことのつけを払うべきではないか。従って、合衆国は、両国の北方領土に関する交渉を仲裁する義務があると考えるものである。ロシアも、そのような経緯が明らかになれば、合衆国の顔を立てて、固執していた領土論で譲歩する根拠を得るのではないかと考えるのである。(個人的な意見である)

 以上は、何の権威もない一個人の勝手な推定であるから、とんでもない勘違いなのだろうが、勘違いなら勘違いで間違っていると教えていただきたいものである。
 とにかく、反論頂くだけで十分であり、呉々も当方のような弱小個人への攻撃にならないように祈るだけである。

以上

今日の躓き石 毎日新聞テニス記事賞賛 いや絶賛

                             2016/11/21
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊のスポーツ面、世界1,2のテニスプレーヤーの決戦の戦評である。タイトルに書いているように、批判でなくほぼ全面的に褒めているので、安心して読んでいただきたい。

 勝者の談話を引用すると、「***のような選手には良いプレーをしないと勝てない。大事なポイントでやるべきことができた。」 つまり、自分の実力は対戦相手を凌いでいて、それを遺憾なく発揮するようにプレーし、遺憾なく発揮できたから勝てた、順当である、と言う意味であろう。
 真の実力者は、周囲から喝采されなくても、幸運に頼らなくても、勝つべくして勝つだけだ、とも受け取れ、まともに言われたら傲慢さに反発するだろうが、こうして謙虚に、控えめに言われたら、少しは自慢しろと言いたくなる。実力の世界の最高峰戦の勝者の談話として、まことに品格の高い言い方である。見事な報道である。

 ちなみに、勝者は、3時間を越える激戦を二度凌いだ果ての決勝であったが、終盤に多少疲れを感じたという程度で、全く問題にしていない。大事なのは、集中力に欠けたとか、体が動かなかったとか、動体視力が落ちたとかの原因で起きるとされているUnforced error、つまり、凡ミスが少なかったと言うことであり、それが、確かな「心技体」の表現というものであり、世界一位の実力というものであろう。

 一方、敗者は、(ベストを尽くして貪欲に闘ったが)大きな勝機がなかったとしているだけである。先ほどもあったように、どんな選手でも抑えきれない凡ミスが、自分の方に多く出た、と言うことの表現であろう。くだらない言い訳をしないのが、これもまたトッププレーヤーの品格であろう。
 また、今回の決勝賞金は、2億円を超える大金であるから、どちらの選手も欲しかったものだろうが、少なくとも最大の動機ではなかったと思うので、このようにさりげなく書くものである。

 さて、最後になるが、勝者談話の小見出しで「王者貪欲」と書いているのが、勝者への最大の賛辞であり見事である。

 今回の記事は、体格比較もなければ、年齢比較もなく、従来の戦績を引き合いに出さず、また、メンタルとかフィジカルとか、意味不明な言葉に逃げず、見事、と褒めたところで、末尾を見たら、共同通信の配信記事であった。

 記事に署名はないが、格調の高さと的確な書きぶりを絶賛したいものである。世の中には、これだけの記事を書ける記者がいるのである。

以上

今日の躓き石 毎日新聞の堕落また一つ リベンジ 

                             2016/11/21
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊三版の社会面である。とかく刺激的な言葉に走り勝ちなスポーツ面ならともかく、紙面の規範たるべき社会面で、こんなひどい見出しにであうとは! 長生きしたくないものである。

 「リベンジ **へ秋波として、問題用語の後に某政党の党名が続いている。

 「女のこび」を売っているものの主語が書かれていない。おそらく、どこかの女性党首に対する揶揄なのだろうが、全国紙の品格も何もあったものではない。世に言う「セクハラ」である。
 言い寄られている色男に擬されている**も、秋波で転ぶと見なされて不満であろうが、ここは、特定の政党と結びつけた議論ではないので党名を伏せている。すぐわかることである。

