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2017年2月26日 (日)

私の本棚 尾崎康「正史宋元版の研究」汲古書院 6/7

        私の見立て★★★★★                   2017/02/26

*蜀蔵本のなぞ
 察するに、それ以外にも、蜀漢の故地である四川(蜀)は、中心である成都に小規模ながら刊本事業が成立していて、それは、おそらく、先立つ写本事業が継承されたもののようである。

 蜀は、華南の大河長江の中国内の最上流にあり、戦国末期の秦治世下で整備された灌漑水路に恵まれて水田稲作が発展し、盆地内に一千万程度の膨大な人口を支える食料の自給が可能であった。

 動乱の絶えない河水流域とは、険阻な地形で隔絶しているので、中央政権が衰えれば自立の動きが出る、いわば、独立の気概の地域である。

 遡って、唐時代だが、反乱軍の帝都長安制覇の際には、皇帝一行の逃避先となったが、平時、四川地方の独立離反を防ぐために有力皇族を封じるなど、長安代替機能を備えていたと推定される。

 特に記録は無いようだが、長江中下流の武昌、漢口、金陵すら遠隔地であり、成都教養人は、自前の書庫を持ったろうし、そのような途方もない贅沢ができる豊かさと治安の平静さがあったのである。因みに、先に述べた靖康の変後の金軍南進も、成都には遠く届かなかったのである。

 その名残で北宋期の成都には正史を含む一大書庫、今日で言う資料アーカイブがあったと推定される。というものの、成都アーカイブ、とか、蜀蔵本とかは、勝手な妄想、造語かも知れない。

 以上は、当ブログ筆者の私見である。

*紹凞刊本の由来
 国家事業として展開された刊本復旧事業による、三国志紹興本の刊行後、成都アーカイブから、咸平刊本に近いと見られる写本が提供され、これを深く吟味した結果、正史として継承するに値するものと判断して、坊刻により刊行することになったと見ているのである。

  以上は、当ブログ筆者の私見である。

未完

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