私の本棚 詩経 中国の古代歌謡 白川 静
中公新書 220 1970年刊
私の見立て★★★★★ 2016/11/18
著者白川静氏は、漢字学者として大変高名であるが、漢字学を志したのは、中国の古典である「詩経」の伝える古代歌謡に惹かれたのが、動機になっているとのことである。
本書は、一般人を読者と想定して書かれた新書であり、いわば、著者が構築した「ミクロコスモス」とも言うべき、広大無辺の見識が、新書版著作に許される範囲と深さで盛り込まれていると思う。
もちろん、読者は、本書を通読するだけで、書かれている全てを理解することを求められているものではないことは言うまでもない。
詩経は、中国古代の周朝時代から伝わる「詩」を伝えるものであるが、古来、それらの詩は、政治的な意図を秘めた深遠なものとして解釈され、それ故「詩経」なる経典として尊重されていた。
経典とされたため、広く写本を重ねて伝世され、時代を超えて珍重されているのだが、著者は、これらの詩には、庶民から貴族に及ぶ人々の喜怒哀楽が率直に記されていて、それ故に広く当時の人々の共感を得て唱和されていたと見ているようである。
そのような一般に通じている歌謡を、当時の周王朝の宮廷楽員が書き止め、宮廷の祭事の場などで管弦の楽を奏するのに合わせて謳い上げたものが文書として残ったものと感じられた。
もちろん、庶民と言っても、紙も印刷物もない時代であり、読み書きのおぼつかない庶民ではなく、豊かな語彙を有する、教養ある読書人である庶民であろうが、いくつかの詩に残されているように、農事や労役に額に汗する庶民であり、時には、戸籍に則って徴兵されて遠路の出征兵士となる庶民のようである。あるいは、書き留めた庶民の詩を今日伝わる形に書き整えた人たちがいたのかもしれない。
現代の読者は、むしろ、そうした詩であるから、共感できるものと感じられるようである。古代から伝えられた詩文のそこここから、人を愛し、別離を悲しみ、哀悼を感じたものたちの声が聞こえるように思うのである。
「唐風」に分類される詩である「葛生」は、文字通りに解釈するなら、「我が懐かしい人」を悼む美しい挽歌、つまり、悼亡の詩である。
著者は、詩文の解釈を記した後、「哀切のうちにも、やさしい思いにあふれ」、「美しく、情愛のこもった」詩であるのに対して、漢代の経学者たちが、詩文の順当な解釈をすることなく、政治的な理由をつけたりして、詩の解釈をゆがめ、それが、はるか現代まで伝えられていることをなげき、「このような美しい詩編を残した古代の人々に相済まぬように思う」と、特筆すると言うより、一冊の著述の流れの中で、穏やかに語っていると感じた。
著者のこのことばに耳を傾け、共感できたなら、自身の感性で詩経の個々の詩を読み解いてほしいものである。著者には、詩経に関して、更に広範に、かつ、深くその読みを披瀝した著作が残されている。
著者には、「初期万葉集」「後期万葉集」の著書があることも言い添えておく。
以上
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