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2017年3月 1日 (水)

私の本棚 古墳の古代史 東アジアのなかの日本 3/4

       森下 章司    ちくま新書 1207

          私の見立て☆☆☆☆        2017/03/01

*第二章ものとひとの往来
 銅鏡、特に「神獣鏡」の出所について、中国工人の渡来、地場生産を説く意見に対して、著者は、それなら、ほかにも多大な影響があったはずだが、何の提言もないと不満げである。それはそうだが、学説として唱えるには、具体的な論拠が不可欠である。

 これに対して、当方は、素人の発想を言い立てる立場であるから、論拠なしに提言できる。

 同時代の技術革新として、「前方後円墳」のような巨大墳墓の構築技術が上げられる。これには、核心として土木建設に関する専門知識が必要であり、設計構想、線引き縄張りには、幾何学や測量技術が必要である。

 以下の墳墓造営において必要な工学技術は、無限とも思えるほど膨大であり、そのような大規模で革新的な技術の移管には、少なからぬ技術者の渡来が必要である。製鏡技術者以外に多くの技術者が渡来したと見るべきではないか。

 画期的な事項を例示すると、呉の滅亡時点がある。すでに、呉船は、夷州、儋州での徴兵と称して、屋久島、種子島に来航していたと思われるから、呉の頽勢を見た工人たちが、伝え聞く楽天地に亡命したかも知れない。

 優れた工人は、所属王朝にとって無二の資産であるが、亡国に近い事態になれば、優れた技術者が、いち早く脱出するのが定則である。

 いや、以上の仮説に対して、何も論拠となる証拠はない。単なる思いつきである。

 

 古墳時代開始時期のずり上げは、このごろとても気になるのである。

未完

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