倭人伝の散歩道 卑弥呼の「墓」を巡る思索 1
2017/08/26
倭人伝では、「卑彌呼以死大作冢」である。卑彌呼が亡くなったので墓を作り埋葬したと読める。「太平御覧」には「女王死大作塚」とあり、これが順当だろう。
諸兄には大規模墳墓の先入観が頑としてあるようだが、 東夷伝で「冢」は「封土」、「土まんじゅう」であり、箸墓などの壮大な墳墓とは別ものと思う。知る限りでは、小ぶりの「冢」は古田武彦氏の所説である。
東夷伝で、韓倭に大規模墳墓の例がなく、従って墳墓技術(者)は存在しなかったであろう。墳墓技術者は渡来したのかも知れないが、膨大な実務は、大量の現地技術者を教育訓練養成して、組織的に行わなければ不可能である。
端緒として、職人と言おうが、現代風に専門技術者と呼ぼうが、大規模な工事に必要な中核の働き手は、一人前になるまで養成するのに、五年、十年で収まらない訓練期間を必要とするが、その間は、何も糧が得られない。
女王は、寿陵の計画もないのに、多数の技術者を長年養成し、資材備蓄、用地造成など、用意周到に画策したろうか。現代風には、国の未来を見据えた偉大な先行投資に見えるかも知れないが、それは、時代錯誤の白日夢であろう。
巨大計画の開始に当たっては、未曾有の事業の実施のための資材確保、土地造成に始まる造成事業の全体計画をまとめ、次いで、事業分担を各国に通達指示することになる。
例えば、各地から工事従事者を動員すると、日帰りでない限り宿舎の確保は必要であるし、なにより、日程進度管理を含めた緻密な指導が必要であるが、無文書指導では、行き違いがあれば、大工事は、随所で混乱するのである。
と言うことで、諸事考えて、女王死後の大規模墳墓造成着手は不可能である。倭人伝には、各国の準備・実行が記録されていないから、そう考えて不思議はないのである。実際は、不意打ちで膨大な労役、資材の負担を要求され、各国不服で乱が起き、到底実施できなかったのか。
始皇帝陵を始め、大規模墓陵は、皇帝就位直後に造成開始した。巨大な始皇帝陵は、二世皇帝も延々と動員を続けたが、潤沢な国家事業は、関係権益を維持するため絶対放棄できないという、保守主義が働いたようである。いや、これは余談である。
かくして、卑弥呼は、歴代君主同様に「封土」に眠ったのである。女王自身も、子供時代から仕えてきたご先祖さまのそばに休むことができ、子や孫の世代の巫女に仕えられると信じて満足であったろうと思うのである。
以上
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