私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房 5/7
私の見立て★☆☆☆☆ 2017/01/16
全体として ★★★☆☆
1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊
[承前]
*余談3 遅れて至るものは斬る
いうまでもないが、帯方郡が魏朝直轄になったことや遼東が魏朝の遠征軍によって滅ぼされるということは、それ以前に、都度、各東夷に急報されている筈である。合わせて、中国に対する忠誠の証しとして、速やかに遣使せよ、ついでに遅れて至るものは斬る、とまでは言わないとしても、厳命したはずである。
率直なところ、厳命を受けて、倭国は震え上がって、取るものも取りあえず使節を急行させたはずである。渡海して攻めて来ないとしても、朝鮮半島と交易禁止となると、対海国と一支国が飢餓に陥るなど、被害甚大なので、遅参は考えにくい。いや、その話は、今回の書評の本旨ではない。
と言うことで、未開僻遠の東夷倭国は、皇帝逝去を早々に知ると共に、新帝の帝位継承、服喪に伴い、翌年一月一日をもって、新たな元号が開始することも予定されていた筈なのである。
*場違い、それとも遅参
一説のように、明帝逝去の六カ月後に倭国使節が朝献を求めたとしたら、遅参のわびと共に新帝への祝賀の使節と思われるが、記事には書かれていない。
史書の外伝記事はそんなものなのだが、そのおかげで、絶海の東夷が噂を聞きつけてやってきたとか、東夷の首長が場違いな国際感覚で風評(風の便り)を手がかりに、「奇貨おくべし」(奇貨可居)とばかり、使節派遣を決断したとか、脚色、潤色されているのである。そこで、ここに一解釈を連ねているのである。
さて、帯方郡にすれば、遠来遣使は、郡太守の絶大な功績であり、太守の栄達に繋がるので結構なのだが、だからと言って、新来の東夷を国賓待遇として良いものかどうか。
一説に従うと、この年、新帝祝賀に先立ち新帝の服喪と先帝大葬があるので、時期を外すと礼を失する危険があるのだが、郡太守は、むしろ無造作に倭国使節を帝都に送り込んでいるように見える。
まあ、関係者の思惑は憶測するしかない。
以上、今回の書評の本旨を少し外れた余談である。
未完
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