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2016年11月17日 (木)

毎日新聞 歴史の鍵穴 懲りない地図妄想 またまた

  大海人皇子の吉野宮 天智の宮の真南か
                  専門編集委員・佐々木泰造

          私の見立て☆☆☆☆☆                2016/11/17

 いや、懲りない(Die-hardest)というか、まだまだ(Yet yet more)と言うか、何というか、また、とんでもない記事が出てしまった。専門編集委員殿は、御自分の論説の破綻を全然然理解していないようだ。

 今回は、タイトルからして不吉である。「大海人皇子の吉野宮」と所有格で書かれているが、天皇でも無いものが「吉野宮」を所有できないのは自明である。明らかに「斉明天皇の吉野宮」と呼ぶしか無いものである。

 それにしても、積年の地図妄想が昂じたのだろうか、突然、権威ある全国紙の権威ある専門編集委員によって高らかに「吉野の宮」に比定された金峯山寺も大変な迷惑である。現在は、一見すると仏教寺院のような寺号であるが、山岳信仰から発した修験道の本山であり、俗世から離れた修験道の精進潔斎の修行の場であったと信じるものである。

 それが、実は、斉明女帝の行幸先として創設されて供宴の場などに供されていた、持統女帝は33回も金峯山寺を訪れていたなどは、ありえないのではないか。俗世の悪を逃れていたはずの精進潔斎の場が、天皇家の建てた場での天皇家の御用であった、つまり、俗世の取り付いた不浄の場であったのを隠していたことになる。とんでもない言いがかりではないかと危惧する。

 因みに、金峯山寺は山上にあり、冬季の気象は酷寒と言うべきだろう。近畿では、南に行くほど温暖な下界と異なり、吉野界隈は、南に行くほど寒冷地になる。
 行程の急峻さを言うと、近鉄電車は急勾配を登れないで、麓で終点である。当然、食料や水の搬入は至難の労苦である。

 歴史的事実として「金峯山は中国で書かれた『義楚六帖』(九五四年)にも「未だかって女人が登ったことのない山で、今でも登山しようとする男は三ヶ月間酒・肉・欲色(女性)を断っている」と記されている。」と指摘しているサイトもある。
 いや、当ブログ記事は、修験道に於ける女人禁制の是非を論じているのではなく、歴史的事実を指摘しているだけであると理解頂きたい。「大峯山・山上ヶ岳の女人禁制はどうして生まれたか?」: 山人のあるがままに 

 

 それにしても、日本書紀の記事の不確かさを知りながら、書紀に書かれている「吉野宮」は吉野にあったに違いないと強引に決めつけ、河川交通の便がありそうに見える定説の宮滝の比定地を捨てて、険阻な山中に金峯山寺に比定するという姿勢自体、無理の塊である。

 

 修験道の場ということ自体、交通の便がないことは自明であり、今日の交通事情を見ても、観光名所でありながら、近鉄特急が乗り入れているのは山麓附近までで、以下、吉野ロープウェーで100メートルあまりを上るのである。

 

 そのような場所に、持統天皇は時期をかまわず33回(天皇在位期間中の「行幸」は31回とのことだが)も行幸するとは、どういうことなのだろうか。天皇の行幸は、一人二人の話ではなく、50人、100人で済まない関係者ご一行の到来である。まして、高貴な身分の方は、背負ってでも登らないといけないのである。

 

 また、今回の記事を信じるなら、斉明天皇は、3月1日の吉野の宮での供宴の後、一泊したはずであるが、3月3日には、飛鳥まで(直線距離で15km弱というものの、直線で移動する道がないのだから、この数字自体に大した意味はないのだが)帰り着いただけでなく、道を改めて(直線距離で70km弱というものの、この数字自体に大した意味はないのだが)近江に着いたというのである。ちなみに、(当時知られていない)太陽暦の西暦年に、太陽暦と月日がずれている陰暦(当時現役の暦制だから、旧暦というのは間違っている)(旧暦)の月日を繋ぐ「愚」は、時代錯誤であり、記事の権威をぶちこわすが、この際追究しない。
 さて、一日35kmは、平坦な道路で健脚の成人男性が手ぶらであれば踏破可能だろうが、道だけとっても、曲折起伏険阻の困難があって、実感は、何倍にも達する筈だが、当方の手元には資料が乏しいので、よくわからない。どのような交通手段、運搬手段で、一行は、両地点間を移動したのだろうか。

 

 以上、えらそうに書いてきたが、別に、現地に行って自分の目で見て、足で踏破したわけではなく、つまり、現場を実体験していないので恐縮だが、Google Map などのネット情報と一般常識に基づいて思索したものである。

 

 ということで、ちょっと考えただけでも、とんでもないお話であるが、時代背景や修験道の来歴の考察もなしに、金峯山寺に「吉野の宮」に比定する私見が、そのまま毎日新聞の本文編集委員のご高説として紙面に載っているのである。
 試練ならぬ試錬で叩かれ鍛えられた記事は信用できるが、軽率な思いつきで書き立てられ、批判されていない記事は、信用できないのである。

 

 公開されない個人的な発想であれば、何をどう考えようと個人の自由かも知れないが、全国紙の文化面にここまで執拗に自説を書き連ねるというのは、どんな神経、倫理観なのか不思議である。

 

 「専門編集委員」の特権で、記事内容について無審査で掲載しているのだろうが、「専門編集委員」の記事は、新聞社の記事である。毎日新聞社の名声にドロを塗るような記事を延々と掲載している意義は、一介の定期購読者として理解できない。

 

未完

 

2016/11/19 下線部加筆

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