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2017年5月 9日 (火)

私の本棚 研究最前線 邪馬台国 吉村 武彦 「考古学だけでは不十分」 2/7

    石野博信 高島忠平 西谷正 吉村武彦 編    朝日新聞出版 2011年6月 

 私の見立て 全体評価 ★★★☆☆ 凡庸なごった煮   部分評価 ★☆☆☆☆         2017/05/09

ただし、現在では携帯電話の入力でも「やまたいこく」とうちますと「邪馬台国」と出ます。 
 「携帯電話の入力」とは、使用者のカナやローマ字の入力に対して変換候補として表示される漢字のことを言うのだろうが、これは、現代、そのように書き慣わされていることが反映しているのであって、古代史論議には無関係である。いわば、ジャンク情報であり、そのように説明すべきである。

今日は、わかりやすいように「やまたいこく」と発音します。
 勿体ぶっているが、単に、カビの生えた仮説の押しつけであって、論議の余地が多く残されているものと考える。

1『三国志魏書』烏丸鮮卑東夷伝倭人条
「魏志倭人伝」のテキスト
 ところで、通称の「魏志倭人伝」は、正確にいうと『三国志魏書』巻三〇の烏丸鮮卑東夷伝 のなかの倭人条になります。
 倭人伝論の試金石とも言うべき発言である。「正確にいうと」と断言しているが、「正確」と断言するからには、その根拠を示すべきであろう。単に、俗説に過ぎない点では「やまたいこく」説と同様である。

 しかし、その原本が、現代まで残っているわけではありません。
 「しかし」も「案山子」もあったものではない、
 三世紀に書かれた書籍の原本が現代まで残存していると考える方が、異常感覚である。それは、一般人でもわかる当然、自明の事項であり、なぜ殊更「しかし」と言い立てるのかわからない。元々、この断言は「だから、原本がどのような現代まで伝えられたかを確認するのである」との学術的な見解の導入部であるはずだが、ここだけ一人歩きさせるとは、ずいぶん粗暴で稚拙な論法である。

 当初は写本もあったでしょうが、後に版本として受けつがれていったかと思います。
 「当初」の事態を推定しているが、「写本もあった」というのも、無頓着な放言である。上申された三国志は、皇帝書庫に秘蔵されるのであるから、官製写本で複製(レプリカ)としなければ、原本を温存しつつ、複数の人々に写本を届け読んで貰うことはできなかったのである。

 そもそも、陳寿が編纂を完了し、決定版として遺した三国志原本を複製し晋朝に上申したのが、後に三国志が正史として認定された背景である。ということは、陳寿旧宅には、一冊の三国志全巻が残っていたのである。

 このあたり、見当識にかける暴言である。以下、同様の暴言を連ねるという予告とみられるから、一般講演であれば、ここまでで退席してもおかしくないのである。
 このような暴言が権威者の講演録として収録されているでは、諸説編集の不備といわざるをえない。

未完

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