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2017年1月

2017年1月23日 (月)

今日の躓き石 血塗られた都道府県対抗の栄冠

                              2017/01/23
 今日の題材は、毎日新聞大阪朝刊第13版スポーツ面の男子駅伝記事である。
 広島開催のはずなのに、「都大路の雪辱」とは、えらい場違いだと思ったが、どうも、京の恨みを広島で晴らしたというつもりらしい。それにしても、スポーツにふさわしくない、大時代の因縁話である。
 以下、半分余りの行数を費やして4区走者を手厚く顕彰したのだろうが、折角の栄冠が、たゆみない努力の成果でなく、血まみれの「リベンジ」だとされては、見出しのだめ押しのつもりなのだろうが、走者が天下に汚名を背負ったことになるので、気の毒である。

 今回は、署名を見ると女性記者の担当であるが、折角、当事者と親しく会話できるスポーツ担当記者が、染みついた先入観として駅伝の場に復讐に血塗られる光景を見ていたとすると、もったいない話であり、ことは重症だと思うのである。
 優れた選手は、目前の競争に全力を費やしているのであり、済んだ競争の恨み辛みで生きているとは思えないのである。個人競技でないチームプレーの世界で、ますます私怨は余計である。

 たまたま、同日夕刊で報道されているリベンジは、一部の野蛮な男が、正義の裁きの名を借りて、恥知らずな「制裁」行為をするものだが、この担当記者は、そのような例で示される「リベンジ」の賛同者なのだろうか
 つまり、この署名記事は、そういう言葉、そういう行いに列なるものなのである。

 事のついでに言うと、女性を不当に制裁している者達の行為は、具体的な法律違反がなくても罪悪だと思う。正義感だけでいうと、残らず公判に附して、被告として、罪状と姓名を天下にさらし、法の制裁を与えるべきである。それこそ、正しい意味での「リベンジ」である。

 担当記者が、因縁話で味付けすることの愚かさに気づいて、スポーツの神髄を伝えてくれるよう、更なる研鑽を促したい。

以上

2017年1月22日 (日)

今日の躓き石 陳腐な表現 「ハードル」

                            2017/01/22
 今回の題材は、どこの誰がどうしたという話ではない。世にはびこる陳腐な(誤)表現を歎いているのである。

 「ハードル」が上がったというのは、前途にある邪魔者を克服するのが一段と困難になったという意味のようだが、随分珍妙な比喩である。

 陸上競技のトラック種目で、走者がコース上の邪魔者に進路を阻まれていると見たのだろうが、実際は、ハードルに走者の足がかかって遅れることはあるが、ハードルで止まってしまうことは無い(はずである)。なぜなら、ハードルが越せなければ倒して通れるのである。別に、ルール違反でもなんでもない。ただ、飛び越えるのに比べて、大変遅くなるだけである。

 つまり、陸上競技で、ハードルは走者を止めるためにあるのではない。走者は、走力に加えて、いくつかのハードルをうまく飛び越えて短時間で走り抜ける技術を競うのである。また、ハードルの高さは決まっていて、越されたからといって、高くすることはない

 「ハードル」競技に対する誤解を広めないようにと、陸連から抗議がないのも、困ったものである。

 おそらく、最初に言い出した人が、聞きかじりで、誤解して唱えた「比喩」なのだろうが、その生かじりの言葉が、生かじりの積み重ねで蔓延しているのを歎くのである。言い出した当人も、後に失言を悔いたと思いたい。

 陸上競技から正しく比喩を引くのであれば、「バー」と言うべきだろう。高跳競技の「バー」は、なんとしても競技者に越されまいとする邪魔者であり、越されたら越せなくなるまで高くして越せなくなった所で競技終了である。「バー」は究極の勝者である。

 というものの、陸上競技で「バー」が高くなるのは、競技者の向上の反映であり、向上したと認められたから、それだけ、厳しい試練を与えているのである。時には、そういう見方も必要ではないかと思うのである。

 英語でバーの意味は沢山あるが、ここでは、行き止まりのしるしの横棒標識である。飲み屋のことではない。法律用語で"Complete Bar”というのは、例外なしの全面禁止の意味である。寺院の公開(Public)部分の端の低いところに竹の横棒をおいているのも、「立ち入りご遠慮ください」(立ち入り禁止)などと書いていなくても、そこから先に立ち入らないで欲しい(Private)の意思表示であり、簡単にまたいで入れるからといって、その主旨を無視してはならないのである。

