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2016年12月

2016年12月27日 (火)

今日の躓き石 サッカー代表監督のゆううつと新聞報道

                   2016/12/27
 今回の題材は、またもやサッカー代表チーム監督の発言の報道である。

 12月26日の毎日新聞大阪3版のスポーツ面のゴールキーパーに関する囲み記事で、監督が、「チームにいいスピリットをもたらす」と英語由来のカタカナ言葉を語って、更に、「メンタルプレーヤー」と発言の引用らしいカタカナ言葉を引用しつつ、地の文章で代表として選出している、と続けて文をしめている。何を言っているのか、皆目わからない。

 衆知の如く、監督は、日本語で発言しているのではないし、聞いている限り英語で語っているわけでもない。それなのに、その発言は、英語由来と見えるカタカナ言葉、それも、意味の確立されていない言葉を断片的に報道されているのである。

 今回の報道も読者に意味が通じない説き方である。「メンタル」自体、スポーツ界の一部に蔓延している札付きの悪性のカタカナ言葉であるが、実は、意味が明確でないことは、これまで何度も指摘しているとおりである。それに先立つ「スピリット」にしても、どんな意味で言っているのか、はっきりとはわからない。

 監督自身が、そうした読者に理解できない珍妙なカタカナ言葉で発言しているのなら、読者に意味が通じるような発言を引き出して欲しいのである。あるいは、報道担当者として、こうしたカタカナ語発言の意味を理解しているのなら、解きほぐして報道して欲しいのである。

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倭人伝考 番外 漢書地理志考 倭国と珠崖 似てるが違う話 3/3

                               2016/12/26  
 考察や余談を続けている。

 地理志下:   
 自合浦徐聞南入海得大州東西南北方千里武帝元封元年略以為儋耳珠崖郡民皆服布如單被穿中央為貫頭男子耕農種禾稻紵麻女子桑蠶織績亡馬與虎民有五畜山多麈嗷兵則矛盾刀木弓弩竹矢或骨為鏃自初為郡縣吏卒中國人多侵陵之故率數歲壹反元帝時遂罷棄之

・余談
 五大家畜の一つである「狗」は、よく「犬」と(誤)訳されるが、羊頭狗肉を、狗肉商人の詐欺商法と言えても、「犬肉商人」というのは、抵抗があるだろう。あるいは、漢の高祖と同郷で幼なじみの剛勇の人、樊噲(はんかい)は、職業が「狗屠」であったとされている。
 元朝以前の中国人といえども、今日よく見かける愛玩犬(ペット)を食用に供したわけではない。当時、盛んに食用に供されていた家畜が、生物学に今日の(愛玩)犬と同様に分類されるに過ぎない。全く別種の生き物なのである。そう思って、感情面を割り切ることである。

 別の示唆として、古来食用家畜であった狗が、元朝治世下では、番犬や愛玩犬に位置付けが変わったという意見が提示されている。
 牧羊を業としたモンゴル人にとって、犬は、家族の一員であり、友であり、牧羊では掛け替えのない戦力である。生類憐れみの令ならぬ、狗食禁止令が出たのではないか。

 また、それまで、中国の狗は吠えなかったが、激しく吠えて羊を駆り立てる牧羊犬が進入してきて、犬の習性が変わった可能性もある。

 いや、犬好き諸兄が納得できないというかも知れないが、ここは、取り敢えず我慢いただきたい。

*珠崖郡撤収
 武帝及び武帝の後継皇帝の政権が、南海の楽園とも見える海南島に漢朝規準の郡制を敷いた成り行きは上に述べた。因みに、中国文明は、海南島を帝国の一領域として取り込むまで、海島というものを知らなかったのである。

 この後、二度目の体験として九州島を知ったので、使節派遣に当たっては、調査役に、特に、海南島調査報告を読ませたものと思うのである。
 それにしても、福州沖合に、結構大きくて、山並みも立派な、かなり目立つ存在として台湾島があるのだが、中々、中国史料に登場しないのである。