 この見出しで次に問題なのは、「リベンジ」と言う言葉の意味が二種あることを見逃していることである。報道のプロたるものが、まるで、子供の落書きである。

 一つは、ISなどのテロリストが大義名分としている「復讐」である。しかも、本来、神の手に委ねるべき復讐を、自分たちが行うという「聖戦」の意までこめた悪質な言葉である。

 もう一つは、プロ野球に発して、若者社会ににはびこっている「再挑戦」と言う軽い、おどけた意味である。

 このように意味が不安定なカタカナ言葉を、社会面トップ記事に重用するとは、それだけで、もってのほかの杜撰さである。

 しかも、後者の意味は、一般の成人読者に浸透していないから、辞書など参照した上で悪質な意味ととられても仕方ないところだろう。以上が記事の真意なら、それを凝縮した見出しは、それなりに仕方ないかとなるが、本当に他に言い様はなかったのかと疑問が湧いてくる。、

 毎日新聞は、政治の世界の勝った負けたを血の抗争と見ていると解されても良いのだろうか。また、テロリストの論理を支持しているのだろうか。

 それとも、これは、大阪の選挙の話題だから、特別な因縁話があって、血が血を呼んでいると諷しているのだろうか。比喩にしても、もっと、穏当な言い方がありそうなものである。

 と言うことで、今回は、不穏当で不吉な見出しに遮られて、記事内容に目がいっていない。見出しが記事本体を表しているはずだから、そんな杜撰な記事は見るだけ時間の無駄と言うことである。

 校閲部は、誤字や事実関係のボロを拾うだけでなく、こうした深刻な齟齬を捉えて、本来の報道姿勢を回復してほしいものである。

 当方は、一購読者であるが、全国紙を愛読するのは、紙面に掲載されるまで、記事の吟味が十分成されている、銭のとれる記事であると信じているからである。
 担当記者の思いつきが、十分審議されないままに当方の手元に届くのであれば、紙形態の全国紙は、なくても良い
と思うのである。

以上

2016年11月20日 (日)

今日の躓き石 毎日新聞テニス記事 二態

                         2016/11/20
 今回の題材は、まずは、19日付毎日新聞夕刊大阪3版のスポーツ面に掲載されたテニス記事である。
 見出しは、日本選手が「突然崩れ逆転●」となっていて、見るからに、選手が自滅した、情けない試合だったとの印象を与えようとしている。

 戦評も、「突然の乱調で暗転した」と開始している。更に、「29本のミスを重ねフルセットで今後に不安を残す」と酷評しているのは、唐突で、心外である。その後にも、「ミスの連鎖」と咎めている。「ミス」は、Unforced errorのことだろうが、この数字自体だけ言い立てても、別に何も語っては居ないのではないか。当たり前の話だが、ミスしない選手はいないのである。そして、ミスは連発するものなのである。
 第3セットは、3-6であり、これはほぼ互角の勝負と見える。どこが、フルセットで不安を残すのか、書かれていない。
 談話も、かなり支離滅裂に引用されていて、「メンタル的に攻め」るのは、どんな攻め方なのか、「メンタル的に難しい」とは、何が、どう「難しい」のか、「事実不可能」なのか、対策がわかれば易しいのか、読者には混乱した感じしか伝わらない。
 それは、選手と読者の間に入った記者が、意図的に、選手の意図が伝わらないようにしたもののように感じる。このような言葉遣いは、事実かも知れないが、当然、意味が通らないカタカナことばでごまかそうとする談話に対しては、読者に伝わるようなことばになるまで問い返すべきではないかと思うのである。

 それにしても、非難に近い書きぶりの後、二日前の激闘の疲労は言い訳にしなかった「言及しなかった」という報道は淡々としていて不思議である。こうした、つまらない言い訳はしないという姿勢と引用されている談話は、繋がらないのである。

