私の本棚 尾崎康「正史宋元版の研究」汲古書院 2/7
私の見立て★★★★★ 2017/02/26
また、三国時代の蜀都成都、呉都金陵には、それぞれの王朝の文物が残されていたようであるから、東晋が再興を図ったときには、何とか、文物の体裁が保てたようである。
時代が進んで記録が豊かになったこともあって、北宋壊滅時の文物破壊は、激しいものであったと記録されている。
当方が、氏の著書を渉猟して求めているのは、南宋刊本に至る長年の写本の継承であり、氏が、宋の南遷として語っている「靖康の変」が写本、刊本に対して及ぼした甚大な被害は、噛みしめる必要がある。
*宋朝壊滅 文物剥奪
靖康の変は、宋の帝都開封が落城したものだが、侵略者である金は、北方異民族でありながら、中国文明の影響が深く浸透し、帰属した漢族高官の影響もあって、宋王朝文物である書画、骨董、稀覯書に対する所有欲が深かったと見られる。そのため、開封の帝室宝物が根こそぎ持ち出されたのは、よく知られている。各副都を含め、近傍各地の高官や蔵書家の文物や書庫まで根こそぎされたようである。
また、靖康の変で、金王朝は、宋王朝を完全撲滅する意図から、皇統譜に掲載の皇族を根こそぎ連れ去るという熾烈な方針で臨んだとされている。
そうした金軍の怒濤のような攻勢から、帝位継承可能な皇族として唯一逃れた、後の南宋初代皇帝高宗は、南方臨安に宋王朝を再建しようとしたが、金軍の南進に耐えきれず、長江南方に逃亡する始末となった。
*臨安攻撃
臨安に進攻した金軍は、そこに正史版木を発見して、これもまた根こそぎ奪い取る挙に出たのである。何とも、壮烈な憎しみである。
金軍の北帰後に臨安に構築された南宋は、宋朝再建、国土回復どころか、金の更なる南征に備える軍備強化を迫られるなか、文化政策や行政機構の再構築に苦闘していたのである。
未完
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