 郡制と共に多数の郡役人や軍人が侵入、横行して、現地人を圧迫したのである。

 特産品として絹織物の上納を課したかも知れない。いくら鷹揚な住民も、不満が募るのである。

 数年を経て大きな反乱を招いたが、国力の衰えた漢朝は鎮圧に失敗し、ついに元帝の時、この僻遠の地の支配を断念して珠崖郡を廃止したのである。

 結局、住民の堪忍袋の緒が切れたのだが、反乱して山中に逃げ込むようなことができる気候なので、住民の抵抗は、激しかったかどうかはわからないが、長期に亘ったものと推定される。住民からの貢納が途絶えたら、郡財政は、たちまち破綻するのである。
 武帝の後の諸皇帝は、さほど領土拡大に執着しなかったらしい。武帝の外征過剰で国力が衰え、また、外戚の干渉で政権が脆弱化したことも加わって、元帝及びそれ以降の漢王朝は、海南島回復どころでなかったのだろう。

 かくて、郡を撤廃したと言うことは、郡関係の中国人は、全て本土に引き上げたと言うことであろう。郡制時代、識字教育に始まる官員訓練などにより、中国文明の普及が進んだと思われるが、未開状態に戻ったのか、広州の傘下に入って辺郡に準じる状態で管理されたかはわからない。

 以上、あくまで古代の出来事であるが、ある程度の問題として、今日でも、地方と中央の関わりで、まま見られる事象である。

*倭国と珠崖
 それはさておき、こうして読み通すと、南方の海南島とはるか北方の倭国は、地域風俗を書き示すときに使用される単語の多くが共通していても、実質は大きく異なっているように見える。
 とかくキーワード検索でヒットすると、類似していると見なされ勝ちだが、肝心なのは、個々の単語ではなく、文脈、文意であることは、諸賢に理解いただけると思う。

 初見の倭国の風俗が、海南島の風俗に似ているとは、魏使随員の調査員(軍事探偵兼記録係)が、報告書起草にあたり、温暖で海島である海南島を描写した漢書地理志記事を下敷きに、つまり、単語を流用して倭国往還記を書いたために生じた印象ではないかと思われる。

 いえ、それ以上の推定は無責任な憶測なので、差し控えておくのである。 

以上

2016年12月26日 (月)

倭人伝考 番外 漢書地理志考 倭国と珠崖 似てるが違う話 2/3

                     2016/12/26  

 考察や余談を続けている。

 地理志下:   
 自合浦徐聞南入海得大州東西南北方千里武帝元封元年略以為儋耳珠崖郡民皆服布如單被穿中央為貫頭男子耕農種禾稻紵麻女子桑蠶織績亡馬與虎民有五畜山多麈嗷兵則矛盾刀木弓弩竹矢或骨為鏃自初為郡縣吏卒中國人多侵陵之故率數歲壹反元帝時遂罷棄之

風俗概観
 住民は、皆、一枚の長い布の中央に穴をあけて貫頭衣にして、風通しよく着ている。男性は、専ら農耕に勤しんでいる。

 海南島は、海島であっても住民の漁労はしていないし、広大な丘陵、山岳地帯があっても、狩猟はしていないことになる。また、広州の近傍にありながら、海上交易もしていないことになる。
 気候を再確認すると、亜熱帯の多雨気候と言っても、風通しの良い服装でいれば耐えられるようであり、酷暑ではないようである。
 古来、漢帝国帝都長安のある関中は、中原として尊重されながら、気温が低く、また、雨が少ないために水利が不自由であり、後年、食糧自給が困難となる運命にある。これと比べれば、海南島は、食料の自給自足が可能であり、食の悩みのない豊饒の地のようである。

 食料としての粟や稲に加え、繊維を取るための紵麻(カラムシ)を栽培している。女性は、桑で蚕を育てて絹布を織る。
 と言うことは、折角の絹布を島内消費するだけなのだろうか。もったいない話である。

