私の本棚 季刊「邪馬台国」 132号 物部氏と尾張氏の系譜(4)志村裕子
私の見立て★☆☆☆☆ 2017/06/30
以外★★★☆☆
先ずは、季刊邪馬台国誌132号の上質の出来映えに感心したと申し上げる。ここ数号のかなり乱れた出来とは大違いで安心した。
当記事に関する批評は、別に重大な物ではなく、記事著者の今後の執筆の際に、参考になれば幸いと思うのである。
さて、水林 彪 古代天皇制における出雲関連諸儀式と出雲神話(2009年の「国立歴史民俗博物館研究報告」第152集掲載)に書かれた貴重な戒めを掲げたい。
一般的な戒めとすると、古代に関する論説に、後代、或いは、別地域の概念を持ち込むべきでは無いということである。
今回の記事でそれを思い出したのは、冒頭の「スポット」というカタカナ語である。これは、古代になかった言葉、概念であるとともに、現代でも、万人に明確な言葉ではない。
おそらく、著者の周辺の仲間達に通じる言葉かも知れないが、ここで使うべきでない言葉と考える。
「スポット」とは、「観光スポット」、「パワースポット」などを端折ったのだろうか。それなら、現代も現代、軽薄なメディアが、意味もわからず端折る悪癖に染まっていなければ幸いである。「パワースポット」ですら、意味が不安定なものを「スポット」(染み、或いは、地点、点)にしてしまったら、意味が通じないのが当たり前なのである。愚行は見習わないで欲しいものである。
もう一つのカタカナ語は、「アレキサンダー」である。まさか、カクテルのことではないだろう。古代史で誤解無く言うなら、「アレキサンダー大王」と書くべきである。そして、何かの比喩で言っているとしたら、真っ直ぐ通じにくい比喩であり、避けた方が良い。因みに、後に続く投稿原稿の高橋輝好氏は、通信社記者経験のある方なので、アレキサンダー大王と丁寧に書いている。見習うべきではないかと愚考する。
更に言うなら、「マケドニアのアレキサンダー大王」のことととわかっても、この人物に感じるものは、読者個人個人で多様である。
ギリシャ・ローマ史を少々囓った当方としては、都市国家時代のギリシアの北部辺境から起こって、各都市が豊かな文化を持つギリシアを武力統一した後、東方の文化大国ペルシアを倒し、それ以降、東に南に敵対勢力を打倒することしかしないまま、若くして亡くなった、「困った」英雄と感じているので、決して褒め言葉では無いのである。
もちろん、優れた軍略を持ち、難敵と戦って勝ち続けたことを称える人も多いだろうが、今日のイラン地方で侵略者と思われていても不思議はない。
と言うことで、著者が、「景行天皇」ないしはヤマトタケルをアレキサンダーと呼ぶのは、著者の意図を支えているのか、足を引っ張っているのか、疑問が多いのである。
古代とは言え、別世界の、よくわからない人物を引き合いに出さない方が良いように思うのである。
つまり、一番わかりやすいのは、古代史論の本文部分では、よほど定着したものを除き、カタカナ語を使うべきでは無いということである。そういう趣旨で言えば、「コミュニティ」すら避けて欲しいということである。
と言うのも、当方は、愛媛県東部、往時の宇摩郡出身なので、とくに目につくのである。通常、かな漢字変換を一度行えば、次から最優先表示されるので、自然に用字が統一されるのだが、何か手違いでもあったのだろうか。それとも、学習を切っているのだろうか。
以上