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2017年2月10日 (金)

私の本棚 「考古学と古代史の間」 1

 筑摩プリマーブックス154  白石太一郎 筑摩書房 2004年

          私の見立て★☆☆☆☆               2017/02/10

 本書を購入して読むことにしたのは、近年顕著となっている古墳時代の開始吊り上げの主たる提唱者が、本書著者白石太一郎氏であるという風説を確認しようとしたものである。

 結論を言うと、まさしくその通りであるが、それは、著者は肯定的な意味での確信犯だと言うことである。

 言うまでもないが、当ブログ筆者の意見は、本書で公開されている論理の進め方に一般人としての異論を唱えているのであって、学術的な当否を主張しているものではないし、まして、本書著者の考古学者としての権威を傷つけようとしているものではない。

*「考古学」と「古代史」の狭間
 大事なことは、本書著者が冒頭で述懐しているように、古代史分野と一般人が捉えている学術分野は、実は、「考古学」と「古代史」の、ずいぶん土台も筋道も異なった二つの学術分野に分かれていると言うことが、素人にもよくわかるように、説かれているのである。

*議論の分かれ道
 そうした前提が説明された後で、本書著者は、文献資料である魏志倭人伝の解釈と考古学の知見をすりあわせた上で、古墳時代の開幕を3世紀前半であると判断し、この判断に従うと、倭人伝に書かれた邪馬台国は、奈良盆地の一角であるヤマトを本拠としていたと断定されるとの論理的な展開を述べている。この論争に良くある「決まり」主張である。

 もちろん、その際に、先に述べた、考古学の見る遺物、遺跡は、他の遺物、遺跡との相互年代、つまり、どちらが古いか新しいかという判断はできるものの、「絶対」年代、つまり、西暦何年であるとか、中国のどの王朝の何年という断定はできない、という考古学に対する定評を克服したと主張しているのである。

 このように明確な結論が端的に導き出されていると言うことは、その形成過程が「結論」に向かう強い指向性を持って進められていたのではないかと思われるのである。

*自然科学的手法の限界
 しかし、援用されていると思われる自然科学的な時代判定は、どのようなデータをどのような方法で検定したか明記されていないので一般論で批判するしかない。

 言うならば、考古学の持ち分である遺物、遺跡の鑑定の範囲ではなく、自然科学という別の観点からの判定であるから、その際の判断の行方は、自然科学分野の視点で支配されていて、考古学の立場からは責任をもって検証できないものと思われるのである。

 つまり、よくよく眺めると、本書著者が慎重に遠ざけていた文献史学による年代検定と同様、考古学にとって「部外者」見解による判断なのである。
 当ブログ筆者の科学観では、そのような外部の意見は、考古学者自身の見解形成に採用すべきではない、と言うものである。

未完

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