 この夕刊記事は、ここで負けたものの、リーグを勝ち抜き、優勝を目指している選手に浴びせる声援とは思えないのである。
 記者は、選手と違って勝ち負けのない場にいるし、一般読者の立ち入れない選手の身辺で質問できる特権を持っているのだから、テレビ観戦の一般人が画面に叱責を浴びせるのと同じような書きぶりには賛成できない
のである。

 当ブログは、主として、「メンタル」なる奇怪なカタカナ語に対して批判を続けているのだが、ここまでの批判は、書名こそないが、特定の記者の報道姿勢の個人攻撃になるのを懸念して、一度は公開を控えたものである。

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2016年11月18日 (金)

私の本棚 詩経 中国の古代歌謡 白川 静

                中公新書 220  1970年刊
          私の見立て★★★★★              2016/11/18

 著者白川静氏は、漢字学者として大変高名であるが、漢字学を志したのは、中国の古典である「詩経」の伝える古代歌謡に惹かれたのが、動機になっているとのことである。

 本書は、一般人を読者と想定して書かれた新書であり、いわば、著者が構築した「ミクロコスモス」とも言うべき、広大無辺の見識が、新書版著作に許される範囲と深さで盛り込まれていると思う。
 もちろん、読者は、本書を通読するだけで、書かれている全てを理解することを求められているものではないことは言うまでもない。

 詩経は、中国古代の周朝時代から伝わる「詩」を伝えるものであるが、古来、それらの詩は、政治的な意図を秘めた深遠なものとして解釈され、それ故「詩経」なる経典として尊重されていた。
 経典とされたため、広く写本を重ねて伝世され、時代を超えて珍重されているのだが、著者は、これらの詩には、庶民から貴族に及ぶ人々の喜怒哀楽が率直に記されていて、それ故に広く当時の人々の共感を得て唱和されていたと見ているようである。
 そのような一般に通じている歌謡を、当時の周王朝の宮廷楽員が書き止め、宮廷の祭事の場などで管弦の楽を奏するのに合わせて謳い上げたものが文書として残ったものと感じられた。

 もちろん、庶民と言っても、紙も印刷物もない時代であり、読み書きのおぼつかない庶民ではなく、豊かな語彙を有する、教養ある読書人である庶民であろうが、いくつかの詩に残されているように、農事や労役に額に汗する庶民であり、時には、戸籍に則って徴兵されて遠路の出征兵士となる庶民のようである。あるいは、書き留めた庶民の詩を今日伝わる形に書き整えた人たちがいたのかもしれない。

 現代の読者は、むしろ、そうした詩であるから、共感できるものと感じられるようである。古代から伝えられた詩文のそこここから、人を愛し、別離を悲しみ、哀悼を感じたものたちの声が聞こえるように思うのである。

 「唐風」に分類される詩である「葛生」は、文字通りに解釈するなら、「我が懐かしい人」を悼む美しい挽歌、つまり、悼亡の詩である。

 著者は、詩文の解釈を記した後、「哀切のうちにも、やさしい思いにあふれ」、「美しく、情愛のこもった」詩であるのに対して、漢代の経学者たちが、詩文の順当な解釈をすることなく、政治的な理由をつけたりして、詩の解釈をゆがめ、それが、はるか現代まで伝えられていることをなげき、「このような美しい詩編を残した古代の人々に相済まぬように思う」と、特筆すると言うより、一冊の著述の流れの中で、穏やかに語っていると感じた。

 著者のこのことばに耳を傾け、共感できたなら、自身の感性で詩経の個々の詩を読み解いてほしいものである。著者には、詩経に関して、更に広範に、かつ、深くその読みを披瀝した著作が残されている。
 著者には、「初期万葉集」「後期万葉集」の著書があることも言い添えておく。

以上

2016年11月12日 (土)