 ということで、見当違いの比喩である「ハードル」は、消えてほしいものである。

以上

2017年1月20日 (金)

将棋談義 天段の勧め 加藤一二三九段に寄せて

                          2017/01/20
 今回は、将棋界の不世出の偉人である加藤一二三九段に寄せるものである。

 ご承知の方も多いと思うが、将棋界の段位は、長い間八段が最高であったが、やがて格別の業績を示した大棋士に対して、例外的に、八段を超える九段が認められたのだが、それが、いつしか拡張されて、そこそこの大棋士は、タイトル獲得などの積み重ねにより九段を名乗れるようになった。

 しかし、それでは、加藤一二三九段のような格別の業績を残した特別な棋士に対して、並の九段ではない、格別の棋士であるという格別の称号ではないと言うことになった。

 そこで提案したいのは、「天段」の新称号である。見たとおり、段位の呼び方であるが、(今度こそ)最高段位の主旨である。

 すぐ思いつきそうな「十段」は、かつて、将棋界のタイトルにあったし、囲碁界には今も存在するタイトル称号である。
 それ以外にも八,九の次が十だと、いずれ十一,十二となるかも知れないと思わせるのが難点である。それに対して、「天」は極上の極みであり、その上はないと感じさせる。いわば、究極の段位である。

 仮に規準を示すとすると、プロ棋士キャリアの通算勝数、敗数、何れかが一千以上、ないしは、対局数が二千局以上であることである。タイトル全冠制覇も「天段」て称揚する価値があるのではないかという声もありそうである。
 数で積み上げるのは、まことに素朴な指標であるが、長年に亘って現役にとどまり、かつ、相当の好成績を収めた時期がなければ、達成できない数字であることは、ご承知のことと思う。

 「てんだん」は、言うまでもなく、十段(Ten Dan)のしゃれでもある。

 中国語で、「天」は神様のことであり、「天段」の発音は、日本語の「テンダン」とは少し違うが、まあ、無理にカタカナで書くと「ティエントゥアン」であり、おぼえやすい程度に似ているので、国際性のある囲碁界にもお勧めしたい。(くれぐれも、タイトル称号で商標などにしませんように)

 と言うことで、(できれば、現役の間に)「加藤天段」と称揚することを提案するのである。

以上 

2017年1月18日 (水)

毎日新聞 歴史の鍵穴 非科学的な紹介と強引な見出し付け

 今回は、新年の記事であるが、見出しで示されている見解の裏付けとして、多くの研究者の労苦が的確に紹介、依拠されていないのを不満に思うのである。

 歴史の鍵穴
 朱の入手先 大和王権の成立が画期=専門編集委員・佐々木泰造 

          私の見立て☆☆☆☆☆                2017/01/18

朱の入手先 大和王権の成立が画期=専門編集委員・佐々木泰造
朱の入手先 大和王権の成立が画期=専門編集委員・佐々木泰造
朱の入手先 大和王権の成立が画期=専門編集委員・佐々木泰造

*非科学的な紹介
 今回は、一見科学的な議論を進めているように見せているが、滑り出しから感じが悪い。「激動期の日本列島の様相」などと物々しい言葉を連ねているが、当時の世相が「激動」していたかどうかは別として、関東以北どころか、中部地方すらほとんど語られていない記事に「日本列島の様相」と銘打っては誇大表示そのもので、速度第一、目立ち第一の新聞記事としてならともかく、全国紙の専門編集委員の歴史談義である月一連載の滑り出しとしては、何とも軽薄な感じしか受けなかった。

 そもそも、読者に記事の所説を提示すべき、大事なグラフにデータ出所とグラフ作成者の身元が書いていないのは、どういうことかわからない。元データを提供した方の名誉のためにも、的確に表示すべきだろう。

 文章の方も、叙述の視点が揺らぎ、しばしば主語が抜ける展開で、読者として目がくらむのである。

 冒頭の段で「研究プロジェクト」と銘打っているのだが、どのような組織のどのようなメンバーが参加して進めているのか、どこから研究費が出ているのか、どのように成果発表される予定なのか、書かれていない。以下の報告が誰の手で、いつ書かれたものか、きちんと書かれていない。疑問があっても調べようがない。

 そのように、最初の文で研究プロジェクトが活動していると書いた後、いきなり、著者の主観と思われる文が打ち出されている。

 当該プロジェクトが、成果報告として公開したものなのだろうか。国立法人である国立環境研究所のような公的機関や国公立に限らず大学法人の研究成果発表は、公開を義務づけられているので、このように出所を秘匿して「特ダネ」扱いすべきではないと思う。

