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2017年2月26日 (日)

私の本棚 尾崎康「正史宋元版の研究」汲古書院 4/7

        私の見立て★★★★★                   2017/02/26

*民間活用
 と言うことで、尾崎氏の資料分析によれば、南宋の正史刊本覆刻で、いわゆる紹凞本の刊行には、民間の刻本業者を起用する「坊刻」が活用されるようになったのである。むしろ、刻本事業の民間移管で、官刻は衰退したのではないかと思われる。
 以上は、当ブログ筆者の私見である。

*坊刻興隆
 「坊刻」は、南遷時の激動により大いに手薄になった政府機関による官営でなく、北宋後期から活性化してきた民間事業による版刻である。
 中核となる人材に、官営事業で育成された、技能、教養に優れた、国家の精鋭たる刻工を起用し、印刷、製本、そして、用紙調達に民間の経済原理を発揮して、続々と正史再刊を進めたようである。
 尾崎氏の筆致にも、坊刻、官刻に対する先入観としての価値判断は含まれていないように思う。

*紹興刊本
 また、南宋刊本再構築に際して、原本として利用できたのは、希少な北宋刊本(官刻)でなく、そこから二次的、三次的に翻刻された通用本であったようである。

 北宋刊本は、木版印刷と言っても、さほど多数刷られなかったようである。当時、書籍全体を通して紙質が整然とした(高価な特製)用紙の確保が困難と言うこともあったと思う。私見では、百冊にも達していないのではないかと思われる。

 官製刊本の大きな役目は、それまで、粗雑な写本の繰り返しで世上の書籍内容にばらつきが多く見られたのを改善するものだったと思われる。

 各地に刊本が届けば、まずは、正確な複製本を写本作成した上で、流通写本を容易に校正できるのである。

 三国志の南宋覆刻である紹興本は、南遷に従った正史刊本お目付役の目には、諸処に難ありと映ったが、校正しようにも典拠となる「原本」がなかったので仕方なく看過したものと思われる。

 以上は、当ブログ筆者の私見である。

未完

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