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2017年1月16日 (月)

私の本棚 年表日本歴史 1 筑摩書房  6/7

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/01/16
             全体として ★★★☆☆

 1 原始▶飛鳥・奈良 ( ー783) 1980年5月刊
[承前]

*余談4 洛陽への長い道
 ちなみに、帯方郡使が倭国使節に付き添うのは、経路の各地の関所での通行許可証提示の役目もあり、また、それら関所での課税を防ぐためでもある。また、遼東征戦で治安が乱れている中、遼東の落ち武者などの盗賊からの保護も必要であったろうと思われる。細かいことだが、経路の宿舎に先触れして、国賓である倭国使節への饗応を含めたもてなし確保の役目もあったと思われる。単なる道案内ではないのである。
 また、先触れとして、帯方郡管轄機関に倭国使節の受け入れを求める急報も発せられていたはずである。従って、その年の八月には、使節の処遇、帰国時の礼物の構成決定、実物の手配などが、定型業務とは言え、帝国の組織的な動きで着々と進んでいたはずである。

 以上、今回の書評の本旨を少し外れた余談である。

*明帝起死回生
 これに続いて、「年表」は、景初三年十二月の記事として、「明帝大いに歓迎し」と書いている。これには、困惑する。死後一年、なんたる回生ぶりかと言いたくなる。「倭人伝」が特記していないのは、景初二年の明帝の公務として書いているからだと思えるのである。
 一方、これを景初三年の新帝詔書とみると、先帝の遺徳を語るわけでもなく、新来の東夷を顕彰しているだけである。文意は歓迎であるが、亡き明帝が、大いに歓迎したかどうかは書かれていない。

*帝国の栄光
 魏書明帝紀は、景初二年十二月初旬に明帝が発病病臥したと言うが、「上不予」(上様ご不快)程度では、倭国使節受け入れを含め、帝国は止まらないのである。
 皇帝決裁文書は、極力代理決裁するものの、皇帝決裁が必要なものは、病室に持ち込んで重病の皇帝の手を支えてでも署名を取る。それが皇帝の重責である。
 従って、明帝発病の景初二年十二月初旬以前にこだわらず、十二月の月内に詔書と好物の目録が下付された可能性は高いと考える。

未完

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