 と言うことで、「非科学的な紹介」と書いている。

*最初の鍵
 背景説明らしいものが書かれているが、二〇年ほど前に二人の学者が連携して朱の由来を探り当てる研究を始めたと書かれていて、それが従来の化学分析では特定できず難航していたとの主旨である。
 特に書かれていないが、いずれかの時点で、画期的な技術革新により、研究機関の限られた設備予算内で硫黄の質量分析設備の購入が可能となり、かくして、(硫化水銀 HgSの主成分である硫黄の同位体分析ができるようになったのが、今回の発表の前提のようである。

 そこで、当記事は、主語無しの叙述に突然移動する普通、省略されている主語は一人称であるが、ここでは、三人称の両科学者の行動と考察らしい。従って、断定的な書き方は、研究者に由来するのだろうか。

 それにしては、34S同位体の含有率の標準値との偏差をプラス、マイナスといっているのが、突然、論証抜きで「中国産」、「日本産」との断定が書かれているのは、科学者の文章とは思えない。そこまでの測定データに基づいて、(省略主語の両研究者が) プラスは中国由来、マイナスは日本由来とする判断基準を決めのだろうが、その手順が押さえられていないので、読者にとっては唐突である。

*第二の鍵
 各地の考古学研究者の意見が書かれているが、ここに来ると、各地の遺物の同位体分析は飛ばして二者択一の断定が続いている。
 図示されているグラフに戻る。それぞれ、三箇所のデータ判断結果と共に提示されているが、どの程度のサンプル数であったか、そのばらつき具合がどうであったか押さえられていないので、測定値の信頼性が不明ということになる。
 と言うことで、以下、時期がはっきりしない古墳名と判断結果が羅列されているが、考古学の宿命で、絶対年代は明確でなく、近傍の遺跡との年代的な前後関係だけが比定されていると見ると、所詮、当初中国由来の朱を使っていたものが、その地域では、ある時期に日本由来に切り替わったようだという程度にしか思えない。
 ついでながら、日本由来といっても、三カ所のうち、どの産地かは特定されていないと思うのである。更についでながら、当時は、「日本」は存在せず、「中国」も分裂状態にあったから、これらの概念は、ここではあくまで地理概念なのだが、話が大きくなるので、指摘だけにとどめる。

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2017年1月16日 (月)

私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房  7/7

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/01/16
             全体として ★★★☆☆

 1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊
[承前]

*「倭人伝」読み替え解釈の不都合
 元々、「倭人伝」が、原資料を精査して編者陳寿の責任で景初二年と書いているものを、「年表」の編者は、勝手に景初三年と読み替える以上、陳寿同様に精査して、皇帝は新帝曹芳と正解すべきだが、自身の(不)見識に基づいているから、端的に言うと、誤解に基づく誤記事になってしまっている。

*誤伝の継承
 「年表」のこのような創作は、具体的な指摘は避けるが、後世の書籍に問題を及ぼしている。
 一般読者だけでなく、古代史学者でも、国内考古学寄りの専門家で、中国文献に自信の無い向きは、この記事を受け売りして、解説記事を執筆することがあるようある。もちろん、上に名をあげた執筆陣は、当然のごとく、この内容に基づいて執筆するものである。
 今日に影響を及ぼした「歴史的」誤記事と言える。

*編集出版の不手際
 当記事を年表に書くときに「倭人伝」に「欠けている」細部を埋めるのは悪くないが、その際に、原資料を確認せず、自身の憶測に基づいて書き込むのは、どんなものだろうか。
 「倭人伝」は、魏朝公式記録を二千字程度で書き記しているから、当時周知、自明であった事項は書いていないから、「欠けている」と見ることもある。しかし、現代の日本人が、知識不足で憶測すると、見当違いな誤解になるのは、避けられないものである。
 余程自信があったのだろうが、中国文献の解釈は、専門家の確認を仰ぐべきではなかったかと愚考する。
 古代史学界では、先賢の玉稿を校閲することを忌避するのだろうか。先賢とて、時には、勘違いするのは避けられないと思うのだが、その勘違いがそのまま世に出るようでは、学界全体が、世間の信用をなくすのではないかと憂慮される。
 そして、「年表」の編者も含めて、錚錚たる顔ぶれの古代史学界のお歴々が、誰もこの点を指摘しなかったと見えるのは、どういうことなのだろうか。誤字の類いでないだけに、深刻なのである。

