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2017年2月24日 (金)

私の本棚 「古代史15の新説」別冊宝島その3 6/6 長野正孝

          私の見立て☆☆☆☆☆               2017/02/23

鉄が解いた古代史の謎- 消されていた古代倭国 長野正孝

連鎖物流考
 九州北部から大阪湾岸までの東西五百キロメートル余りの瀬戸内航路を商船が往来するのは、遙か後年のことだ
というのは妥当な推論であろうが、それまで、瀬戸内の海上物流が一切不可能だったと断じるのは、言い過ぎであろう。

 当ブログ筆者は、一素人であるから、史料も何も見ないままに、各地で、身軽な小舟が、沿岸の主要集落を繋いで物資輸送していたはずであり、航行距離は、一人が半日程度で漕ぎ通せる程度の短かいものでも、数多くの小舟の日々の行き来を繋いでいくと、図らずも数百キロに及び、難関を越えた長距離物流になったのではないかと見ているのである。

 長距離を太い鉄棒のようにつながなくとも、細く小さな鎖を連携すればよいのである。鎖が切れたら、つなげばよいのである。そのような連鎖する流れが、古代に於ける、滔々たる川の流れのような「物流」かも知れないと思うのである。

 現代の貨物船による輸送と違って、契約で、着荷日程を指定されているわけでなく、はるか東方で物流の末端にいるものは、到着までに何年かかろうと知ったことではなく、舶来で所望の品物が手には入れば、それでよいとみたと思うのである。

 それにしても論者のいうように、古代において、芸予諸島が航行不可能であったとなると、今日の高縄半島部は、東西と交流できず、孤立していたことになるのである。
 創世記において、伊予の二名の州として、つまり一国として認知されていた四国西北部が絶海の孤島であったとは思えないのである。

*重い使命
 論者は、鉄の比重(Specific Gravity)が輸送の妨げになっていたように言うが、鉄が貴金属なみに尊重されていたのであれば、人が担げる程度の量でも十分な財産価値があると言うことであり、大量輸送の必要などないのである。銅は、比重8.9で一段と「重い」し、金、銀は更に「重い」が、だからといって比重で輸送経路が決まったわけではないのではないか。

 輸送する際に問題となるのは、荷物の質量(重さ Gravity)であり、比重てはないと思う。当時、荷物を船で運ぶかどうか決める際に、構成物の比重をどうやって知ったのだろうか。現代の貨物輸送のように、その都度貨物の外寸容積(才)と重量を計測して比重を計算し、運賃を決めていたのだろうか。
 按ずるに、この部分の新説は、何かの錯誤であろう。

*結語
 と言うことで、当ブログ筆者は、ここに掲載されている記事を最後まで追いかけることはできなかった。従って、論者の主張を云々することはできない。

 ウィンストン・チャーチルの言いぐさをもじって言うなら、卵焼きの良い悪いを判断するのに、全部食べなければならないわけではない、となる。いや、これは冗談半分である。

 論説を最後まで読んで欲しかったら、最初の一行から、丁寧に文章を推敲・吟味して、つまらない錯誤を交えないことである。 

以上

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