私の本棚 出野正 張莉 「倭人とは何か」 4/6
明石書店 2016年12月刊
私の見立て★★★★☆ 2017/05/04 2019/01/29
何故か、肝心の表題を誤記していた粗忽ノ失礼を深くお詫びして訂正する。
*承前
*短里制度の不審
ここで、無頓着に「魏朝の短里」と書き、つづけて、それが、75-90㍍であったと、当然のごとく書いているが、立証されていない作業仮説を証明無しに確たるものとして書き立てるのは論考として不用意である。
倭人伝で使用されている「里」は、先に述べたように、帯方郡から狗邪韓国までの、現代の道路で420公里(㌖)程度の行程を七千餘里とするものであり、ここに、明確に「里」の基準を宣言した上で、以下の道里記事を書いているのである。
つまり、倭人伝における「里」はここで確定しているのであって、これが魏朝制度であったかどうかは、倭人伝理解に際して不必要な議論なのである。
古田武彦氏は、東夷伝の中の倭人伝の「里」が改めて定義されているのを見過ごして、そのような「短里」は魏朝国家制度であり、魏使全体に普通であるとして、魏朝短里制仮説を展開していた。しかし、それは、倭人伝の注意深い書き方に気づかなかった不用意なものである。
つまり、帯方郡から狗邪韓国までの里数を書いた時点で、陳寿は、これ以降の「里」は、すべてこれに従うと宣言しているのである。言い換えると、それ以降の里数は、宣言された基準「里」であることに対して史官として責任を持つ(文字通り、命をかける)と宣言しているのである。
言うまでもないが、この宣言は、三国志のそれ以前の「里」に遡って適用されるものではない。また、倭人伝以前の「里」がどのようなものであったかを語るものでもない。あくまで、倭人伝だけに適用される基準「里」と解すべきである。
ちなみに、本書には、海流、潮流の影響で、乗船した船舶の航行速度が変わるとあるが、三世紀当時、「航路」なる言葉も概念もなく、当然、「航路長」も不明であり、また、船舶の航行速度を測定する手段がない以上、このような議論は、時代錯誤で無意味なのである。当時の感覚で、中原人が理解できないいい加減さを公文書に書いて、皇帝に報告できるだろうか。
論戦不敗の信念など忘れて、冷静に考えて頂ければ、このような簡単な理屈は、ご理解頂けるものと思う。
未完
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