以上

私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房  6/7

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/01/16
             全体として ★★★☆☆

 1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊
[承前]

*余談4 洛陽への長い道
 ちなみに、帯方郡使が倭国使節に付き添うのは、経路の各地の関所での通行許可証提示の役目もあり、また、それら関所での課税を防ぐためでもある。また、遼東征戦で治安が乱れている中、遼東の落ち武者などの盗賊からの保護も必要であったろうと思われる。細かいことだが、経路の宿舎に先触れして、国賓である倭国使節への饗応を含めたもてなし確保の役目もあったと思われる。単なる道案内ではないのである。
 また、先触れとして、帯方郡管轄機関に倭国使節の受け入れを求める急報も発せられていたはずである。従って、その年の八月には、使節の処遇、帰国時の礼物の構成決定、実物の手配などが、定型業務とは言え、帝国の組織的な動きで着々と進んでいたはずである。

 以上、今回の書評の本旨を少し外れた余談である。

*明帝起死回生
 これに続いて、「年表」は、景初三年十二月の記事として、「明帝大いに歓迎し」と書いている。これには、困惑する。死後一年、なんたる回生ぶりかと言いたくなる。「倭人伝」が特記していないのは、景初二年の明帝の公務として書いているからだと思えるのである。
 一方、これを景初三年の新帝詔書とみると、先帝の遺徳を語るわけでもなく、新来の東夷を顕彰しているだけである。文意は歓迎であるが、亡き明帝が、大いに歓迎したかどうかは書かれていない。

*帝国の栄光
 魏書明帝紀は、景初二年十二月初旬に明帝が発病病臥したと言うが、「上不予」(上様ご不快)程度では、倭国使節受け入れを含め、帝国は止まらないのである。
 皇帝決裁文書は、極力代理決裁するものの、皇帝決裁が必要なものは、病室に持ち込んで重病の皇帝の手を支えてでも署名を取る。それが皇帝の重責である。
 従って、明帝発病の景初二年十二月初旬以前にこだわらず、十二月の月内に詔書と好物の目録が下付された可能性は高いと考える。

未完

私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房  5/7

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/01/16
             全体として ★★★☆☆

 1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊
[承前]

*余談3 遅れて至るものは斬る
 いうまでもないが、帯方郡が魏朝直轄になったことや遼東が魏朝の遠征軍によって滅ぼされるということは、それ以前に、都度、各東夷に急報されている筈である。合わせて、中国に対する忠誠の証しとして、速やかに遣使せよ、ついでに遅れて至るものは斬る、とまでは言わないとしても、厳命したはずである。
 率直なところ、厳命を受けて、倭国は震え上がって、取るものも取りあえず使節を急行させたはずである。渡海して攻めて来ないとしても、朝鮮半島と交易禁止となると、対海国と一支国が飢餓に陥るなど、被害甚大なので、遅参は考えにくい。いや、その話は、今回の書評の本旨ではない。
 と言うことで、未開僻遠の東夷倭国は、皇帝逝去を早々に知ると共に、新帝の帝位継承、服喪に伴い、翌年一月一日をもって、新たな元号が開始することも予定されていた筈なのである。

*場違い、それとも遅参
 一説のように、明帝逝去の六カ月後に倭国使節が朝献を求めたとしたら、遅参のわびと共に新帝への祝賀の使節と思われるが、記事には書かれていない。
 史書の外伝記事はそんなものなのだが、そのおかげで、絶海の東夷が噂を聞きつけてやってきたとか、東夷の首長が場違いな国際感覚で風評(風の便り)を手がかりに、「奇貨おくべし」(奇貨可居)とばかり、使節派遣を決断したとか、脚色、潤色されているのである。そこで、ここに一解釈を連ねているのである。
 さて、帯方郡にすれば、遠来遣使は、郡太守の絶大な功績であり、太守の栄達に繋がるので結構なのだが、だからと言って、新来の東夷を国賓待遇として良いものかどうか。
 一説に従うと、この年、新帝祝賀に先立ち新帝の服喪と先帝大葬があるので、時期を外すと礼を失する危険があるのだが、郡太守は、むしろ無造作に倭国使節を帝都に送り込んでいるように見える。
 まあ、関係者の思惑は憶測するしかない。
 以上、今回の書評の本旨を少し外れた余談である。

