私の本棚 季刊「邪馬台国」 131号 時事古論 第4回
私の見立て★★☆☆☆ 2016/12/24
再論連載・洛陽で発見された「三角縁神獣鏡」詳説(2)
安本美典
待望の季刊邪馬台国131号であるが、巻頭の御大の論説(第5回ではなかろうか)は、正直、かなり饒舌である。
*長い冒頭談義
冒頭で、延々と、中国人の個人的、ないしは、民族的な不誠実さについて書き募っているが、気迫は尊いものの空振りが多いのである。時につまらない誤解を取り込んでいるので、注意をそがれる。
ついでながら、導入部で百度百科を「わが国のWikipedia」と称しているのは、不似合いな軽率な失言と言える。Wikipediaは、日本の所有物でもなければ、日本の国土に所属しているものではない。また、Wikipediaの中国版は、維基百科(自由的百科全書)として進められている。
かたや、百度百科は、「百度」という中国企業が提供しているサイトであり、資料・情報の源として大変有用であるが、Wikipediaと同一視した評価が、当誌読者に広まることは危惧すべきと考える。
以上は、ネットで調べればわかる周知事項なので、この程度に留める。
念のため付記すると、以下述べることも含め、当ブログの指摘内容は、本論の主旨に関係ないのである。ただし、このあたり、安本氏には、些細な勘違いを訂正してくれる助手役がいないのではないか、と思うのである。と言うことは、ほかの場所でも、同様の勘違いが書かれているのではないかと、信用を損なうのである。まことにもったいない話である。
この項完
* 過剰な引用
このあと、延々と、第三者の著作の抜き書きが続く。出典を明らかにした上での著作の部分引用は、著作権侵害とは言えないが、ご自身の執筆部分の字数と比べて、分量が多すぎるのではないかと感じさせる。それに、所詮、(検事側)証人としての審査をされていない私見であり、それなりの重みしか持ち得ないものと感じざるを得ない。
引用書籍の表紙と著者近影は、堂々と半ページを占めているが、特に有用な情報を伝えているとは思えず、貴重な誌面を割くほどの意義は感じられないと言わざるを得ない。
ここまで手間暇をかけ、読者にも、論旨読解の労力を強いていながら、延々と第三種著作物が引用されているのは、「発見」者の信用を失わせるという、いわば、副次的な効果を期待したものと見られるのである。
悪く言えば、「風評」を喚起しているのではないかと見られかねないと危惧するのである。ここで、客が席を立つとは言い切れないが、概して、枕の長いのは、嫌われるのである。
このような行き方は、常々氏が展開されていて、本論でも、この後に続くような、実測データの科学的分析と確実な資料の引用に基づく、説得力に富んだ、意義深い諸論説とは別世界のものと思えるのである。
*堅実な本体部分
さて、17ページから25ページにかけ(特に小見出しを設けずに)、データ及び依拠資料を駆使して論述されている本論主旨には、ほぼ異論がないのだが、末尾附近で展開されている蛇足的議論には同感致しかねる。
*言い訳めいた結語
特定の事案で持論を形成されるに際して、現場、現物を確認しないとの巷間の批評に対して、
「テキストや遺物と称されるものの写真版資料を分析すれば、ある程度の見当はつくものである。
いな、あぶない人に近づくのはあぶない。」
と断言して、ご自身の手法が最善であると主張されている。
しかし、およそ、科学の分野で、実物の実見を排除するのは、誤解への近道である。
「テキストや遺物と称されるものの写真版資料」というが、テキストは、テキスト化した誰かの主観で読み取られたもの、そして、写真は実物の実見とは遠いものである。たしかに、「ある程度の見当」はつけられるかも知れないが、あくまである程度であり、見当でしかないから、当論説のように他者を断罪する際には、実物を実見し自分の語感で直接確認する必要があると考えるのである。
いや、上の段落は、本来の文意を誤解したようである。「テキストや遺物と称されるものの」「写真版資料」と解すべきだったようである。してみると、ここで指摘されているのは、現物を確認しなくても、「写真版資料」で十分判断できると言うことであり、上の段落の結論は同じである。
そして、そそくさと付け足された述解は、氏の保身策を語っているようで意味深長である。
*まとめ
いずれにしろ、このような混沌とした、言い訳めいた議論を末尾に付け足して、自身の対応姿勢を擁護しようとしているのは、実は、対象資料に対する強固な予断ないしは先入観を露呈しているとも見えかねない。
それでは、当論説の本題部分への信頼性を損ない逆効果のように思える。ちなみに、前回(第4回)では、(犯罪行為である)贋造と(文化財保全のための)複製がごちゃ混ぜにされていて、同様に、当論説の本題への信頼性を損なっていたのを想起させる。
古代史学分野の高名な論客に対して、素人考えで子供相手のような説教をするのは心苦しいのだが、僭越の批判も顧みず、深甚なる敬意をもって、率直に指摘させていただくものである。
以上
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