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2017年5月 4日 (木)

私の本棚 奥野 正男「ヤマト王権は広域統一国家ではなかった」

  奥野正男     JICC出版局 1992年
私の見立て★★★☆☆        2017/05/04

*密かな正論
 本書に関して、個人的な感想を、刊行後25年を経ている現時点でことさらに申し立てるのは、端的に言えば、当ブログ筆者がこれまで国内古代史に関して、不審に思っていた点に、鋭く異議を唱えているのに共感するからである。

*銅鏡配布論批判
 著者は、1990年代初頭の学会定説に従い、「三角縁神獣鏡」が魏鏡との仮定に基づいているが、それでも、当時小林行雄氏の創唱した、「山城椿井大塚山古墳の被葬者が、ヤマト王権の配下で王権が支配する各地の首長に銅鏡を配布していた」とする説に強く反論している点に共感するものである。
 考古学の成果である発掘物の考証を「日本書紀」の著述に合わせて解釈させることに、史学として早計ではないかと疑念を呈しているとも言える。

*墳墓規模論批判
 また、現在の堺-古市-巻向の各地に配置されている大規模墳墓が、(同時代)「ヤマト」の支配者であった天皇家の墳墓であり、その権力が広く喧伝されていて、世に卓越していたことを、それぞれの墳墓の規模で表していた」とする説にも、的確な反論を加えている。

 当方は、「遺跡、遺物は、今も、厳としてそこにある」が、『その解釈を「日本書紀」の著述に合わせて案配させることは、史学として疑問がある』という見方と思うのである。つまり、史学会の良識として伝えられているように、考古学成果を文献解釈に沿わせて解釈する際には、安易な前提、安易な図式の適用を、極力避けねばならないと感じるのである。

*学問の王道
 以上の批判は、考古学の手法に従い、各地の遺跡とそこから発掘された遺物の精査に基づく主張なので、定説に反するからと言って、軽々しく退けられるべきものでないのは言うまでも無い。学会の衆智を求めて、広く議論すべきなのである。それが、王道というものである。

*共感と尊敬
 こうした批判は、当ブログ筆者が、各種著作に基づいて推論を試みているのとは、主張の方向が似ていても、その次元は大いに異なるのである。
 当方は、そうした堅実な論考と似通った意見を独自に提示したことに、個人的な満足を感じるのみである。

*定説の壁慨嘆
 それにしても、このような卓説を知らないままに自説を言い立てる不遜はともかくとして、かくかくたる正論が「定説の壁」に阻まれて世に広まらないことを嘆くものである。

以上

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