 馬は飼っていない。南方とは言え、この島には虎がいないので、住民は、野獣の心配なしに五畜(牛、羊、豚、ニワトリ、狗)の食用家畜を飼っている。山には、野生の鹿が多い。兵の武装としては、矛と盾、あるいは、刀に加えて、飛び道具として木製の弓や弩に骨鏃をつけた竹矢を備えている。
 
山中に鹿がうようよしていても、狩りをしている気配がないのである。
 武器をみると、刀剣以外には、金属兵器を使っていないようである。
 と言うことは、郡新設以前には、島内の内乱は無かったのだろうと言うことである。これに対して、郡兵の武装は、漢制に基づく強力なものであり、例えば、矢には鉄鏃を備えていたであろう。と言うことは、住民が郡に反抗したときは、徒手空拳に近い軽武装で戦ったのだろうか。

 今日の姿から想像もつかないが、秦漢時代の海南島は、鉄や銅のような鉱物資源を産出しなかったようだし、現在は、北岸の海港が良港となっていても、当時は、広州などの本土との交易も、特に見られないのである。
 因みに、地理志の次段は、「漢之譯使」が、海南島を起点として、現在のベトナム沿岸からマレー半島、さらにはインドネシア方面と思われる目的地への「船行」月数が書かれているが、順次訪問したとしても、正味で30カ月はかかっているので、途中に風待ちなどが入れば、三,四年かかりそうである。正確な報告なのか、誇張されているのか、読者には知るすべはないのである。
 次いでなから、この際確認すると、「船行」は、大変珍しい言い方、孤立した用例であり、地理志のこの部分以外では、魏晋南北朝以前の書籍全体を検索しても、魏志倭人伝で、「又有裸國、黑齒國復在其東南,船行一年可至」と書かれているのがヒットするぐらいである。これもなた、魏晋時代に孤立した用例であるが、あるいは、漢書地理志の影響かも知れないと感じたのである。

 それにしても、貪欲な漢帝国がなぜ貴重な土地、帝国領土を手放したのか不可解ではある。

未完

倭人伝考 番外 漢書地理志考 倭国と珠崖 似てるが違う話 1/3

                        2016/12/26  

 ご存じの方も多いと思うが、漢書地理志には、下記記事があり、これは、陳寿も笵曄も熟知していて、それぞれ東夷傳倭国記事の編纂の際に、念入りに参照したものと思われるので、この際読み通して、気ままに個人的な考察を加えてみる。何かのご参考になれば、幸いである。

 順次、記事自体の文釈を試み、考察や余談を続けている。

 地理志下:   
 自合浦徐聞南入海得大州東西南北方千里武帝元封元年略以為儋耳珠崖郡民皆服布如單被穿中央為貫頭男子耕農種禾稻紵麻女子桑蠶織績亡馬與虎民有五畜山多麈嗷兵則矛盾刀木弓弩竹矢或骨為鏃自初為郡縣吏卒中國人多侵陵之故率數歲壹反元帝時遂罷棄之

*珠崖郡沿革
 広州から、南に南シナ海に突き出した半島である合浦徐聞から海を南に渡ると、眼前の大きな島に着く。東西南北千里四方である。

 海南島は、現在の地図上では、東西250㎞、南北230㎞程度のやや横長の長円形で、面積三万三千㎡程度、最高地点が1840m程度であり、平坦ではないが、特に険阻とも思えない。北部に噴火の形跡があるようだが、基本的に火山島ではないようである。気候は、亜熱帯多雨気候と見える。従って、水に不足はなく、稲作に好適の筈だが、秦漢時代、既に稲作が普及していたかどうかは、未確認である。

 漢朝の盛期である武帝元封元年に、この島を珠崖郡儋耳として、はるか長安の地を帝都とする漢帝国の直轄支配下に置いた。

 すぐ西方の「越南」進出の場合と異なり、特に現地勢力を服従させた記事も無いから、現地は国家未形成で、まとまった政権にはなっていなかったのではないかと思われるが、確かではない。
 漢の官制では、郡太守は、高給(二千石(せき)。俸給が米で二千石という意味ではない)を受け取る反面、統治する領地から一定の(極めて多額の)貢納を上納するのが最大の任務である。そして、世の習いとして、上納義務の金額を大きく超えた収入を得て差額を自己の財産とするのである。

