倭人伝の散歩道2017 倭人在帯方東南
2016/11/12
倭人伝の読み直しは、劈頭の「倭人在帯方東南」のことばから入る。
三国志の魏書の掉尾を成す倭人伝を「倭人在帯方東南」と説き起こす意義だが、国志の最有力読者である皇帝に対する思いやりとみるのである。
従来未紹介の倭人について説き起こすとき、まずは、王朝の東夷統御の最前線である帯方郡から見て、どちらの方角に居るのかと知らせるものである。
皇帝がそれで十分となれば、倭人伝講釈を終え次に進むことができる。
各正史は「志」に「州郡志」ないしは「郡国志」を設け、各郡、国、州の地理情報として、帝都からの方位と距離、城数、戸数、口数を列記している。
三国志は、「志」を備えていないが、親魏倭王に任じた以上、倭人伝に「国」の地理情報を書いたと見る。
と言うことで、倭人伝では、まず、帝国の東夷に向けた前線である帯方郡を起点とした方位が開示されている。
倭人伝は、倭国の北限界である狗邪韓國までの距離を「到其北岸狗邪韓國七千餘里」と中間報告した後、帯方郡から「倭国」都までの距離「自郡至女王國萬二千餘里」の必須情報を明示している。
さらに、「南至邪馬壹國女王之所都 水行十日陸行一月」と、帯方郡から「倭国」都までの旅程、つまり、行程全日数が書かれている。
里数は示されているが、東夷の領域には街道の制度が存在しないので、里数だけでは何日かかるかわからないことから、魏使の行程実績などを基に所要日数を書いたのであろう。
その後、城数は、国名を列記して示し、「倭国」全体の戸数は「可七萬餘戶」と報告したと見る。
ここまで魏使が歴訪各国で申告を受けた戸数を足すと八萬戸を越えそうだが、倭国の持つ集計では、全国七萬餘戶となっていたのだろう。
大事な口数を欠いているが、各国の戸籍情報が得られてないので集計できなかったのだろう。倭国王の生産力と動員兵力は、得られている戸数情報だけで計算されることになる。
今回の結論
倭人伝には、「倭国志」となる帯方郡治から倭国(倭人)への方位と距離、城数、戸数の地理情報が報告されている。
以上
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