私の本棚 「考古学と古代史の間」 2
筑摩プリマーブックス154 白石太一郎 筑摩書房 2004年
私の見立て★☆☆☆☆ 2017/02/10
*「考古学」と科学的測定法の狭間
これは自然科学の判定が信用できるかどうかという話ではない。単に、自身の学識および知見と自身の学識および知見外のものとを混同してはならないのではないか、というものである。
当ブログ筆者は、工学系の訓練を受けて、企業内で実務に携わってきた。場数はある程度踏んでいると考えていただきたい。
その背景から言うと、科学技術的な測定と見解は、測定機器の高精度化とデジタル化によって、主観の介入しない、客観的なものとなっていると思われがちだが、実は、主観の影響を大きく受けていると考えるのである。
いや、データのねつ造などと言う極端な事例は、旅路の果ての破局として、そこに至らないまでも、所望の結果を出すのが仕事なのである。たとえば、どのような測定方法で、どのようにして測定するか、を選択する段階で、測定結果が予想されてしまうことは珍しくない。つまり、測定者の希望するデータが出るように測定方法や調整方法が塩梅されることは珍しくないのである。
また、どのような条件が満足されたら、検定されている仮説が成立していると認められるか、という判断条件の選択も、主観に左右されるのである。
言うならば、専門機関といえども、依頼元の意図を理解して、それが肯定されるような結果を出さねば依頼元の期待を裏切ると考えて、測定方法を調整し、データ解釈をそのように演出することは、ざらにあることである。
と言うように、ことは自然科学的な判断と言えども、その当否は容易に検定しがたいのである。
繰り返しになるが、考古学者は、自身の学識、知見については責任を持てるだろうが、自然科学的な測定については、畑違いで責任範囲外なのだから、そのように扱うべきなのである。
*早計な判断
そこまで突き詰めるのは、本書では、自然科学的な測定結果によって、考古学としての古墳年代を比定しているように見えるからである。更に、そのような判断を元に、文献資料の解釈を一定方向に決めているからである。
そのような判定をするのは、それが自身の希望する解釈に添っているからだろうが、古典的な言い方をするならば、それは曲筆である。
本書著者は、考古学者としてかくかくたる名声を得ている方と思うが、一読者としては、他分野からの見解を十分に批判することなく受け入れて、考古学者の使命をおろそかにしているように見えるのである。
しかも、ご自身で、最初に述べたように、考古学者の見識が揺らぐ原因として、外部の異質な分野の見解の安易な取り合わせがあることを見抜かれているのだから、なおさらに、本書の主題となっている「曲筆」は痛々しいのである。
*素人の意見
言うまでもないが、当ブログ筆者は、遺物、遺跡を実見することはできないので、諸文献を精読して自分なりの意見を形成するしかない。つまり、先賢各位の高説を元に文献を読み解くしかないのだが、その限りでは、倭人伝には、九州北部に(局地的に)存在する倭国が描かれているとする意見に大きく傾いている。
これに対して、本書著者は、深い学識で、ヤマトにあった地方政権が次々と勢力を拡大して、全国政権として広く統括するに至った「歴史の必然」を示されていて、当ブログ筆者は、深い敬意を持ってその展開を眺めるものである。
ただ、そのような堂々たる議論が、文献資料とつなぎ合わせるために、たとえば、箸墓の造成が卑弥呼の没後に10年以上かけて行われたというような無理な展開でぶちこわされていると見るのである。もったいない話ではないかと思う。
堂々たる議論の歪みが、文献資料の強引な取り込みに起因したものであり、そのような強引な議論の根拠とするために、自然科学的な測定結果を新たに築き上げた、というような進め方には賛同できかねるのである。
まして、考古学を基本とした見解で、乱世の続く文献解釈を快刀乱麻のごとく武力平定するというのは、何か初心を忘れているように思うのである。
思うに、本書著者は、ヤマトに対する強い愛着を持っていて、冷徹な判断が妨げられていると見るものである。
そのような先入観から遠い当方には、愛着に起因する先入観に立つ議論は、学術上の論者として採用しがたいのである。
以上
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