倭人伝の散歩道2017 倭人在帯方東南

                          2016/11/12
 倭人伝の読み直しは、劈頭の「倭人在帯方東南」のことばから入る。

 三国志の魏書の掉尾を成す倭人伝を「倭人在帯方東南」と説き起こす意義だが、国志の最有力読者である皇帝に対する思いやりとみるのである。

 従来未紹介の倭人について説き起こすとき、まずは、王朝の東夷統御の最前線である帯方郡から見て、どちらの方角に居るのかと知らせるものである。

 皇帝がそれで十分となれば、倭人伝講釈を終え次に進むことができる。

 各正史は「志」に「州郡志」ないしは「郡国志」を設け、各郡、国、州の地理情報として、帝都からの方位と距離、城数、戸数、口数を列記している。
 三国志は、「志」を備えていないが、親魏倭王に任じた以上、倭人伝に「国」の地理情報を書いたと見る。

 と言うことで、倭人伝では、まず、帝国の東夷に向けた前線である帯方郡を起点とした方位が開示されている。

 倭人伝は、倭国の北限界である狗邪韓國までの距離を「到其北岸狗邪韓國七千餘里」と中間報告した後、帯方郡から「倭国」都までの距離「自郡至女王國萬二千餘里」の必須情報を明示している。

 さらに、「南至邪馬壹國女王之所都 水行十日陸行一月」と、帯方郡から「倭国」都までの旅程、つまり、行程全日数が書かれている

 里数は示されているが、東夷の領域には街道の制度が存在しないので、里数だけでは何日かかるかわからないことから、魏使の行程実績などを基に所要日数を書いたのであろう。

 その後、城数は、国名を列記して示し、「倭国」全体の戸
は「可七萬餘戶」と報告したと見る。
 ここまで魏使が歴訪各国で申告を受けた戸数を足すと八萬戸を越えそうだが、倭国の持つ集計では、全国七萬餘戶となっていたのだろう。

 大事な口数を欠いているが、各国の戸籍情報が得られてないので集計できなかったのだろう。倭国王の生産力と動員兵力は、得られている戸数情報だけで計算されることになる。

  今回の結論
 倭人伝には、「倭国志」となる帯方郡治から倭国(倭人)への方位と距離、城数、戸数の地理情報が報告されている。

以上

2016年11月10日 (木)

今日の躓き石 参院議員の「リベンジ」礼賛

                           2016/11/10
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊三版社会面である。

 スポーツ界は、闘志優先であるから、負けたら仕返しという風潮があるのは止めようもないが、国政の中枢に立つ参院議員が血なまぐさい復讐(revenge)を叫んだのには驚いた。まるで、テロを煽動しているようである。

 大体が、選挙には不正があるから、負けても、負けと認めないというのは、あちこちで品性を疑われている新大統領の選挙中の暴言で、大いに顰蹙を買ったものである。

 今回の発言は、発言の引用だけでなく、見出しでも謳われているから、その通りの言葉遣いなのだろうが、国政選挙に負けたときは、このように敗北した結果をののしり、血の復讐の誓いを叫び立てるものなのだろうか。

 現に、負けた候補者は、いさぎよく負けを公式に宣言している。それに対して、こうした野蛮な発言をするのは、その背をむち打っているのではないか。

 良識の府の選良のことばとは思えない。

以上

2016年11月 5日 (土)

今日の躓き石 サッカーにおける身体能力とフィジカルの違い

                  2016/11/05
 今回の題材は、例によって、毎日新聞大阪13版スポーツ面である。
 それにしても、例によって、毎日新聞による現サッカーA代表監督の描写は、手厳しいものがある。