 常識的に考えても、未開の地である辺境の海南島珠崖郡に、極めて富裕な会稽郡と同様の上納ができるはずはないのであるが、それでも、郡制以前に比べて格段に税を厳しく取り立てたと思われる。

未完

2016年12月24日 (土)

私の本棚 季刊「邪馬台国」 131号 時事古論 第4回

          私の見立て★★☆☆☆               2016/12/24

  再論連載・洛陽で発見された「三角縁神獣鏡」詳説(2)
                          安本美典

 待望の季刊邪馬台国131号であるが、巻頭の御大の論説(第5回ではなかろうか)は、正直、かなり饒舌である。

*長い冒頭談義

 冒頭で、延々と、中国人の個人的、ないしは、民族的な不誠実さについて書き募っているが、気迫は尊いものの空振りが多いのである。時につまらない誤解を取り込んでいるので、注意をそがれる。

 ついでながら、導入部で百度百科を「わが国のWikipedia」と称しているのは、不似合いな軽率な失言と言える。Wikipediaは、日本の所有物でもなければ、日本の国土に所属しているものではない。また、Wikipediaの中国版は、維基百科(自由的百科全書)として進められている。

 かたや、百度百科は、「百度」という中国企業が提供しているサイトであり、資料・情報の源として大変有用であるが、Wikipediaと同一視した評価が、当誌読者に広まることは危惧すべきと考える。

 以上は、ネットで調べればわかる周知事項なので、この程度に留める。

 念のため付記すると、以下述べることも含め、当ブログの指摘内容は、本論の主旨に関係ないのである。ただし、このあたり、安本氏には、些細な勘違いを訂正してくれる助手役がいないのではないか、と思うのである。と言うことは、ほかの場所でも、同様の勘違いが書かれているのではないかと、信用を損なうのである。まことにもったいない話である。

                              この項完

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2016年12月21日 (水)

毎日新聞 歴史の鍵穴 見えない鍵穴 もやもやした論文紹介の不満

 私の見立て☆☆☆☆☆ ゴミ箱直行             2016/12/21

 酒に弱い人の遺伝子 中国南部から伝来か
  専門編集委員・佐々木泰造

 今回は、当連載記事筆者の宿痾とも思える地図イリュージョン(幻想、妄想、まやかし)が出てこなかったので、ほっとしているのだが、別の問題点である、論旨不明の論文紹介(症候群)は継続しているようである。

 結論を先に言うと、今回の主題は、北里大学医学部 解剖学研究室 太田グループ 小金渕佳江さん(”ら”とあるが、共同発表者の実態は示されていない)の学会発表論文の紹介らしいのだが、何を斬新な意見として紹介しているのか、読み取れないのである。

 それにしても、字数の限られた記事として、延々と、衆知に近い基礎的な解説が続くのはどうしたことか。「縄文人上戸、弥生人下戸」は、既に広く流布していると思う。
 当記事に大きくかざされている図(毎日新聞サイトには掲載されていない)にしても、特に、何か新たな知見を表示しているものでもないようである。

 肝心の論文内容に話が届く前に、(記事筆者はともかく)大抵の読者が耳にしているはずの一般論で紙面の半分が費やされている。当記事に対して、どんな読者層を想定しているのだろうか。
 続いて、太田准教授の2004年発表論文の紹介のようだが、既に専門分野には広く知られているであろう主旨を、またもや、たっぷり字数を費やして、自分の(しろうとくさい)筆で書き募っているのはどういうことだろう。論文の適正な引用でなく、(門外の素人らしい)紹介者の地の文になっているので、どこまでが論旨で、どこが、紹介者の感想か不明なのである。

 因みに、ネット検索すると、さほどの努力なしに、(ローマ字、英語で検索するだけで)
 The evolution and population genetics of the ALDH2 locus: random genetic drift, selection, and low levels of recombination.
 Hiroki Oota, Department of Genetics, Yale University School of Medicine 
 なる共著論文を見ることができる。

