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2017年5月 9日 (火)

私の本棚 研究最前線 邪馬台国 吉村 武彦 「考古学だけでは不十分」 4/7


    石野博信 高島忠平 西谷正 吉村武彦 編    朝日新聞出版 2011年6月 

 私の見立て 全体評価 ★★★☆☆ 凡庸なごった煮   部分評価 ★☆☆☆☆         2017/05/09

 ただし、『魏書』が刊行されてから『後漢書』が出ます。王朝の順としては、後漢(二五-二二〇)、三国時代(ニニ〇-二八〇)になります。しかし、正史は、『三国志』陳寿(二三三-二九七)撰)の後に『後漢書』(范曄(三九八—四四五)撰)が編纂されます。この『後漢書』や『隋書』(六五六年完成)では、「壹」ではなくて「臺」(台の正字)が使われており、私は、この『後漢書』『隋書』の表記を尊重して、元は「邪馬臺国」という字があったと考えています。

 長々と説明しているが、隋書は、後漢書の国名表記に影響されたものであり、結局、倭人伝に邪馬台国はなく、「邪馬台国」は後漢書(だけ)を根拠としている、と言う古田氏の主張は克服されていないのであるから、そのように認識すべきである。

 まして、筋の通らない口ぶりでぼやかしているが、史料批判のされていない後世史書を根拠に先行する倭人伝の確たる表記を否定する暴挙を犯しているのである。要は、何が何でも、つまり、妥当な論理が構築できないにもかかわらず、「邪馬台国」を仕立てるという牽強付会に過ぎないのである。

三つの部分からなる倭人伝
 「魏志倭人伝」は、三世紀代の日本列島の社会状況を伝える貴重な史料です。基本的には三つの部分からなり、記述の構成は、ほかの「烏丸鮮卑東夷伝」の条文とほぼ同じです。

 国別記事
 まず、第一段は帯方郡から邪馬台国に至る道のりを記しています。「倭人は、帯方の東南の大海の中にあり、山島に依りて国邑をなす」で始まります。
 朝鮮半島(韓半島)では、前漢が前一〇八年に楽浪郡などの四郡を設置しました。そして帯方郡は、二〇四年ごろ、公孫氏政権によって、楽浪郡の南につくられた郡です。その帯方郡から、 途中の韓の国を経て日本列島に至る方位・距離・国名が書かれており、いわゆる「国別記事」がみえます。

未完

 

 

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