未完

私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房  4/7

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/01/16
             全体として ★★★☆☆

 1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊
[承前]

*余談2 山河疾走 
 大海を越えると、急報制度どころか、文書通信が確立されていたかどうかわからない倭国中枢への伝達である。
 九州北部(つくし)なら、道路が整備未完了としても、距離が短いので、一か月はかからないと思われる。
 奈良中和(やまと)となると、つくしに比べて五百キロメートル余りの遠隔地であり、徒歩ないしは手こぎ船移動となるが、三世紀時点で、これだけの距離の旅程の整備ができていたとは思えないから、半年かかっても不思議はないが、仮に四か月程度と見ることにする。
 倭国中枢で、対応方針の決定、派遣使節の人選、持参貢物の決定と調達、使節派遣まで、二か月程度かかると見るのである。今日聞いて明日渡航とは行くまい。

 荷の重い使節団は、身軽な急報文書使よりは、随分遅いはずであるが、つくしから帯方郡まで二か月程度、やまとから帯方郡まで四か月程度と見ておく。

 よって、帯方郡が急報してから、倭国使節帯方郡到着までの所要期間は、次のような感じと見られる。これはあくまで、「程度」にとどまる概算比較である。
 つくし 五-六か月程度、やまと 九-十か月程度。
 四カ月程度の差は、往復一千キロメートル程度の旅程差からくるものである。  

 ここで、帯方郡の急報発信は、魏による帯方郡平定が基点となるが、その時期については、「A 遼東平定に先立つ景初二年初頭」と「B 遼東平定後の景初二年秋」の両論があり、それぞれ慎重に評価する必要がある。

 Aの見方で、倭国使節が景初二年六月帯方郡到着するには、つくしなら何とか間に合うが、やまとは到底無理(景初二年十月頃の到着)となる。
 景初三年六月帯方郡到着であれば、いずれも可能である。

 Bの見方で、倭国使節が景初二年六月帯方郡到着するのは、いずれも不可能であるのは、いうまでもない。
 景初三年六月帯方郡到着であれば、つくしは、問題なく可能であるし、やまとは、確実ではないが、到着できる可能性はある。

 やまとは、つくしと比較して、往復で一千キロメートルの距離が追加されるため、ここを「倭人伝」に書かれた倭国の中枢と見るには、倭国使節の帯方郡到着は景初三年六月でなければならないのである。
 そして、景初二年遣使の議論を封じるには、景初二年秋の帯方郡平定にこだわらざるを得ないのである。

 このように、ここでは、やまと説論者が、自説に合うように「倭人伝」を読み替えて、定説を形成する至芸が見られる。

 以上、今回の書評の本旨を少し外れた余談である。

未完

私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房  3/7

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/01/16
             全体として ★★★☆☆

 1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊
[承前]

*余談1 景初の暦制混乱
 中国の歴代王朝で受け継がれた伝統として、先帝逝去時、新帝は即刻即位するが、新元号は、先帝の没年の明ける新年から適用される。

 従って、景初三年は、本来、元号の主である皇帝のいない一年のはずだったが、新帝は、年の半ばで暦制を変え、変則的な運用としたのである。

 合わせて、先帝のなくなった命日を景初二年十二月一日(正規の十二月に続く本来の新年正月を同年の「後十二月」とした)とし、すでに、景初三年二月とされていた月が、遡って景初三年一月とされた。
 既に六月になっての遡及であり、各種記録の修正など、政府機関の業務に大変な影響があったろうし、民間にも、迷惑が及んだものと思われる。

 また、南方の東呉、つまり、孫権政権は、独立を謳い独自元号を定めても、魏朝の暦を流用していたから、年の途中での改暦にうまく追随できなかったのではないかと思われる。呉書は、呉暦に基づいて書かれているのだが、魏の元号と一年ずれている記事がある。

 それはさておき、先帝が景初二年十二月に亡くなったとした以上、景初三年の新年で改元すべき所だが、既に六月(いや、実際は五月か)であったから、年初に遡って改元もできず、翌年改元としたようである。
 このように、景初三年は、年半ばでの改暦により一カ月ずれて、何とも、誤解を多発する事態になったのである。こうした魏朝改暦の顛末は、当ブログ筆者の誤解の可能性があるので、ご注意いただきたい。
 以上、今回の書評の本旨を少し外れた余談である。

