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2016年12月26日 (月)

倭人伝考 番外 漢書地理志考 倭国と珠崖 似てるが違う話 1/3

                        2016/12/26  

 ご存じの方も多いと思うが、漢書地理志には、下記記事があり、これは、陳寿も笵曄も熟知していて、それぞれ東夷傳倭国記事の編纂の際に、念入りに参照したものと思われるので、この際読み通して、気ままに個人的な考察を加えてみる。何かのご参考になれば、幸いである。

 順次、記事自体の文釈を試み、考察や余談を続けている。

 地理志下:   
 自合浦徐聞南入海得大州東西南北方千里武帝元封元年略以為儋耳珠崖郡民皆服布如單被穿中央為貫頭男子耕農種禾稻紵麻女子桑蠶織績亡馬與虎民有五畜山多麈嗷兵則矛盾刀木弓弩竹矢或骨為鏃自初為郡縣吏卒中國人多侵陵之故率數歲壹反元帝時遂罷棄之

*珠崖郡沿革
 広州から、南に南シナ海に突き出した半島である合浦徐聞から海を南に渡ると、眼前の大きな島に着く。東西南北千里四方である。

 海南島は、現在の地図上では、東西250㎞、南北230㎞程度のやや横長の長円形で、面積三万三千㎡程度、最高地点が1840m程度であり、平坦ではないが、特に険阻とも思えない。北部に噴火の形跡があるようだが、基本的に火山島ではないようである。気候は、亜熱帯多雨気候と見える。従って、水に不足はなく、稲作に好適の筈だが、秦漢時代、既に稲作が普及していたかどうかは、未確認である。

 漢朝の盛期である武帝元封元年に、この島を珠崖郡儋耳として、はるか長安の地を帝都とする漢帝国の直轄支配下に置いた。

 すぐ西方の「越南」進出の場合と異なり、特に現地勢力を服従させた記事も無いから、現地は国家未形成で、まとまった政権にはなっていなかったのではないかと思われるが、確かではない。
 漢の官制では、郡太守は、高給(二千石(せき)。俸給が米で二千石という意味ではない)を受け取る反面、統治する領地から一定の(極めて多額の)貢納を上納するのが最大の任務である。そして、世の習いとして、上納義務の金額を大きく超えた収入を得て差額を自己の財産とするのである。

 常識的に考えても、未開の地である辺境の海南島珠崖郡に、極めて富裕な会稽郡と同様の上納ができるはずはないのであるが、それでも、郡制以前に比べて格段に税を厳しく取り立てたと思われる。

未完

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