 今回は、15日のサウジ戦に備えて相手チームの戦力分析を語っているらしいが、三点の指摘で、第一点で、「(優れた?身体)能力がある」と語ったのに続いて、第二点で「フィジカルも強い」と意味の安定しないカタカナ語を使っている。つまり、現監督の語彙では、「フィジカル」は、身体能力とは別項を立てるほど異なっているものらしいが、詳しくはわからない。
 それにしても、毎回思うのだが、監督自身英語を常用せず、記者も読者も英語を理解できないので、カタカナ語に読み替えている状況で、こういう意思の伝わらないしゃべり方を報道されるのは、協会側通訳の不手際なのか、新聞記者の開き直りなのか、結果として読者に迷惑であろう
 三点目には、戦術的にも良くなっていると言うが、サッカーの試合で戦術と言えば、あれこれ細かい手口であろうが、従来、何が、サウジの戦術だったのか、どんな手口が加わったのか読者にはわからない。つまり、良くなっていると言われても、混沌とした印象を与えるだけである。監督にしたら、サウジチームの分析は以前喋ったから、重ねて言わないと言うことだろうが、報道の段階までに補充してもらわないと、読者にはわからない。

 また、日本代表に望むのは、(1)個人技を抑え、(2)チームプレーに重点を掛け、(3)「アグレッシブ」に勝利を追求する、とこれまた、意味の通らない三点の言いぐさで報道されている。カタカナ語であっても「アグレッシブ」は、ほぼ、「攻撃的」と解されているから、大体の意思は通じるだろうが、これら三点をまとめて、どう実現していくのか、各選手は、解釈に困るだろう。

 大体が、ほとんど、戦略も戦術もことなるチームで一人戦っている選手を寄せ集めてチームにして、短期間の合宿で、監督好みのチームプレイを仕込もうとしても、これは大変な難業である。と言うことで、ぐるぐる思い巡らしても、指示された三点の実現には困惑するだろう。

 以前の報道で、チームの不振の原因を問われて、欧州トップクラスのチームで成果を出しているメンバーが大勢いるから、(アジアでは楽に)勝てると思ったのに、それぞれ、先発を外されて出場機会が無くなっているのは、当て外れだ、との趣旨の発言があったようだが、今回も、実際は、欧州で活躍している選手の「個人力」を当てにしているように見える。

 それにしても、当記事は、中程の目立つ見出しで「閉塞感」と決めつけているが、欧州リーグで各選手が遠ざけられているのが作用しているのだろうが、少なくとも、当面の予選では、当面の相手にいかに勝つかが大事であって、欧州リーグのチームでいかに活躍するかと言うことではないので、くよくよせずに割り切って頂きたいものである。新聞報道が、「メンタル」な縛りを掛けているのでなければ幸いである。

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2016年11月 1日 (火)

今日の躓き石 日本人は「リベンジ」教徒か~ボクシング篇

                            2016/11/01
 今回の題材は、毎日新聞夕刊3版スポーツ面のボクシング記事である。

 今年4月に負けて12回目の防衛に失敗した元チャンピオンが、負けた相手と大みそかに再試合するという発表の記者会見に対する外国人記者の質問が契機であるが、その外国人(欧米人かアジア人なのか不明なのだが)が日本語で質問したすれば、そのまま受け取れるのだが、通訳のせい(誤訳)かもしれないことを断っておく。

 ともかく、質問が、再戦を「リベンジ」、つまり、血なまぐさい復讐戦と例えていたのに対して、その言葉で返さずに、「借りを返す」と言い換えて復讐談義を回避したことで、無難に収まったかと思ったが、その場の回答かどうか不明だが、「リベンジすることだけを考えてやりたい」と言い直していて、王者は、内心「リベンジ」と「借りを返す」が同義語になっている(単なる思い違いであれば、幸いである)ものと見える。

 結果として、見出しにも起用されている「借りを返す」と言う柔らかいことばが、真意として血なまぐさい「リベンジ」の意味となり、たとえ個人的な意見にしても、「日本人は、(宗教による復讐の戒めがないから)みんな、やられたことに「とことん」復讐して仕返しをしないと気が済まない」と主張したことになり、それは、日本人としてご勘弁頂きたいのである。

 毎度思うのだが、全国紙の記者ともあろう者が、どうして、たちの悪い言葉遣いの普及に手を貸すのだろうかと歎くのである。
 これでは、「リベンジ」と言うことば、そのものを使わなくても、その志が拡散することになるのである。

以上

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