 専門的な論文をすらすら読み解くことは門外漢には無理なので、グラフ類を眺めるだけであるが、紹介者は、この論文を読解されたのか、太田准教授から、要約文をもらったのか何れかであろう。一読者としては、ご本人の(責任の下に書かれた)要約を読みたかったものである。

以上

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2016年12月20日 (火)

今日の躓き石 なくしたいサッカー界の血の復讐 クラブW杯

                           2016/12/20
 今回の題材は、昨日の毎日新聞大阪夕刊3版スポーツ面である。レアルの攻めを頑強に跳ね返したディフェンスの気概が語られているのだが、最後に『血の復讐』(リベンジ)を誓ったと報道されて、折角のスボツーマンシップが泥にまみれてしまったのは、もったいない。

 世界一と定評のあるクラブと戦って、勝つつもりはあったとしても、結果として試合に負けたのを根に持って、来年の復讐を誓うとは、何か勘違いしているのではないだろうか。スポーツの試合で負けるたびに、血の復讐を公言していたら、相手も返り討ちしてやると息巻くことになる。そうでなくても、血の報復の繰り返しは、毎日新聞の紙面に繰り返されている。

 全国紙たる毎日新聞が、こうした悪しき伝統に終止符を打つべきだと思うのだが、なぜ、関係者の失言をそのまま報道するのだろうか。

 言葉の意味を知らずに失言した関係者に責任があるのか、言葉の意味を知っていて、選手の真意を確認せずに報道した側に責任があるのか。今のままでは、選手に責任があるように見える。 

 毎日新聞には、編集や校閲はないのだろうか。

 何とも、後味の悪い報道であった。

以上

2016年12月11日 (日)

私の本棚 直木孝次郎 「古代を語る 5」 大和王権と河内王権

            吉川弘文館 2009年刊

        私の見立て★★★★☆           2016/12/11

 今回の著者は、史学会の先賢の中でも「巨匠」と呼ぶべき大家であるが、ここでは単に「著者」と書かせていただく。
 題名が示すように、本書は、日本古代史に関する著書であり、当プログ筆者の守備範囲外であるが、訳あって末尾の部分を題材にさせて頂く。

 もちろん、書籍全体を読ませていただいたのだが、史書の追究はともかく、多数の遺跡、遺物の現地、現物を身をもって体験された結果の貴重な論考であり、謹んで敬意を表させていただきたいと思っている。

 さて、今回取り上げるのは、末尾も末尾、最後に示されたご意見である。

*地図の思想
 ここでは、天智天皇山科陵が藤原京の真北に存在しているように見えることから、これは、山科陵設営当時、意図してその位置に造営したのではないかという仮説を紹介し、現地踏査の結果、具体的な位置設定手段は確認できないが、仮説は否定しがたいとの意見を述べているものと思う。

 もとになる仮説を提示したのは、藤堂かほる氏(「天智陵の営造と律令国家の先帝意識―山科陵の位置と文武三年の修陵をめぐって―」(『日本歴史』六〇二号 1998年)」)であって、このように発表誌も明記されているから、第三者が原文を確認して、追試検証できるものである。

 また、発表誌を確認するまでもなく、著者の簡にして要を得た紹介があり、藤堂氏論拠である両地点を記載している国土地理院発行の二万五千分の1地形図二面をつきあわせた際の両者の位置関係が明記されている。

*実施(可能と思われる)方法
 さて、直木氏が藤田氏の提言を元に現場確認された際の意見を拝聴すると、両地点は、ほぼ55㌔㍍を隔てていて、丘陵というか、山が介在して直視できないが、何らかの手段で、この山を越えて位置確認できた:から、山科陵は現在の地点に設置されたのではないかと感じたと述解されている。

 筆者は、理工学の徒であるから、以下、推定を試みている。実地確認したものではないので、実行不可能とのご批判があればお受けする。
 筆者は、自身の良心のもとに、古代の世界に自分を仮想して、このような任務の実行任務を与えられたら、十分に実現可能であると判断するものである。

