私の本棚 研究最前線 邪馬台国 吉村 武彦 「考古学だけでは不十分」 1/7
石野博信 高島忠平 西谷正 吉村武彦 編 朝日新聞出版 2011年6月
私の見立て 全体評価 ★★★☆☆ 凡庸なごった煮 部分評価 ★☆☆☆☆ 度しがたい迷妄 2017/05/09
第5章 考古学だけでは不十分 吉村武彦
本項は、二〇一〇年七月三日に文化庁主催シンポジウム「いま、なぜ邪馬台国が?」における講演のなかで、吉村武彦氏(著者)の講演を収録したものと思われる。
講演は、おそらく古代学において、考古学者の良心とも言うべき感慨から開始している。しかし、以下示すように、文献史学分野の見識を取り入れる際の不正確さが山積していて、著者の権威を損なうものになっているのは、いかにももったいない話である。特に、客観的に間違っていると判断できる誤解が、訂正されることなく出版されているのは、著者の周辺に誠実な支持者がいないことの表れであり、ここに慎んで、憎まれ役を買って出て誤解を糺そうとするものである。
著者の誤解の多くが、百-百一ページに露呈しているので、失礼ながら、個別に批判を加えるものである。
こうした表記法からいえば、「邪馬台国」の表記も同じように仮借で書かれています。ふつう は「やまたいこく」とよびならわしていますが、「邪」は「や」、「馬」は「ま」の漢字音ですから、「台」は「と」ないし「ど」と読み、「やまと」ないし「やまど」と読むだろうと思います。 おそらく「やまと」と読むのが正しく、むしろ「やまたい」と読むのは間違いではないでしようか。
「邪馬台」国を「やまと」のくにと呼ぶという議論は、古来、連綿と引き継がれてきた「俗信」であるが、同時代の倭国側文献資料、音声記録が絶無である以上、所詮、後世人の推測の積み重ねであり、いくら推測調の文体であろうと、学術的な文で殊更書き立てるべきものではないと考える。
未完
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