*東夷諸国通信事情
 さて、魏と洛陽から帯方郡、そして東夷諸国への通信状態を確認しておく。魏朝は、創業者曹操の指示で、伝令が早馬で通常の通信の何倍かの速度で報告、通達を伝達する急報制度が全国に設けられていたので、「国内」である帯方郡との通信は、迅速、かつ、確実であったと思われる。
 「倭人伝」によれば、倭国諸国は、帯方郡と文書通信を維持していたようであり、景初の遣使に際しても、帯方郡からの督促、倭国からの遣使予告などが伝わっていたはずである。

未完

私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房  2/7

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/01/16
             全体として ★★★☆☆

 1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊

[承前]

*問題点
 中国魏朝景初年間の倭国使節派遣記事が、「倭人伝」記事の誤解に基づく誤記となっている。
 以下、解きほぐして私見を述べる。

*景初三年の怪
 「年表」の景初三年の部分は無残である。
 依拠している「倭人伝」は景初二年六月の記事としているが、「年表」は、何の根拠があってのことか一年後の景初三年と安易に読み替えているために無理が生じているのである。しかも、ここでは、読み替えたことも示されていない。

 「年表」は、景初三年六月に倭国使節が帯方郡に着いて「魏の明帝に朝献したいと求めた」書いているが、何とも軽率である。

 実際の歴史では、先帝の逝去の後、新帝曹芳が即位早々に暦制を改訂したために、暦制が不連続になり、後世の読者は混乱してしまうのだが、明帝逝去の時点では、景初三年一月一日逝去とされている。

 いくら中国の状勢に疎い東夷でも、公孫氏統治下以来、帯方郡と文書交信している以上、景初三年六月時点では、魏朝皇帝が半年前に亡くなって代替わりし、先帝は明帝と諡されたことは知っているのである。
 「明帝」というからには、逝去したのを知っているのであるが、それなら、亡き人に会いたいというはずがないのである。軽率な表現といわざるを得ない所以である。

未完

私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房 1/7

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/01/16
             全体として ★★★☆☆

 1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊
 編集 井上光貞 児玉幸多 林屋辰三郎 編集執筆 黛弘道

*史料渉猟の弁
 当ブログ筆者の守備範囲は、素人の手すさびということで、「魏使倭人伝」及び周辺の文献解釈に限られている。
 ただし、「今日言うところの西日本」の「当時の」状勢について鋭意勉強しているため、当書籍「年表」も史料批判に必要と感じて購入した参考書の一冊である。参考書は、ほぼ古書店で購入しているので、割安で購入費を節約できているが、内容は正味そのまま読む必要があって節約できないので、ここまで大変勉強になっているのである。

 そのような参考書籍の中で、本書は、原始から古代を対象とした年表であり、内容豊富、かつ、味わい深いものであった。

 古代に関しては、中国側資料は、充実した記述に満たされた文献であり、抜粋要約によって年次の入った年表が書けるのと異なり、国内側史料は、確定した文献が存在しないため、考古学の視点で遺跡や遺物の年代比定と考証を体系化しているものの、絶対年代の不確かさを抱えていて、年次の確定した年表が書けない問題があると見た。

 そのような限界はあるものの、時代が特定できない日本側の表と年次の書かれている中国側の「年表」を並行して収録して、互いの年次を連携させないながら、時代感を揃えるという手法により、古代史学の最先端の努力として時代表をまとめ上げた労苦には、大いに感嘆するものであり、書籍全体の書評としては、大変肯定的なものである。

*不遜の弁
 さて、当著作は、上に名をあげた諸賢の労作なので、本来、遙か後生の無学な門外漢(素人)がとやかく言い立てることは、蟻が富士山と背比べするように不遜の極みなのだが、自身である程度史料批判に努めてきた「倭人伝」に関係する記事で、どうにも納得できないものがあったので、これを無視することは大変失礼なものと考え、ここに謹んで率直に指摘するものである。

未完

2017年1月15日 (日)

今日の躓き石 駅伝のリベンジを言い立てるNHKの不穏さ

                       2017/01/15
 今日の題材は、NHKG(総合)の女子駅伝実況アナウンサーの失言である。

 球技などの対抗戦で負けたときに「リベンジ」を言い立てるのはありがちであり、是非、戒めてほしいと思うのだが、今回は、多数のチームが競争する団体競技である駅伝で、負けた悔しさのあまり「リベンジ」を選手達が言い立てているとしたら、同様に嘆かわしいと思うのである。
 「リベンジ」は、世界に満ちあふれている血の復讐合戦に「直接」繋がる「悪いことば」である、だから、軽い気持ちで口にしてはならない、という認識か必要である。