 基本的な認識として、いかなる光学機器も、単体では見通しの利かない二地点間の方位を測定することはできない。いや、見通し可能であっても、55㌔㍍先が視認できるとも思えない。

 そのような無理でなく、古代人であっても利用可能な道具類を使用し、数人の技術者とその何倍にも当たる人夫をある程度の期間動員して、全区間を細分化した区間を順次踏破すれば良いのである。

*具体的手段
 目に付くものとして旗竿のようなものを利用し、藤原京から、逐次北上して参照地点をつないでいけば、最終的にそこそこの精度で目的地に到達できると思うのである。

 例えば、原点に立てた旗竿の真北に、二本目の旗竿を立てるのである。藤原京ほどの地点であれば、太陽観測によって、南北方向を得ていたはずである。区間幅を、旗竿の振り方で意思疎通できる程度にしておけば、特に通信機器がなくても、二本目の旗竿を一本目の旗竿の真北に位置決定できるのである。

 三本目以下の旗竿の位置は、先行する二本の旗竿が真南の一直線上に見える地点に決定することができるが、誤差が積み重なって方位がずれるのが問題であれば、何本目かに一回、候補地での南北を太陽観測で決定し、位置を確定すればよいのである。

 かくして、三本の旗竿が一直線上に並んだところで、最初の一本を北上させて行くという手法を順次採用すれば、目的地に着くまでに相当の日数を要するものの、55㌔㍍程度の距離であれば、そこそこの精度で真北に進むことができるのである。

 直木氏が気にしている途中の山の問題であるが、平地同様に、随時見通す感じで北進していけば、特に困難なしに順次旗竿をたてて、真北に進めるはずである。

 もちろん、経路上に登攀困難な高峰や対岸の見通せない大河や湖水があれば、そのような進行は不可能であるが、見る限り、多少荷物を持っていても克服可能な経路と思う。

 と言うことで、古代であっても、先進の光学機器がなくても、衛星写真がなくても、小数計算を含む10進数計算の思想がなくても、時分秒の時間計測概念がなくても、つまり、ISOに規定されたメートル法の単位系がなくても、この程度の距離と地面の起伏であれば、十分克服して、一直線に北進することが可能であると判断する。(いや、もっと効率的な方法があるかも知れないが、ここでは、実行可能と思われる方法を例示しているのであり、最善の方法でなくても問題ない)

*謝辞・賛辞
 復習すると、藤田氏の提言で示された叡知は、2万5千分の1地形図で見ると、両地点が南北一直線上にあるように見えるという発見に触発されたものであり、明示されたかどうかは知らないが、当時利用可能であった基本的手段で、(ほぼ)南北一直線上に位置するように、藤原京の真北に山科陵を位置決定したのではないかという提言であり、上に挙げたように、こうすれば十分に実現可能であると読者側から手をさしのべられる真摯なものなのである。適切な理解と紹介を行われた著者は、絶賛に値するものと信じるのである。

*失敗事例
 これまで、毎日新聞紙上で連載されている「歴史の鍵穴」の同様に見える論説について、当ブログが批判し続けているのは、提示されている区間が途方もない長距離であり、時として、海上を延々と通過するものであるから、それは不可能だという意見に基づくものであり、また、論拠として掲載されている方位や距離の多桁数字が、現代の技術で測定された地形データを根拠に無理で意味のない高精度計算を行うという不法を重ねているからである。
 国土地理院が気づかないのを良いことに、データの悪質な改竄を行っていると見える。つまり、現在のデータを、千年前の、一切測量されていない土地に、検証無しに流用、盗用しているのである。
 要は、ここまで「地図妄想」と批判してきたのは、見識もなく、その自覚もない数人の論者が、学術的に意味のない本末転倒した主張を続けているためである。

*感慨
 つい、余計な非難を煽ってしまったが、直木氏が、その類いの愚行を一切犯していないのは、理解いただけると思う。
 豊富な知見と学識を有する先人が、ここに例示されたような合理的で、的確で、隙のない思考を行って見せてくれているのだから、後進の者は、虚心に見習うべきではなかったかと歎くのである。

