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2017年2月11日 (土)

古代史随想 木津川恵比寿神社と椿井大塚山古墳 1/2

                    2017/02/11
 木津川恵比寿神社にたどり着いたのは、元々、別の記事で批判した小林行雄氏の論説で、古代の銅鏡配布の一大拠点とされている椿井大塚山古墳の被葬者たる「椿井政権」首長の故地を訪ねて、PC上で散策したことによる。
 まだ、現地に行ったことはないが、ここに書いた程度の推定を綴れるだけ、詳しい状況を探ったのである。

*椿井政権の萌芽
 グーグルマップで椿井大塚山古墳の位置を探すと、話に聞いたとおり、JR奈良線の軌道が横切っていて、広く見渡すと、ここは大阪湾から遡上した淀川水系の木津川の東岸であって、木津川は、しばらく南下した後大きく東に転じてL字型の流路が開けている。
 木津川の西岸にはJR片町線が走っていて南のJR木津でJR奈良線と連絡する。いわば、河川水運、陸上交通の両面で、要地を占めていることが見て取れる。

 いずれの時代か、いずこからか大阪湾に来航した船団が淀川に入り、それぞれ好適と思われる地点に定住者を下ろしては遡上し、ここにも、一団が定住したようである。おそらく、ずいぶん長い期間を要したであろう。
 また、同じ淀川水系でも、木津川以外の支流である宇治川を遡行して琵琶湖に到着した集団や桂川や鴨川を遡行した集団もあったとも思われるが、その経緯は不明である。

*大いなる繁栄
 確かなのは、木津川流域のこの地点に定住した集団が、木津川の豊富な灌漑水量と水産資源を生かした農漁業によって十分な食料を得るとともに、木津川-淀川-瀬戸内海という無類の幹線水路の水運を仕切って、交易収益により堂々と自立していただろうということである。

 そうした交易経路が確保できた原因は、淀川流域の要所に一族の政権が定着して協調的に交易ができたということだろう。いや、推測しているだけである。

 後年、椿井政権が大量の銅鏡を得たのは、交易で入手(購入)したものなのか、自身で銅鋳物生産を行ったものか、いずれかとも思われる。自製化するときも必要な銅素材を交易で購入するについては、自前で鋳造した銅製品を提供(販売)していたとも思われる。

 何しろ、大量の銅素材や銅鏡を入手するには、大量の対価物が必要であるが、さほど広くない領地であるから穀物生産が特に潤沢であったとも思えず、と言って、それ以外に「売り物」が見当たらないので、銅製品の販売と思うのである。

 現代風の経済概念でいうと、「高度技術」による「付加価値」で大きく稼いでいた、のではないか。もちろん、これほどの技術があれば、ほかにも売り物はあったはずである。

 とにかく、「夜郎自大」ではないが、当時、壮大な宮殿こそ建てなかったものの、この地域の周辺では、抜群の威勢を誇っていたのではないか。

*ヤマトとの関わり
 ここは、京都府、つまり、山城国である。南のさほど高くない分水嶺を越えると、曾布地域であるが、さほどの距離でもないので、当時先進の椿井政権の恩恵を受けていたかもしれない。

 さらに南に下ると、平地と言っても距離のある葛城、三輪の領域であリ、徒歩行で遠距離であるので、交易の規模は限られていただろうし、それ故に銅鏡「配布」時代には、武力衝突などなかったと思われる。もちろん、そうした推定には何の証拠もない。

未完

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