倭人伝「長大」論 総決算 1 曹丕用例批判 1-1
2017/08/12
事の起こりは、魏志倭人伝で、卑弥呼に対して、長大と言われているのが、どんな年齢を指しているかと言うことである。
論外で、早々に退場するのが、中高年という理解である。
これは、原文の「長大」という熟語を、はなから中高年と決め込んでいて、中国語辞典を引いたり、用例を検索したりして、その当否を確認しないで、盛大に論じているのだから、学術的なものでなく、まるで、中学生の早合点競争のようである。
ちょっと調べるだけで、現代中国語で「長大」というのは、大抵の場合、伝統的な「成年に達する」ことを指していると理解できるのである。
念のために、魏晋朝あたりの文献を検索するのであるが、古田武彦氏が、三国志の「総選挙」ならぬ「総点検」を行い、「呉書」諸葛瑾伝に書かれた曹丕人物評(曹丕用例)を提示している。
「曹丕用例」は、孫権の発言を引用し、曹丕が皇帝に即位したとき「年長大」であったと評していて、曹丕の実年齢が30代前半であったことから、三国志では「年長大」とは30代前半であることと解したのである。
実用例を根拠として立てた論説であり、以来、これに直接反論している例は見かけないから、定説化しているものと思われる。
しかし、後進の素人は、何か、この用例にそぐわないものを感じて、同時代文献を検索したところ、「年長大」とは、成人(となる)、つまり、18歳程度の成人年齢に達することを云う用例を複数見つけたのである。「曹丕用例」は、あくまで一例なのであるから、採用するかどうか、十分な史料批判が必要なのである。
そこで、「曹丕用例」である「呉書」記事を再読したが、これは、不適切な用例であると判断したのである。
続く
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