以上

2016年12月 6日 (火)

今日の躓き石 デジカメ業界の混乱が原因 ドデカいコンデジ

                       2016/12/06
 いや、まことに面目ないのだが、以前「ネオ一眼」とか呼んでいた一体型「ドデカい」デジカメを、各メーカーが「コンパクト」のくくりの中に紛れ込ませていたのだが、当方の視野外、水平線の向こうであったため、全然気づいていなかった。

 改めて、手早く調べると、デジカメ業界全体が、自ら「コンデジ」と呼ばないことが多いもののデジカメの分類で、一眼レフに対抗する大分類として「コンパクト」のくくりを設け、実は、サイズも価格も機能も桁違いの製品を混在させるジャンル破壊型の売り方をしているようである。(商品企画の見方では、高付加価値製品の安売りであり、まさか大メーカーがそんなことをするとは思わなかった)

 業界の叡知を集めても、「レンズ一体型デジカメ」の「売れる」売り出し方が出てこなかったため、「コンパクトと言えない」巨大型を、『コンパクト』という衆知、自明の形容詞を名詞化したことばででくくるような醜態になったのだろうか。

 業界ぐるみで、消費者を混乱させていて、嘆かわしいものである。

 過去二回の当ブログ記事で、デジカメブラスを非難した記事になってしまったが、ここに深く謝罪の上削除するものである。

以上

2016年12月 5日 (月)

今日の躓き石 君の名はの空の雲 著作権奇譚

                           2016/12/05

 今回の題材は、「君の名は。」にまつわる著作権騒動である。
 何よりも、関連メディアが、風評ばかり云々していて、きっちりした「著作権」の議論がされていないのは、大きな疑問である。
 ただの素人である当ブログ筆者の見る限り、指摘されているのは、青い空に描かれている白い雲の一刷毛が、原典の盗用だと指摘されていて、それが著作権問題であるとの疑惑がとり沙汰されているように読める。通りがかりの素人の勘違いであれば、失礼する。

 しかし、実際は、原典とされている「君の名は。」の画面がどのような特徴を持っていたと言われることもなく、問題となっている画像がとのように原典と類似しているか、根拠が示されていない。根拠不明の「似ている」程度の発言が、曖昧に語られているだけである。

 はっきり言って、映画が著作権を主張できるのは、映画全体が新規の著作物であって、自身が著作権違反を犯していない新規の著作であることが大前提である。また、映画が新規の著作物であるとして、映画の全コマの隅々まで全部が著作権の対象と言うことはありえないのではないか。

 例えば、目下問われているのが、青空に白い雲の光景であれば、過去の映画や静止画に同様の画像が描かれていないとの確証はないのではないか
 若し、過去、同様の青空と白い雲が一例でも登場していれば、「原典」は先例のある画像に対して、不法に著作権を主張していることになるように想うのだが、どうだろうか。

 言い換えれば、青空に白い雲のような、どちらかというとありふれた自然の風景を複写した画面は、別に作者自身の特別の意図を込めた著作物とは思われず、従って、著作権の対象ではないのではないか。
 是非、この点について、権威ある鑑定を求めたいものである。

 そうでないと、自作絵画であれ、静止画であれ、動画であれ、公衆の目に、青空に白い雲が目にとまる著作物は、絶えず、当該動画の著作権なを侵害しているのではないかと畏れなければならなくなるのである。

 一番懸念されるのは、このような、根拠のない、強引と見える主張が風評となって、動画などの作者の創作意図を萎縮させてしまうことである。これは、ある意味で、大勢の作家に対して、重大な著作権(自身の創作を自由に行う権利)侵害となっているのではないか。

 根拠のない、というのは、被疑者となっている画像と、原典画像を並べて、どこがどうなっていたら、著作権侵害となっているか、明快に示して居ないからである。判断基準が示されていないと、新たな創作なのか、盗用なのか、自分で判断できないのである。
 いや、そもそも、映画著作物の全篇全ての隅々までが著作権の対象であるという主張の根拠を示してほしいものである。そうなると、何かの創作を公開する際に、世界の著作権のある全映画を全コマ確認することになる。

