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2017年5月 9日 (火)

私の本棚 研究最前線 邪馬台国 吉村 武彦 「考古学だけでは不十分」6/7

    石野博信 高島忠平 西谷正 吉村武彦 編    朝日新聞出版 2011年6月 

 私の見立て 全体評価 ★★★☆☆ 凡庸なごった煮   部分評価 ★☆☆☆☆         2017/05/09

 さて、以下で特に目立つのは、103ページの引用である。

 ここに引用されている記事の筆者、宮崎市定氏は、博識かつ真摯な学者であるので、その見解は尊重しなければならないのであるが、ここに引き合いに出されている論議については、同意しかねるものがある。

*経書写本誤謬論
 宮崎氏は、古代中国における聖典と言うべき四書五経の経書写本に誤謬が多発していたことを例として、正史写本といえども、同様に誤記が多いとみるべきだと推断したようであるが、素人目にも、この類推に誤解があるようである。

 経書は、儒教が国家の指導原理として尊重され始めた漢武帝の時代から、帝国の官吏登用の際の必要教養とされたから、史官を志す若者達、多くは、洛陽の太学に学ぶ若者達は、争って経書写本を買い求め、市場に氾濫するほどであったという。後世喧伝された科挙のはるか以前から試験地獄はあったのであり、「試験」に出るから、借金してでも写本を買い求めて暗記に努めたのである。官吏となって高位に登れば、絶大な収入が得られ、故郷の親族はじめ支援者すべてに篤く報いることができるのであり、役得の類いを合わせれば、富豪への道ともなるのであった。

 前漢は紙の発明以前であるし、後漢も、紙の普及はその後半であったろうから、大抵の場合は、竹簡、木簡などの簡牘に筆写されたのだろうが、それでも、必要があれば大量の写本需要が発生し、大量の需要には大量の供給が伴ったのである。
 当然、写本に写本を重ねる低俗な写本では、学識不十分な、おそらく、少なからず素人写本者を起用するため、粗製濫造は避けられず、写本間の不一致はざらにあったようである。

 若者達は、各人の持つ写本の記事が互いに一致しないときは、政府の所管部署に、どちらが正しいか判断を求める権利を保障されていたため、時には、政府方針に不満を持つ若者達が、合法的に徒党を組んで、不平を唱えるとして数多くが集合し、道にあふれたと言うほどである。

 そのため、たまりかねた政府は、所蔵する良本、つまり、試験正答の根拠を石碑に刻し、自分の写本に疑問があれば碑文を見よと言い渡したという。
 経書の写本とは、そういうものなのである。

 いや、このあたりの世相は、宮崎氏の熟知するところであり、従って、経書写本の質についての発言が出たのであろう。

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