 このような不祥事は、無造作に報道してNHKのことばとして多数の耳に届けるのでなく、報道せず、一方、選手や指導者達に、そのような不穏当な発言を慎むように助言してあげるのが、公共放送の使命ではないかと思うのである。

 こうした類いの、心得違いの不穏当な発言が、若い人たちの間に蔓延しているとは聞いていて、そのような「悪いことば」が未来の日本語になっていくのは、何としても食い止めたいと感じているから、微力は承知の上で、こうして、しつこく言い立てているのである。

 当方は、一介の視聴者であり、NHK会長でも、総理でもないので、NHKが当方の言う通りにする義務はないのだが、一考していただければ幸いである。

以上

2017年1月 6日 (金)

今日の躓き石 あぶない「地球の歩き方」に御注意

                      2017/01/06
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊3版「夕刊ワイド面」のジャーナリストの中東取材記である。記事に記名されているから、別に伏せているわけではない。名指しの記事にしたくないからである。

 ここまで指摘してきたのは、スポーツ界の「リベンジ」汚染が冗談のつもりでも冗談では済まないと言うことだったのだが、ここに来て、本当に冗談ですまない用例が登場した。ここで批判すること自体が、身の危険に及びかねないのでほっとこうかと思ったのだが、この記事が英訳紹介されると、実際に当人の身に危険が及ぶ話なので、ここにご注意申し上げる。

 記事は、当該ジャーナリストがトルコ入国を拒否されたという話なのだが、記事の最後に、大変危険な発言が書かれている。
 「私はひそかにリベンジを誓った」とはっきり書かれている。
 毎日新聞に掲載されるから「ひそかに」もないものだし、「リベンジ」も、日本語の軽い意味であって、本気に報復の殺戮を意味しているのではない、つまり、テロリストの犯行声明ではない筈なのだが、何も考えずに文字通り解釈すると、大変物騒な発言なのである。

 どうか、誰か当人に助言して、こんな危険な言い方を二度としないように指摘してほしいものである。

 それにしても、毎日新聞の校閲部は、事実誤認以外はチェックしないのだろうか。今回のように、人命に関わりかねない失言も取り上げないとしたら、困ったものである。

以上

今日の躓き石 毎日新聞ラグビー報道の腐敗?

                      2017/01/06
 今回の話題は、毎日新聞大阪朝刊13版、スポーツ面の高校ラグビー準決勝2試合の報道である。

 それぞれの準決勝対決をそれぞれの担当記者が見事に描いているのだが、戦評の最後に、両記者揃って、申し合わせたように、敗退した高校チームに泥を投げつけるように、「リベンジ」に失敗した、つまり、相手を血祭りに上げる復讐劇の筈が、ふがいなく返り討ちに終わった、情けない試合だったと総括しているのにはげっそりした。あるいは、上司の指示だったのかも知れないが、ここでは、署名記者の責任と見ることにして、話を進める。
 まるで、両チームが過去の試合で対戦相手に負かされたことを根に持って、報復第一に血道を上げてきた、スポーツマンシップに欠ける斬られ役だと酷評しているかのようである。随分なものである。

 それは、担当記者というか、毎日新聞社スポーツ担当記者の勝手な決め込みであって、両高校では、負けて悔しい、次こそ勝てるようにチームを鍛えよう、とスポーツマンらしく、前向きに捕らえていたはずである。血まみれ、泥まみれの、何の創意もない定番記事は、いい加減になくしてほしいものである。書いているのは、多くの読者から質の高い報道として信用を集めている全国紙であることを忘れないで欲しい。

 特に、高校チームの戦評にリベンジ劇を書き立てることで、後輩や、更に後に続く子供達に、高校ラグビーとは、延々と続く復讐劇だと思い込ませることになりかねない。

 担当記者が、カタカナ語のリベンジにどんな意味を託しているかは知らないが、普通に意味を取ると、ここまで書いたようになるのである。それが誤解だというなら、誤解のないように言葉を選ぶべきである。誤解でないというのなら、仕事を変えてほしいものである。