 そもそも、「ぱくり」レベルの低次元の問題を言うのなら、当該アニメの題は明らかに大昔の「君の名は」のパクリである。だからといって、「著作権」議論はありえないが、道義的に丸写しはまずいと思ったのか、「君の名は。」と「。」を付け足しているようである。
 そのような回避の発想がどこから来たか。関係者一同自覚していたと言うことである。

 であれば、同様に。青空に白い雲の画像が、著作権侵害を問われない条件を示していただきたいものである。

 是非、今回の事態の法的な根拠を聞かせていただきたいものである。

 それにしても、今回も、メディアのいい加減な報道姿勢が問題である。「疑惑」があるのなら、関係者に取材して、正当な指摘なのか、不当な「誣告」に当たるものか、知財権を専門とした弁護士の公式見解を確認して報道すべきであろう。責任ある報道を望みたいものである。

以上

2016年12月 1日 (木)

今日の躓き石 「神ってる」の悲劇 実力で克服を

                      2016/12/01
 今回の題材は、2016年流行語大賞の「神ってる」である。ご承知のような、この言葉は、当の選手の言葉でなく、監督の言葉なのだが、考えようによっては、失礼極まりない言い方である。伝統的な言葉では、「神がかる」とは、たいていの場合巫女に神が降りてきて、心と体を乗っ取られていることを言うのである。似たような現象の悪い言い方では、(狐などの)憑き物がとり憑いているとか言う。プロ野球の選手が、すばらしい活躍したときの言い方としては逆効果である。何かの間違いで、いい結果を出してしまった。ただし、憑き物が落ちると元に戻る、という意味にとられかねない。(まるでドーピングである)

 ファンの子供めいた煽り立ては、批判してもしかないのだが、監督として選手の評価をすべき立場の言葉としては、何とも、具合が悪いとしか言い様がない。
 言ってしまった以上は、報道されてしまった以上、そして、大賞を受けた以上、どうしようもないのだが、当の選手に、密かに気の毒な評価が定着してしまいそうである。人生には、いろんなことがあるから、これで挫けないで欲しいというしかない。
 来シーズン以降は、虚名をぬぐい落とすように、一人の人間として、プロ野球選手としての「実力」を高く評価される活躍ができるように祈るだけである。

以上

今日の躓き石 心地よい「セットアップ」 米国便り

                         2016/12/01
 本日は、なかなか書けない褒め記事である。

 毎日新聞朝刊大阪13版のスポーツ面に、MLBで活躍している上原浩治投手の所感が、(不定期)連載コラム「浩治印」として掲載されている。

 今回は、時節柄、今年は素晴らしいクローザー、セットアップがFA(フリーエージェント)になっているので、自分の行き先は遅くなるかも知れないと枕をひいてから、本題に入っている。

 一流選手にふさわしい見識だと思うのは、日本国内のスポーツ紙や民放の実況などで常習となっている「セットアッパ」という詰まらない言葉が出ていないことである。
 まあ、言葉の選び方のいい人を模範にすべきと言いたいところだが、スポーツ紙や民放では、具合の悪い言葉を捻り出しては蔓延させる傾向にあるので、感心しない言葉は絶滅するどころか、使用量が減ることもないのだろうな、と言わざるを得ない。

 当ブログ記事筆者の方針を確認すると、NHKは、公共放送としての立場から、詰まらない言葉を使わない、広げない、子供に教えない、と言うしっかりした方針があるようなので、そこから取りこぼされたときに指摘するのであり、その他のメディアは、きりがないので触れていないだけで、別に黙認しているわけではない。

 上に引き合いに出された方達は、その道で稼がせてもらっているのだから、シーズンオフの仕事の立て込んでいないときに、少しでも、御自分の脳内の辞書から具合の悪い言葉を外していってほしいものである。

以上

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