毎日新聞 歴史の鍵穴 不思議な世代交代 (最終回)
私の見立て★☆☆☆☆ 2017/03/22
今回、毎日新聞大阪2017年3月22日付夕刊掲載の月一連載については、従来、素人考えで批判させていただいていたが、今回が最終回とのことである。
小山田古墳の被葬者 候補は舒明と蝦夷だけか=専門編集委員・佐々木泰造
せっかくなので、今回は、少し高度な批判を述べさせていただく。
記事を一見して、ぱっと目に付くのは、図示された系図の不釣り合いなことである。
当然、書紀などの文献を参照して書かれたのだろうが、図の左に書かれた蘇我氏の系列と右に書かれた天皇家の系列が、(本当に)一見して、不釣り合いなのである。
よく中身を見て、具体的に言うと、図全体の最上部に蘇我稲目が置かれているが、蘇我氏が、蝦夷、入鹿と直系相続されている間に、天皇家は、兄弟相続もあって、しきりに代替わりしている。
当ブログ筆者は、国内史料に関して無学なので、ここで書かれている図式に従うと、当記事で被葬者に擬されている二人のうち、蘇我蝦夷は蘇我稲目の孫、つまり二世の子孫であるのに対して、舒明天皇は、曾孫を過ぎて五世(あるいは四世か)の子孫なのである。
つまり、蘇我家が二代進むのにそれぞれ三十年で計六十年かかったして、その間に天皇家が、四,五代進んだとなると、一代あたりせいぜい十五年になる。同時代の同程度の地位の家系で、そんなに世代交代の期間が食い違うものだろうか。
図では、最下段の建王と言う一人の人物で、両系列がつながっているだけに、蘇我氏二世代の間に天皇家は五世代という格差が的確に「可視化」されていて、どうにも目立ってしまう。舒明天皇の書かれている位置は、蘇我蝦夷どころか蘇我入鹿よりもはっきり下方になっていて、しかも、埋葬はほぼ同時期になっている。
ところが、当記事筆者は、その点について何も触れないで、六百四十年代の遺物と六百五十年代の遺物が明確に区別できるなどと、根拠不明の健筆を振るっている。何か、素人にはわからない定説があるのだろうか。
素人考えでは、記事の限られた場所にこれだけの大きさで書いた以上は、今回の記事の主張の根拠を示す重大な論拠としての意図があったと思うのだが、読む限り、何も伝わってこない。
いろいろ丁寧に繰り出される説明は、関連資料を読み込んでいる感じがうかがえるのだが、当の記事にこのような不思議な図が説明なしに使われていると、不思議な感慨を持って、最終回記事を批判せざるを得ないのである。
以上
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