以上

今日の躓き石 サッカー日本代表監督談話の光と影

                     2017/01/06
 今回の題材は、毎度おなじみの毎日新聞大阪朝刊13版のスポーツ面である(1月5日付)。今回は、紙面の1/4ほどの囲み記事で、監督談話がたっぷり、担当記者の責任で再構成したとは言え、当人の言葉で報道されている。
 「フィジカル」などとへんちくりんなカタカナ言葉でなく、具体的に語っていて、これは、本物だと思うのである。海外組も、「体の状態」の言葉遣いで代表されるように、丁寧に語ってもらっている。ただし、国を代表するプロ選手が、出番が少ないために、代表としての実戦に向けた体調管理、コンディションの頂点の持っていき方に失敗している、とはかなりの苦言と思う。

 以下、データを踏まえた戦評と改善策を聞いていると、突然「私はトライしたい」と意味不明な言葉で締めている
 いや、ラグビーではないから、このトライは得点したいというのではなく「試したい」という意味なのだろうが、「もちろん」という以上、「(とことん)追究します」ときっぱり言うところである。何しろ、トライ自体が、すでにできるだけやってみるという言葉なのだから、「そのようにやってみたい」では、政治家の言い逃れみたいである。何のために、独自の指標を取り上げたのかわからなくなる。

 いや、総じて、良く聞き取って、良く書けている。良い通訳が入っただろうし、随分聞き返したと思うのである。

 そして、運命の最終質問である。じゃあ、これからどうやって勝ち抜くのか。

 折角、丁寧に報道していたのが、「少しのメンタルと勇気のところが強くなり始めれば、いいチームになる」と意味不明の文にぶつかって、躓くどころか、膝をついてしまった。
 メンタルと勇気が別の概念だとしたら、じゃあ、メンタルって何のつもりで監督は言い切ったのか。何がどうなればいいのか、選手は理解しているのだろうか。

 そのあと、監督得意のポルトガル語とフランス語でキーワードが示されて、大見出しにも書き立てられて、先ほど匙を投げた文が無くても良い駄文だと気づかされるのである。
 こうして、明確に言い聞かせてくれれば、選手も何が足りないのか明確に理解できるのではないか。

 太古の時代、「ゲルマン人」クラマー氏は、日本人の心の財産は大和魂だ、魂を持て、と指摘して日本サッカー選手の気概を奮い立たせたという。
 くだけた言葉で言えば、誇りを持った「ど根性」と通じるかも知れない。
 別に太古の時代と同じ言葉を使う必要はないが、監督は、通じる言葉でかたり、選手はそこから何か感じ取ってほしいものだと、素人は思うのである。

以上

2017年1月 2日 (月)

今日の躓き石 サッカーの「フィジカル」 NHKの混乱

                         2017/01/01
 今回の題材は、NHKBSの新年特集のサッカー番組である。日本代表監督のインタビューを中心に、各試合のハイライトや選手の談話がたっぷり聞けたのだが、一つには、サッカー関係の新聞記事や報道でよく聞く「フィジカル」なるカタカナ語の意味が明快に聞けると思ったからである。

 まず、肝心なのは、現監督は、いつもフランス語で話しているので、普通、英語由来の形容詞-名詞化した言葉は、まずは口にしないということである。
 口にするとしたら、日本のメディアの影響を受けて、言葉が崩れたと言うことなのだが、実際に何と言っているが、通訳された言葉が被さっているのでよくわからない。まじめな話として、吹き替えするのでなく、字幕にすべきではないか。フランス語を解する人は限られるかも知れないが、生の言葉を聞きたいものである。

 ちなみに、いきなり「フィジカル」と聞こえたが、これは、「フィジカルコンディション」と言っていたのであって、日本語では、普通は、単に、コンディション、なり、体調というものである。身長、体重の話ではないのである。言葉を足すことで、意味がぼける誤訳の好例である。また、海外組のレギュラー落ちについて、泣き言を言っているわけではないのであった。

 ただし、監督は、オーストラリアチームの評価として、パワフルで体格が大きいとちゃんとした言葉で喋っているのである。それに対して、直前のNHKのナレーションは、「フィジカル」と言いながら示すのは身長のデータである
 つまり、この部分のナレーションを書いた誰かにとって、「フィジカル」は、即ち、身長、体重と言った体格である、と解されるているようである。この評価要素に差があると言っても、身長は伸ばしようがないから、言うならば試合する前から、負けていることになる。

 後ほどの再戦の時、監督は、ゴール前の空中戦では、背の高い方が随分有利だし、それは、変えようがないので、ゴール前に入らせない、と言う明確な戦略を指示していて、当然とは言え、大変有効だったということである。

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