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2017年8月12日 (土)

倭人伝「長大」論 総決算 1 曹丕用例批判 1-2

                             2017/08/12

 当ブログでは、呉書は、孫権政権史官が記録した記事を採用していることを述べた。
 「呉書」記事の「偏向」の適例として、「赤壁」に先立って、呉陣営で曹操を「老賊」と揶揄しているのが引用されている。呉書で、曹操は「曹公」と適度の敬称で書かれていて、蔑称は発言引用の部分である。
 さて、赤壁の戦いの時点で、曹操は51歳程度で、当時としても老いぼれというほどではないが、孫権より一世代上であるから、孫権政権の内輪で「あの老いぼれ」呼ばわりして不思議はない。肝心なのは、揶揄発言が「呉書」に記載されたことであり、曹丕の「長大」も、同様に揶揄表現が記載されているのである。

 曹丕は「若造」の分際で皇帝の位に就いたとしているが、孫権より5歳下だったのが影響してか、立派な壮年が若造扱いなのである。

 発言の趣旨としては、「曹丕は若造だったが、オヤジの残した補佐役が必死で支えて帝国を保ったのに引き換え、曹叡は、(後漢最後の皇帝、献帝のように乳臭い)幼帝でろくな補佐役もいない、と言う感じで罵った」のを、多少、表現を整理したのではないかと思われるのである。
 時に、孫権皇帝は、男盛りで、文武に優れたあまた高官を率いている、といいたいのであろう。
 そのため、曹丕は実年齢より低く評価されているが、陳寿は、これを「呉書」記事として妥当と考え、あえて、魏帝に相応しい形容に修正していないのである。いや、問題は、孫権の「曹丕若造」観なので、字句置き換えでは対応出来ないのである。

 結論として、「曹丕用例」は、倭人伝編纂時の「年長大」の字義解釈に利用出来ない。

 以上は、「曹丕用例」を卑弥呼の「年長大」を理解する参考にしてはならないと言うものである。

 古田氏は、資料の原文テキストを尊重することを信条としていたから、生前、以上の素人論議を耳にしていたら、一笑に付されただろうが、当方の議論は、それなりの根拠があり、容易に否定できないと信じているのである。

この項完

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